山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

明日から仕事

2007-10-08 21:45:36 | 未分類過去
なんと、4日間も休みだった。岡倉天心シンポジウムのために、休日を一日ずらしたらそういうことになってしまった。
それで、完全スイッチオフ状態となってしまったので、今度は再起するのが大変である。
また、仕事がたまっているのかな~

金曜と土曜はそういうわけで、美術関係の情報収集に出かけたが、土曜の帰宅後は体力減退で昼寝。日曜は庭の草取りをしようと思っていたのだが、以前掘り出してあった球根を植えたのみで、昼を食べるために休憩したまま放置。きょう続きをやろうと思っていたら雨が降ってきたのでやめた。そして、また今日も昼寝。
2日間ほとんど何もしなかったので、体力は消耗していないはずだが、なんだか調子がでない。
明日、着て行く服が無いな~と思う。中途半端な温度である。夏物では寒いし、そうかといって厚手の冬物はまだ早い。
中性洗剤で洗うはずだった秋物の服が、中性洗剤を切らしているので洗えない。洗剤を買いに行くのが億劫である。いったい何をしているのだろう。
あまりにも、行動力が無さすぎる。

なんとなく、「青木繁と画の中の女」(中島美千代)という本を読んでいる。「海の幸」という絵の中のサメをかつぐ漁師たちの中に妙に白い顔をした人がいてこっちを見ている。たしかに本物を見たときもちょっと印象に残っていた。他の男たちの顔が土色で原始人のようであるのに、妙になまめかしいのだ。
その顔は恋人「たね」の顔だとのことだ。青木繁は若くして亡くなったが、愛する女性との間に子どももいたということを知った。美術館の印刷物では、貧しく不幸な短い生涯を終えたという概要を読み、地味ではかない人生だったのだと思いこんでいたが、そんなに燃えるような事実があったのだと驚いた。恋人の顔はいろいろな作品の中にあるとのことだ。絵の中のミステリーっていうか、なんか見てはいけないものを見てしまったような、異様な気分に取り付かれた。
こういう画家の生涯を取材して調べて検証して文章にする著者もいるのですね。

まあ、とにかく明日から仕事だ。
文学でもなく、美術でも芸術でもなく、物理化学の世界へ戻らなければならない。

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親から受け継いだもの

2007-10-08 14:29:02 | 未分類過去
人のルーツを見て、感動したりしている私ですが、私自身はなんのへんてつもない家庭に育ち、平凡な父母を目の当たりにして育ちました。
政治家の子どもは政治家に、俳優の子供は俳優に、医者のこどもは医者に、などと遺伝子と環境の影響を受けて、親からのルーツを感じさせる人が多いです。
自分は何なの?と思うと、大して能力もない親から生まれた子どもであるゆえ、なんら才能を開花させることもできないのが当然です。
姉はクラシック音楽をやっていますが、先祖が特に音楽好きだったわけでもありません。とくに何もない親から、特に何も受け継いでいない存在というところです。

しかし、思い出したことがあります。
私の父は、絵が好きだったのです。子どもの頃、家に画集みたいな本があったのを覚えています。
そして、父は自己流で絵を描いていました。それは絵の具でなのですが、自分で切った画用紙大のベニヤ板に書いていて、その描き方は印象派のような点描を取り入れたものでした。
だから、私が小さいころ、父は私にその描き方を教えました。樹木などを書く時に、一面に緑色で塗ろうとすると、木の葉っていうのは全部同じ色ではないだろう、と言って、いろいろな色を点々とつけていく塗り方を教えてくれたのです。明るさや濃さの違う緑や黄緑、時には全然違う色などを混ぜて点を重ねると、ずいぶんいい感じになりました。だから、写生大会で私がそんなやり方で海や山に色を着けていると、同級生がそれをものめずらしげに見にきたりしていました。中にはやり方を教えてという子もいたりしましたが、やはり他の人は海は青、山は緑だ、というのを曲げず、その手法を取り入れた友人はいませんでした。私はそういう父の色つけのやり方を取り入れたおかげか、たまに写生で賞を取ったこともありましたが、物体の形や人間を描くのが下手でした。クラスにはものすごく絵のうまい男の子もいて、足元にもおよびませんでした。

