「青木繁と画の中の女」(中島美千代)(TBSブリタニカ発行)を読み終えた。
青木繁というひとが、とびぬけた絵の才能を持ちながらも、生きることに不器用であり、結局は自滅の道に進んでいってしまう悲しい生涯に衝撃を受けた。
青木繁が描いた最盛期の絵は、現在重要文化財となっている「海の幸」と「わだつみいろこの宮」であり、当然評価が高い。しかし、その後、身を持ち崩してから描いた絵には精彩がなく、優れた作品は生まれなかったという。
しかし、肺病に冒され死を前にして、かつての自尊心高く他を顧みない性格を消し去り、病棟の人のために彼が描いたスケッチなどはどんなものだったのか。むしろそういうものが存在するならば、見てみたいと思った。
晩年は、生活の困窮と病気のために、彼が得意とした芸術性の所以であるところの虚像を創造することができなくなったのだそうだ。
だが、人間としての彼は洗練されたとも言えるだろう。晩年は多くの短歌を残しているようだが、素直な心がそのまま詠まれているようだ。
それにしても、画家を志した同年代の仲間たちが、当時画界で権威をもっていた黒田清輝の傘下などに入り、うまく世に認められていったのに、青木繁のみが転落していったのは、自業自得である部分もあるが、生まれながらに貧乏であった上に、性格の問題もあり、世渡りが下手で不運な人だったといえる。とくに媚びることなどしなくても、認められるチャンスはあったはずだが、彼の性格ゆえに、みすみす逃したともいえそうだ。
「たね」との出会いから別れ、認知しなかった子、交友関係、家族関係など、この事実を検証したノンフィクションは、作り物の小説を読むよりもすごい衝撃であり、人生を考えさせられるものだった。
今までに、青木繁について書かれた本はいくつかあるらしいが、この本はそれらとは少し趣を異にしているらしい。愛児を儲けながら籍を入れずに別れた妻「たね」については、悪女であったというものが多いが、実はそうではなかったというのが著者独自の検証のようだ。青木とたねの最終的別れに至るまでの経緯などよく検証されていると思う。
このあいだ、ブリヂストン美術館で青木繁の絵を見たときは、私は「海の幸」(1904)に惹かれて眺めていたのだが、多くの人はむしろ「わだつみいろこの宮」(1907)の前に集っていた。きれいな絵ではあったが、私には特に何も感じられなかった。この絵が海の中を描いているというのも、あとで知ったことである。
このようなおとぎ話のようなものは、私はあまり好きではない。その横に「大穴牟知命」(1905)があったが、これはとくに印象はなかった。そのほかに小さい海の絵が3枚ほどあり、「輪転」(1903)というのもあった。「輪転」は女たちが太陽の光のなかで戯れているような幻想的な絵だったのを覚えている。
そのときの展示はその6点だったようだ。
激しく短い生涯だったんだなあと、改めてその中で描かれたこれらの絵を思い返す。
また、別の絵も見てみたいと思う。
友人たちが遺作展を開こうとして、絵を集めようとしたところ、「わだつみいろこの宮」の額縁代が払われておらず、他の絵が差し押さえられたりしていたことがわかったなどというエピソードもあるそうだ。
今は青木繁の作品は石橋・ブリヂストン美術館が多く所蔵しているが、どのような経緯でここの所蔵になったかも知りたいものである。
青木繁の生涯をテレビドラマや映画などで描いてもらいたいとも思った。
青木繁というひとが、とびぬけた絵の才能を持ちながらも、生きることに不器用であり、結局は自滅の道に進んでいってしまう悲しい生涯に衝撃を受けた。
青木繁が描いた最盛期の絵は、現在重要文化財となっている「海の幸」と「わだつみいろこの宮」であり、当然評価が高い。しかし、その後、身を持ち崩してから描いた絵には精彩がなく、優れた作品は生まれなかったという。
しかし、肺病に冒され死を前にして、かつての自尊心高く他を顧みない性格を消し去り、病棟の人のために彼が描いたスケッチなどはどんなものだったのか。むしろそういうものが存在するならば、見てみたいと思った。
晩年は、生活の困窮と病気のために、彼が得意とした芸術性の所以であるところの虚像を創造することができなくなったのだそうだ。
だが、人間としての彼は洗練されたとも言えるだろう。晩年は多くの短歌を残しているようだが、素直な心がそのまま詠まれているようだ。
それにしても、画家を志した同年代の仲間たちが、当時画界で権威をもっていた黒田清輝の傘下などに入り、うまく世に認められていったのに、青木繁のみが転落していったのは、自業自得である部分もあるが、生まれながらに貧乏であった上に、性格の問題もあり、世渡りが下手で不運な人だったといえる。とくに媚びることなどしなくても、認められるチャンスはあったはずだが、彼の性格ゆえに、みすみす逃したともいえそうだ。
「たね」との出会いから別れ、認知しなかった子、交友関係、家族関係など、この事実を検証したノンフィクションは、作り物の小説を読むよりもすごい衝撃であり、人生を考えさせられるものだった。
今までに、青木繁について書かれた本はいくつかあるらしいが、この本はそれらとは少し趣を異にしているらしい。愛児を儲けながら籍を入れずに別れた妻「たね」については、悪女であったというものが多いが、実はそうではなかったというのが著者独自の検証のようだ。青木とたねの最終的別れに至るまでの経緯などよく検証されていると思う。
このあいだ、ブリヂストン美術館で青木繁の絵を見たときは、私は「海の幸」(1904)に惹かれて眺めていたのだが、多くの人はむしろ「わだつみいろこの宮」(1907)の前に集っていた。きれいな絵ではあったが、私には特に何も感じられなかった。この絵が海の中を描いているというのも、あとで知ったことである。
このようなおとぎ話のようなものは、私はあまり好きではない。その横に「大穴牟知命」(1905)があったが、これはとくに印象はなかった。そのほかに小さい海の絵が3枚ほどあり、「輪転」(1903)というのもあった。「輪転」は女たちが太陽の光のなかで戯れているような幻想的な絵だったのを覚えている。
そのときの展示はその6点だったようだ。
激しく短い生涯だったんだなあと、改めてその中で描かれたこれらの絵を思い返す。
また、別の絵も見てみたいと思う。
友人たちが遺作展を開こうとして、絵を集めようとしたところ、「わだつみいろこの宮」の額縁代が払われておらず、他の絵が差し押さえられたりしていたことがわかったなどというエピソードもあるそうだ。
今は青木繁の作品は石橋・ブリヂストン美術館が多く所蔵しているが、どのような経緯でここの所蔵になったかも知りたいものである。
青木繁の生涯をテレビドラマや映画などで描いてもらいたいとも思った。