山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

同窓会準備など

2007-10-25 23:00:03 | 未分類過去
今日は、午前中動物病院にウサギの爪切りに行った。かなり伸びていた。
体重・体温を測り、聴診器で心臓やおなかの動きをチェックしてもらい、口の中も見てもらって、異常なしだった。ちょっと太り気味ではあるが、とりあえず健康で安心した。
抱かれるのがキライなウサギだが、自分のために何かしてくれているということがわかるのか、なかなかいい子にしていた。

午後は夫が銀行に行くのでいっしょに出かけて中華料理を食べた。その後は、解散し、私は夕方美容院にカラーリングとカットに行った。9000円とちょっとした。
自宅で染めれば節約できたが、面倒くさい。それにやはり美容院でやってもらったほうがきれいにできる。とにかく、かなり伸びてもいたので、来月初めの同窓会のためには美容院に行かないわけにはいかないのだった。しかし、髪の毛を整えるとなかなか気分がいいものだ。

美容院にいったついでに、量販店で割引セールをやっていたので、洋服を見てみたが、これといって気に入ったものはなかった。

実は、このあいだの火曜日、仕事の帰りに別の駅の量販店に行き、上着(¥9800)とスカート(¥4900)とセーター(¥3900)を買ってきた。そこは、もっと田舎の方向にある店なのだが、商品の品数も多く、陳列の仕方もセンスがあるように思えた。コーディネートされたマネキンもたくさん並んでいるので参考になる。また、試着室にフェイスカバーがあるので、かぶり物でも着てみることができる。だから組み合わせた感じなどもわかるのでいい。
そこで、グレーっぽいスカートをみつけ、それに合う上着を探していた。売り場には上着とスカートがセットになるかのように、数枚の同類のスカート群と数枚の同類のジャケット群が同じコーナーに下がっている。そういうコーナーがいくつかある。しかし、どうも同じ生地ではないし、全然合わないような気もする。なかなか合うものがみつからない。
その時間帯、店員さんたちがしきりに新しいものを出したり場所を移動したりしていた。
火曜日っていうのは、ちょうどお客さんが少ない曜日なのだろう。たしかにお客はあまりいなかったし、バーゲンもしていない。どちらかというと、この様子では近々のバーゲンに向けて商品を補充しているようでもあった。だから、あんまりいいタイミングじゃない。しかし、この店のチラシは私の家のほうには入ってこないからいつバーゲンなのかもわからないし、もしわかったとしても、その日を狙っていけるわけでもないので、その日に買ってしまうことにした。
品物を移動している若い男の店員さんに、ここにあるジャケットとスカートはセットになっているわけではないのかと聞いてみた。すると、今、移動中なのでまだでたらめで、今後合うように変更するとのことだった。そして、ちなみにそのスカートに合うものはこんな感じだろうと探してくれた。素材も色合いもちょっと違う。店員さんが選んだ上着はこげ茶がかった黒だった。スカート生地に多少光沢があるので、上着も光沢のあるものが良いのだそうだ。
色合いが違うのでこんなのが合うのか?と思ったが、その上着と、ためしに同種の黒い上着もスカートと合わせて試着してみた。すると、店員さんが薦めてくれたこげ茶がかったほうの上着が合うことがわかり、それを買うことにした。
こんな量販店の店員さんでも、やはり洋服には詳しいもんだな~と感心した。自分だったらなかなか見つけられなかったし、組み合わせてみようとも思わなかったはずだ。
人が少なかったので、そのほかにも思う存分いろいろなものが試着でき、バーゲンでないのもかえってよかったかもしれない。

家の近くの量販店は今日からバーゲンだったから、その店も今日当たり安くなっているのかもしれない。

買った服は、同窓会用というよりは、通勤着だった。やはり後々着まわしできるものとなると、通勤に最適なものとなる。同窓会に行くには豪華さがちょっと足りないが、しかたがない。