父の仕事は木工でした。建具を作ったり修繕したり、そのほかに内装などをするのが仕事です。父は子どもの頃建具屋をしている叔父の弟子になり、そこで修行を積んだとのことです。父の叔父の家は家具の店をやっていましたが、箪笥やテーブルなど普通の家具のほかに、自然木の形をそのまま利用して作った変な動物の置物など、奇妙なものがたくさん展示してありました。
父はそういう叔父の弟子ですから、木の額縁なども自分で作り、そこに彫刻の装飾なども施していました。それには自分の絵は入れず、私たちが子どもの頃は、姉のそろばんの表彰状などを入れて飾っていたものです。オルゴールや宝箱なども父が木に彫刻をして作ってくれました。勉強机や箪笥も父の手作りでした。

こうしてみると、父は木工職人でしたが、芸術家の要素を持っていたようです。

60歳になる前に死んでしまいましたが、老後生きていたらきっと絵を描いていたでしょう。
母は父が生きているときには父の絵には関心を示しませんでしたが、死んだとたんに家の中に飾ったりしています。
絵の勉強なんかしたこともない父なので、上手な絵ではないですが、今では父の形見となっています。

私が、絵を好きなのはそんな父のルーツかもしれません。
そういえば、母は母で父の死後に水墨画を何年か習って描いていました。
私自身も、絵を描くのは嫌いではありません。
私の中学までの成績は、美術と音楽が一番よかったです。(単に他ができなかったってことですが・・・。)高校ではどちらかを選択しなければならなかったので、音楽をとることとなり、美術ができないのが残念でした。

老後に時間がとれるようになったら、自分でも絵を描いてみたいと思っています。

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ルーツ

2007-10-08 13:36:56 | 未分類過去
このあいだ、アメリカ兵だった生き別れの父親を持つ日本女性が、アメリカにいるその実の父親と再会する番組をやっていた。その女性は、認知されてはおらず、幼い時に父が帰国したまま音信不通だった。彼女は父親がいないということ、さらにハーフであるということで、寂しい思いや辛い思いをして育ったが、自分がこれから親となる時期に至り、ついに父親と再会したいと決意したそうだ。
そのことに関して、番組では会うべきか会わざるべきかという議論がなされたが、出演者の中には、父親はすでに新しい家庭を築いていて過去には触れたくない可能性も高いので波風をたてるべきではないというような意見もあった。このようなケースでは、確かにそういう場合が多いようだ。子どもを捨てて去っていった親は、会いたい気持ちはあるが、再婚して新しいこどもできたから、もう関わりを持つことはできない、だからそっとしておいてという人がいる。
番組では結局、ゲスト数人の意見が再会することに賛成という結論にまとまり、いよいよテレビ局が父親探しをした。
そこで、父親を訪ね、その娘の名前を言って、知っているか?と聞いたところ。父はすかさず何の躊躇も無く「もちろん知っている。それは、私の娘だ。」とはっきり答えた。
そのときの嬉しい驚きといったらなかった。いったい日本人の心配と取り越し苦労はなんだったのだろうか?父は日本で子供を作ったことを、消したい過去とも思っていないし、ずっとずっと自分の娘を愛し続けていたのである。それこそが、その子の存在の肯定である。
そんな気持ちがあるなら、手紙や養育費を送るのが普通ではないかと日本人は思う。だから、そういうことをしないということは、娘のことなど忘れて、かかわりを持ちたくないと思っているのだろうと思ってしまう。責任を放棄したものは、愛もないのだというのが日本人の論理である。そして逆に愛はなくても責任を取るべきだと考える。
しかし、この場合その常識はあてはまらなかった。責任は取らなくても、愛は惜しみなく注げるものらしい。一種の目からうろこが落ちた気分だ。
しかし、「愛があった!」ということは、何にも増して嬉しいことだった。
そして、アメリカの祖母や、異母兄弟の弟たちや親族が、全部あなたの家族です、と友好を示したことも驚きだった。
ちなみに、この家族は黒人系で、すべてのアメリカ人がこういう行動様式をとるわけではないだろうが、日本と違うことは確かだ。日本は何かに縛られすぎていると感じる。
日本の場合、過去に子どもを生ませて置いてきたことが、人生の失敗とか、罪悪感とか、そういう考えに強く結びつきすぎる。しかし、アメリカではそうではないようだ。離婚再婚が特別な状況ではない社会だからなのだろうか?

