山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

いつの間にか紅葉

2007-10-21 23:30:01 | 放送大学
気がつけばもう10月も3分の2が終わり、ことしもあと2ヶ月あまりとなっています。
昨日と今日は、放送大学の面接授業に行ってきました。
この面接授業、1コマが長すぎるんじゃないでしょうか?
135分=2時間15分ですよ!
授業はとても興味深い内容ですが、にもかかわらず途中でどうしても眠くなってしまいます。
何度か眠気に襲われ、絶えきれずに意識が遠のき、また目を覚ましては授業を聞くということの繰り返しでした。
先生には本当に申し訳ないです。この長さは、やっている先生のほうが大変ですよね。

よく団体のバス旅行に行った時に、お客さんは途中で疲れて寝てしまうわけですが、絶対に起きているのは運転手さんですね。
ちゃんと行くべきところに車を走らせ、そしてちゃんと帰路につきます。
なんだか、バスの運転手さんと先生が重なってしまいました。ガイドさんは寝てはいませんが一応休憩はあるものです。運転手さんは最初から最後まで本当に大変だな~といつも感心します。先生はガイド兼運転手さんですよね。

それにしても、勉強をするときに、人間の集中力は、どうしたって2時間以上なんか持たないんじゃないんでしょうか。せいぜい1時間半じゃないかと思います。
しかも、放送大学の面接授業は1日に同じ課目を2~3コマやることが多く、それも異常ですね。

授業と授業の間は20分の休み時間がありますが、授業時間を半分にして、そこに10分休みを入れたほうがいいのではないでしょうか。

今日は、休み時間にちょっと外に出てみました。秋晴れでさわやかでした。
空を見上げると、もう木の葉が紅葉して黄色くなっていました。

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ダメ出し

2007-10-21 09:49:30 | 未分類過去
人と一緒にいると、自分の判断力がおかしいのかという不安に陥ります。

たとえば、洋服を一緒に見てあるいているとき、これいいかな?と手にとってみようとすると、「そんなの変よ、地味だわ」とか、または逆に「それは、若者向けじゃないの」などと言われてぴしゃりとやられてしまうのです。
そうなると、それを体にあてて鏡を見るという動作もできなくなり、そのままやめるしかありません。
そのようなことが延々くり返されると、同行者に文句を言われなさそうな服を探さなくてはならなくなります。だから、気もそぞろになり服選びどころではありません。
この前、姉と服を見ていたときは、姉がブティックで試着などして時間をかけているすきに、同じ建物内の普通の量販売り場で1000円のTシャツを選んで買ってきました。やっと自分の好きなものを選ぶことができました。
ところが、実家に戻ってそれを着ると、なんでそんな変なものを買ってきたのかと文句を言われました。また、それとGパンと上着で電車に乗って東京に帰宅しようとすると、それを着て帰るのか?と変な表情をされました。
その後、実家に電話をしたときに、最近また姉がそのときのことを母に話してきたそうで、あんなセンスのない安物を買ったりしていて、どうしようもないとか言っていたとのことです。
人が何を着ようと自由ですし、Tシャツ1枚のことで延々とケチを付けられるのはかないません。もう2度と一緒に買い物には行きたくないし、実際にそういう人間とは会いたくもないのです。しかし、私の判断はそんなにもおかしいのだろうかいう不安に陥ります。

そんな風なことが起こるのは姉ばかりではありません。
友人と一緒に出かけて、知らない土地でレストランなどを探しているときに、見本に適当な日替わり定食などが出ているのを見たりしたとき、私は、まあ特においしそうでもないけど、他の店を探すのも大変だしこれでいいんじゃないか?と思います。おそらく、夫と一緒だとそこで食べてしまおうという判断になりそうです。
ところが、見本と客席を見渡した友人は「ここはダメ、おいしそうじゃなさそうだわ。私は一目店の雰囲気を見ればおいしいかどうかわかるの」とのこと。
次にピザ屋に行くと「ここは生地があまりおいしそうじゃなさそうね」とのこと。
食べるに値しないものが多いようです。
会社などでも、たまに仲間で外食をするのですが、昼休みに手早く食べるには至近距離にあるファミレスのランチメニューでいいのではないかと私は思います。
しかし、他の人はファミレスは問題外。チェーン店ではないちゃんとした店でなければだめだというのが常識のようですから、ファミレスはどうか?などと言ったらレストランの価値のわからぬ人だということで必ずダメだしです。


でも、世の中にはこのようにダメ出しされた1000円のTシャツを来ているひともいるし、適当なランチを食べている人もいるので、私と同じ判断基準の人がいないわけではなさそうです。

しかしながら、自分がヨシとすることを、日常近くにいる人にぴしゃりとダメ出しされることが多いので、私は物事の価値がわからず、判断ができない人間だというレッテルを貼られているような気がし、不安になることもあります。

自分がダメなものの判断ができない人間である以上、同行者がダメ出しするかどうかにばかり気を遣いながら判断を仰いで行動しなくてはなりません。それもなかなか辛いものです。


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