山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

芸術の秋だぞ~

2007-10-06 23:24:16 | 美術・美術館
きょうは、「作家が語る 入江観の世界」というのに行ってきました。
作家御本人の作品にまつわる思い出話や解説を聞きながら、スライドで絵を鑑賞しました。

入江観氏という画家は今まで知らなかったのですが、主に自然の風景を描いていて、青や緑がきれいです。名前は知らなかったのですが、きっと絵はどこかで見たことがありそうです。
入江観茅ヶ崎美術館
入江観日動画廊
なかなか好きな画風です。
入江氏は、東京芸大卒で、その後一旦中学の教員になったそうですが、それからフランスの国費で留学しています。
フランスに行ってからの作風は、日本にいたころと変わって、本当にセザンヌやヨーロッパの画家の描くような配置と色合いになっていました。それは、フランスの風景がそういう風景だからなんでしょう。私は絵を見る目などはありませんが、留学の効果で技術的にも断然進歩したように感じました。
しかし、日本に戻ってからは、日本の景色はフランスとは違うので、しばらく想うような絵が描けなくてスランプに陥ったとのことです。油絵というのはやはりヨーロッパに向いているのでしょうか。フランスで油絵を描いていた日本の画家で、帰国してから水彩画や水墨画に転向してしまう人も少なくないようです。
そういえば、村上龍氏がフランスから帰ってきて、日本の町並みや景色が美しくないと感じるとエッセイに書いてありましたが、それと同様なんだろうなと思いました。
しかし、入江氏はやはり日本の風景を描かずにはいられなくなり、独自の画風を確立されたようでした。そして、30年の後ヨーロッパに行って日本に戻ったときは、すでに自分の画風があったので、以前と同じような状況にはならなかったとのことです。
日本のなんてことない風景が心に感動を与えるのですね。
入江氏は子どもの頃から絵を描くのが好きだったようですが、けっして上手ではなかったそうです。人に才能があるとはどういうことか?それは、やはりそのことをずっと続けるってことだと入江氏は語っています。

昨日、岡倉天心に関するシンポジウムを聞きに行って、岡倉天心は17歳で東大を卒業し、28歳で校長になり、そして、52歳で逝去したということを知りました。なんと若くして大成し、若くして亡くなってしまったのでしょう。人生50年ですね。もし私が52歳までの人生だったら、あと数年で何もしないまま人生を終えることになります。だから、私なんかもう今さら頑張ったところで遅いだろうなどとふと思ったわけですが、目の前のステージ上に平山画伯などは70歳をとうに超えているし、他の方もお年を召していますが、まだまだ元気に活躍されている様を拝見し、人間もっと年をとってからでも活躍できるものだと思いました。だから、岡倉天心は太く短く有意義な人生送ったように見えますが、もっと長生きしたら、もっともっといろんなことができたんだろうと思います。

平山郁夫氏は芸大の水彩画の専攻で、入江観氏は同じく芸大の油絵専攻。入江氏が数年後輩になるようです。
近頃私が行った展覧会の画家を思い出すと、青木繁も山口晃も、みんな東京芸大卒ばかりです。やはり芸大卒は優秀なんでしょう。
岡倉は学生に「飛べ」と言っていたそうですが、平山氏も入江氏も外国に飛びましたね。

入江氏は大学を卒業して中学の美術の先生になったのは、やはり安定した収入を得るためでしょう。芸大は芸術家を育てるのと指導者となるものを育てるという別の方向性というか、両立できるものか、とにかく2通りの者を養成するというジレンマがあるようです。
入江氏は、自作を描きつつも70歳まで女子美術大学・短大・付属校で教職も続けて来られたので、その二つを両立されてきた方ということで、非常に敬服します。
温厚で楽しい方だなと思いました。
こういう味はやはり中年程度では出てこないものでしょう。やはり長い人生で培われているものは偉大です。
ものすごく人生についての勉強にもなりました。

個々の催しが次々につながりを持って、自分に理解と益を与えてくれるのはすごく楽しいですね。
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上野へ行こう

2007-10-06 01:31:07 | 美術・美術館
上野ってところは、見るものがたくさんあって、すごくおもしろそうですね。
もし、近所にあったら毎週でも足を運んでしまいそうです。
うちから行くと1時間半くらいかかるので、ちょっと遠いのが残念です。
でも、通えない範囲ではないなと思いました。

上野には何度か行ったことがありますが、今日のように良い印象を持ったことはありませんでした。
それは、今まで行ったのはいつも休日だったからです。休日はもう駅前も公園も人間だらけで、ごった返しているからです。人の多いところは嫌いなのです。
でも、きょうは平日で、いつもよりもずっとすっきりとしていました。

東京国立博物館・国立科学博物館
国立西洋美術館・東京都美術館・上野の森美術館
動物園・旧岩崎邸庭園 など
その他 まだまだたくさんあります。
見学無料のところも多いです。
企画展も次々にあります。

今度から平日の休みを狙って行こうと思います。

きょうは、岡倉天心展は見る時間がありませんでしたので、今度見ようと思います。

公園内の看板の写真を載せておきます。

左:東京芸術大学美術館「岡倉天心展」
中:国際子ども図書館「ゆめいろパレットⅢ」
右:東京都美術館「フィラデルフィア美術館展」
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岡倉天心展記念シンポジウム