父親は日本まで会いに来てくれた。もちろん旅費や出演料をテレビ局からもらえるからかもしれないが、それにしてもアメリカでも明るい家庭を築いているまともな家族のように見えるので、何か裏があるとか表向きのポーズであるようには思えなかった。

父は成人した娘を抱きしめて、会えて嬉しい、一日も忘れていなかった、愛している、など思うことをしっかりと話していた。謝罪よりも愛を述べる。
こういう姿もやはり日本人のとる行動とは違っていた。日本人はあまり具体的な言葉で気持ちを表現したりしないし、感情も抑える傾向にある。それは、愛よりも謝罪が優先されるからだろう。しかし、こういう場合、愛を優先させるアメリカ人のほうが、感動を呼ぶ。

番組の出演者の中に室井佑月さんがいて、最初から「アメリカ人って、映画をみていてもそうだけど、途中で何かいろんなことがあっても、最後には愛しているよって抱きしめてハッピーエンドじゃないですか。だから会った方がいい。」と言っていた。ほんとうにそのとおりになったので、室井さんはすごいな~と思った。

この番組、再会するかせざるべきかについて、私は「再会する」を支持することが多い。
会いたいと思ったら会えばいいだろう。結果が良いとか悪いとかはあまり関係ない。
会わなければ何も始まらないからである。

アメリカ人の父と、日本人の娘が再会して言葉を交わしたときに、やはり言葉の重要性を感じた。アメリカ人の父は英語でいろいろ語っていた。娘は意味が通じたようだが英語で答えはしていなかった。父は「ごめんね」と片言の日本語も少し話していたようだった。

この子にはこの父の血が流れていて、アメリカに祖母も親戚もいるということが、急に大きく感じられた。この子の半分のルーツはアメリカ人である。しかし、あまりにも日本の風土で育っているのだ。この父のようなアメリカ人的思考をこの子はもつのが、生きていくうえでプラスになると思うし、そして英語も話せるようになったほうがいい、と思った。

今まで、父に会うこともなかったので、そういう実感はなかったのだろうが、この子は今後自分のルーツを開拓するのがいいと思う。
英語を勉強してアメリカにわたってみるのもいいのではないか。
ハーフではなくてダブルなんだから。

父を知ることによって、自分自身を知ることもでき、生きる自信が持てるはずだ。
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趣味と学問の違い

2007-10-08 01:29:19 | 美術・美術館
親しくしている友人で、絵の好きな人がいて、以前エッシャー展にいっしょに行ったことがあるのですが、今度また国立新美術館や上野の美術館の洋画の展覧会にいっしょに行こうということになっています。
しかし、どうもこの人と私は趣を異にしている。
この人は、好きな絵というのが決まっていて、自分の好きなものにしか興味をもたないようです。
また、勉強みたいなことは嫌いなので、講演などには興味を示しません。
私も好きなものの傾向はありますが、あまりこだわりません。むしろ、芸術的な評価が高いと世に認められているものについては、好き嫌いに関係なく鑑賞し、それについての周辺知識を得たいと思います。
でも、世の中にはそういうことをおかしいと思う人がいます。本当に好きでもないものを見に行くのは好きな振りをしているだけで、そのものの良さが自分でわかっているわけではないというのです。
絵は自分の感性のみで判断するものだということなんでしょう。そして、自分の純粋な感性のみで判断できない人間、つまり好き嫌いではなく、知識によって作品を見るものは、絵の愛好家としては失格だといいたいようです。
「あの人は絵なんか好きじゃないのよ、だって、何でもかまわず見に行くんだから」
「そういう人は、有名なものが好きで、絵そのものを愛しているわけではない」
そんなふうに言いたげな人がいます。

でも、そうなんでしょうか?
芸術というのは、本当に感性のみで理解できるものなんでしょうか?
名作といわれるものには、好き嫌いを超越したものがあるのではないでしょうか?

芸術というのは、感じるものでもあるけれど、学ぶものでもあると思います。

先日、実家の母から電話が来て、岡倉天心のシンポジウムを聞きに行ったのだという話をしたところ、誰といっしょに行ったのか?と聞くので、一人で行ったと答えると、いっしょに行く人もいないのかと驚いたようでした。
シンポジウムを聞きに行ったり、展示を見に行くのに人を誘わなければならない理由があるのでしょうか?私は一人のほうが行動しやすいのです。どこかにでかけるのに、同伴者がいるのがあたりまえ、いなければさびしいだろうと考えるような人との会話は疲れます。

絵の好きな人とどうしていっしょにいかないのか?と言われるなら、私は人といっしょに絵を見て楽しみたいわけではなく、絵についての知識を得たいのだということです。
そして、何が好きかと聞かれれば、絵が好きというよりも、学問が好きなのでしょう。

放送大学の「芸術の理論と歴史」で青木先生がおっしゃっていた芸術の理解の仕方が、このごろだんだんわかってきたような気がします。
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