今日の店で同じようなジャケットを見ると、5900円くらいだったので、ちょっと高かったなあと思った。5900円のを着てみると変だった。
べつの店で、もっと高い上下のセットなどもあり着てみると、サイズはちょうど良いが、デザインが若向きすぎてどこか似合わなかった。やっぱり火曜に買ってきてよかったのだと思った。

カードで買ったので引き落としは12月である。ボーナスのない我が家はそのお金がどこからでるのかと不安だが、パートのボーナスが2万円出る予定なので、それを引き落とし口座に補充すればいいかと思う。

同窓会に向けての準備は、貧乏人にとってはなかなか苦しいものだが、ひさしぶりに洋服の研究などできてよかった。
いつもは、無駄遣いをしないように、洋服売り場には近づかないようにしているのだ。
お金に余裕があったら、きっといろいろ買って際限なく楽しんでしまう性格だと思う。
コメント

続「絵というもの」コメント内容に関して

2007-10-25 02:21:13 | 美術・美術館
2 絵というのは、単純に費やした時間のみを考えても、かなりの時間を労しているのだから、高いのは当然だ。

という内容に関しては、以下のコメントがありました。

「また生前その仕事が評価されず死後たいへんな価値として存在している作品もかなりあり、作品の価値と本人の生活がうまくなじんでいるとは限らない。ましてパートタイムの時給と同列に論じるというのはかなり乱暴だね。

2に関しては、その発想が生まれるまでの経緯が書いてなかったので、それについて書こうと思います。

あまり知られていない画家で、ちょっと家に飾るのにいいかなと思う程度の小さな絵でも、本物を買おうとすると何十万円もしたりします。
そういうのをかつては、何でこんなに高いんだ?と思っていました。
しかし、それがもし2~3万円だとしたら、もしかしたら額縁代と輸送費と画廊の光熱費と人件費と絵の具代だけで終わっているかもしれません。それを画家がどのようにして描いたのか?ということを、私は今まであまり考えたことがありませんでした。
たとえば、湖の絵だったら、遠くにある湖まで行き、どこかの宿に泊まり、何日かかけて描いたということです。単純に宿泊費と交通費を考えても数万円すっ飛んでいくでしょう。
たとえば、たいして才能がない画家で、普通の人よりもちょっと上手なくらいだったとしても、まあ、普通の人にはなかなか描けるもんじゃないし、湖までわざわざ行って描いたりなんかしないんだから、人間が手で描いた本物の絵が欲しいなあと思ったら購入するかもしれません。
そのときに、人間が手で描いた絵である限り、やはりある程度の金額は当然だと思ったのです。1枚50~60万で売れたとしても、様々な経費を考えたら画家の純利益は大したものじゃないかもしれません。

なんら、技術もない内職の人が絵の具で色を塗る仕事をしたって、1時間に数百円という収入にはなるのです。
そんな比較は下卑ているというか、問題外というところですが、単に技術面で言ってもずっと価値があることは確かです。
また、実際に画家がどれだけの手間や苦労をしているかと思えば、画家がその絵を創作した過程をもっと尊重し敬意を払いたいと思いました。

絵というのはそのもの自体の芸術性や価値で値が決まり、名作が論外に高価なのは当然です。名作は名作であるから価値があるので、画家が苦労したかしないかや労働時間などは関係ないといえるでしょう。
それはわかっていますが、たとえざらにあるような絵であっても、それが人間の手による一枚きりの絵であるということで、それに相当する価値はあるだろうと思います。いや、その労力を私は認めたいと思います。
(だからといって、駄作を喜んで買うわけじゃないですが・・・)

よく、手編みのセーターなどが5~6万円もすると驚くわけですが、それも技のある人が時間をかけて編んだものであり、驚くに値しないかもしれません。
コンサートを聴きに行くのにも数千円もして驚きますが、それも誰かがぼろもうけしているわけでもないかもしれません。
結局、人の手のわざというのは高いものなんだってことが言いたいことでした。