2007-10-06 00:39:09 | 美術・美術館
第一回「ルーツはみんな岡倉天心―日本美術院・美術院・東京国立博物館・東京藝術大学」

ネットで「何か良さそうな展覧会がないか」と探していたとき、たまたま岡倉天心に関するものを見つけたという経緯で、このシンポジウムに行ってみることにした。
だから、今日足を運んでみて初めて事の概要がわかったのだ。
そもそもは、「藝大の120周年記念行事」ということである。そこで、何をテーマにということになったときに、創設とその後の養成に深く関わった「岡倉天心」ということになったようだ。
岡倉天心は明治期に日本が欧米化されて、日本の芸術文化が失われそうになったときに、その価値を世に再認識させ復興させた人であるといえる。もちろん、岡倉一人の力ではなく、当時の政府にもそのような動きがあったからこそ、そこに岡倉という人材が当てられたわけであろう。しかし、やはりこの人の並々ならない意欲や行動力、能力には敬服する。

シンポジウムには平山郁夫画伯が参加されていた。平山氏は戦後すぐのころ、この東京藝大が東京美術学校だった最後の期の学生であり、そこで日本画を学んだそうだ。このころもまた美術どころではない時代であり、古い日本が無価値なものとされる時代だったが、芸術家たちはめげずに活動した。平山氏は日本画の花鳥風月にこだわらず、外国の風景も描き、シルクロードなどを歩き、世界の文化遺産を保護する活動にも参加している。
芸術というのは、その限られた土地のみに通用する価値ではなく、世界の視点からみても貴重な財産である。だから世界で守り繁栄させなくてはいけない。かつて岡倉氏はアメリカやインドなどに渡り、すでに世界的な視点で芸術を見る目を持ち、日本の芸術文化の価値を見出し、発展させるべく行動していた人であり、その後の後輩たちもその精神を引き継いでいるといえる。

シンポジウムには、美術院・東京国立博物館・東京藝大の先生方も参加されていた。
東京芸大は今、国から国立大学への予算が削減され、自分の力で採算を取り運営して行かなくてはならない時代となって、不安な未来を抱えている。
また、国立博物館も独立行政法人となり、自ら経営を工夫し採算をとっていくようにというような局面に至っているそうだ。ここで、どのように活動し対処していくべきかを考えたときに、岡倉天心先生の思想や生き様が教えともなる。

岡倉氏は、東京美術学校(現東京藝大)の学長を勤めると同時に帝国博物館(現国立博物館)の理事・美術部長もしていた。そして、学校や学生から本当に良い作品を買ったり、古来の貴重な仏像や絵画の複製を依頼するなどし、そのことにより、博物館展示の充実と芸術家の育成という相乗効果が得られた。
これができたのは、岡倉の芸術を見る目が確かであったからこそできたことであろう。芸術的価値の高いものを博物館に展示することは重要なことであるし、それを売ったほうは収入を得ることができる。
また、古来の仏像彫刻や絵画などの複製品を展示すれば、遠くにあって本物を見ることのできない人々が本物と寸分変わらぬ芸術品を見ることができるし、芸術家は複製品を作ることが貴重な勉強になったのだそうだ。

岡倉はフェノロサとともにアメリカに行って、今まで日本に存在しなかった博物館のあり方や、芸術教育のあり方を学び、それを取り入れるとともに、日本芸術の保存と育成に努めた。そのようにして、新しいものを取り入れつつ、古来からの価値あるものを更に繁栄させる手腕を持っていた。

今現在、世の中は「利益追求」の時代になってきて、お金が儲からないものは切り捨てられる時代である。運営できなければ、博物館の芸術品はお金と引き換えに売り飛ばされて失われてしまう危険性があるし、芸術家も育たないだろう。
このような危機の時代にあって、今もう一度100年前を振り返り、岡倉天心の生き様から学ぶことも有意義なことであろう。

今日、初めて東京芸大に足を運んだわけだが、今まで私にとって東京芸大は、雲の上の芸術教育機関というイメージがあった。本当に芸術的に天才のような人で、さらにものすごく勉強もできるエリートしか入れない大学だから、むやみに一般人が近づけないという気がしていた。しかし、行ってみるとそのようにお高い感じはぜんぜんせず、世間に開かれた親しみやすく温かい大学という印象を受けた。

このようなシンポジウムに一般人が参加でき、藝大の美術館に足を運んだり、コンサートを聴きに行くようになれば、一般人も芸術に触れて豊かな生活ができるとともに、大学でもチケット代などで収入が得られるという相乗効果がある。
今日は茶会も開かれていたようで、茶道具などは芸大の人の創作らしい。そういうことで、芸術をともに味わい楽しめるのは素晴らしいことではないだろうか。
コンサートは無料~3000円くらいで、手ごろな値段で本物の音楽に接する機会ができるのも良いと思う。

今まで国立の機関は、さしたる努力もしないで予算をあてがわれていた。それが極端に打ち切られたときの弊害はあると思えるが、今まで優遇されすぎていたのかもしれない。
国が予算を出さなくなり自助努力しろという今の時代の変化が、将来どのように語られるかわからないが、この時代の人間がどのように頑張り、どのように良い方向に導いたかが将来語られてもらいたいものだ。だから、そこが現代人の重要な役割である。

理系の大学・自然科学系の博物館も博学連携で、研究開発などし、新製品開発や特許の活用などで利益を得る時代である。
それと同様に芸術系博物館・美術館と芸術系大学との連携も重要となるだろう。
博学連携はすでに岡倉天心が実行していたと言えるが、地域社会に開かれた親しみのある大学と博物館は現代さらに求められるものではなかろうか。

なかなか興味深い内容だった。

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