最低限の必要経費の上に、その絵の芸術性価値などが加算されれば、さらに莫大な金額になるということですね。
コメント

「絵というもの」コメント内容に関して

2007-10-25 01:33:14 | 美術・美術館
「絵というもの」について次のようなコメントがありました。

「ルネサンス以前は特に、芸術家という存在は無かったに等しかった。彼らは依頼を受け「職人」として自分の創ったものを売って生活したわけだけど、それは現代の職人も同じではないだろうか?たいていの仕事は自分の手元を離れるものだから、ことさら画家だけを特別視するのはどうだろう?また生前その仕事が評価されず死後たいへんな価値として存在している作品もかなりあり、作品の価値と本人の生活がうまくなじんでいるとは限らない。ましてパートタイムの時給と同列に論じるというのはかなり乱暴だね。

取り急ぎそちらにコメントをつけましたが、もう少しちゃんと書こうと思います。

私が最初に書いた内容は次のような趣旨です。
1 画家は自分の作品を手放すことが寂しくないのだろうか。自分の絵の行方は気にかからないのだろうか。
2 絵というのは、単純に費やした時間のみを考えても、かなりの時間を労しているのだから、高いのは当然だ。

コメントに関連する部分でもう少し詳しく書きたいと思います。
1について

私が書いた画家というのは、ルネサンス以前の職人としての画家のことではなく、芸術家としての主に近現代の画家のことです。
芸術家としての画家は、売れないうちは展覧会などに出展し賞を取ることにより名を上げるでしょう。そういう時に描く絵というのは、注文された絵ではなく、自分が表現したい絵を描いているのであり、職人とは違います。
職人とは、多くは注文されたものを注文されたように創作し、その費用もあらかじめ計算されていて、それに見合ったものを造り、最初から手放すことを前提としている。
しかし、画家は手放すことを必ずしも前提とはしていないのではないでしょうか。展覧会で入賞した絵を売らないということもあるでしょう。しかし、買いたいという人がいたり、美術館に展示したいという話になれば売るということにもなるでしょう。
その後、売るための絵をつぎつぎに描くなら、それはそれで手放すことを前提とした職人的な感覚もあると思います。

自分の絵に対する愛着というのは、入江観氏の話を聞いたときに思ったことでした。
どの絵がどういうときに描いたものなのか、画家というのはちゃんと覚えているようです。
絵は自分自身の歴史ともいえるでしょう。
本人にとって印象深い絵とそうでない絵があるかもしれませんが、どの絵はどこの美術館にということもちゃんと把握されているようでした。
絵は自分の子どものようなもので、ひとり立ちした子供は手元には置かなくてもいいですが、人から愛されどこかで元気にしていてほしいものではないでしょうか。
どこかの役所で画家から借りた絵を倉庫にほうり込んでおいて、ゴミと間違えて廃棄してしまったなどということがありましたが、そのようなことは作家にとって非常に悲しいことだと思います。もし高額で買われたとしても、その絵が紛失してしまってこの世にあるのかどうかもわからないというのは本当に残念なことでしょう。

普通の職人も自分の作ったものを大切にしてもらいたいと思うでしょうし、それが一点ものであれば思いいれも強いかもしれません。
「ことさら画家を特別視するのはどうだろう」とのことですが、私は単に画家について思ったことを書いただけであり、何かの中から特別なものは画家だけだと言ってとりたてているわけではありません。
対比しているものは、物体でない芸術です。文芸や音楽は作者の手元から離れる寂しさはないということとの比較でした。

自分自身が、画家とその作品とのつながりについて今まで深く考えたことがなく、初めて考えたことだったので書いたというだけです。

また、原作を生み出す画家は芸術家、その複製画を描いたり修復などする人はそれなりの技術をもった職人じゃないでしょうか。

2については次回に書きます。
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