山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

服装の不一致

2007-10-24 21:20:32 | 未分類過去
服について、2つコメントをいただきました。
それで、姉がなぜ私に対して服装を強制してくるのかを考えてみました。

人間というのは、自然にしておくと、気の合うもの同士、趣味の合うもの同士、価値観の一致するもの同士、などが友達となって一緒に行動するのではないでしょうか。
女子高生を見ても、同じような制服の着方、同じような化粧をしている子が集まっていっしょに行動しています。真面目な者同士、地味な者同士、派手なもの同士、遊び人同士などが集まります。
女子大生なども、似たような髪形、ファッション、体型、の人たちが一緒に歩いていることが多いです。並んで歩いている後姿などみると、双子のように見えることもあります。
姉とその娘も体型・髪型・服装など似ている部分が多く、一目で親子とわかり、お友達親子というか双子親子のようでもあります。

そういう状況の中にあって、30年間も離れて暮らしている姉と私は全く趣味も生活環境も職業も違い、それが服装や髪型の違いとなって表われているといえます。
その2人が並んで歩くとすると、似ているという調和は生まれないのです。
しかし、そこで、姉のほうとしては調和させようという動きがでてくるようです。

村上龍さんの小説だったかな、公園に集まる幼児を連れた主婦の集団で、ある一団は、ある一定の水準の容姿を持ったひとたちで構成されているというのがありました。
こういうことは本当にあると思います。
人々はそういう空気を一瞬にして読んで、自分がどこのグループに属するのかを判断しているのでしょう。まちがってもドブスでファッションセンスのないような人がそのグループに入っていくことはありませんし、そのグループの人たちも声をかけたりはしません。
もし、1-2回のやり取りがあったとしても、そのうちに居心地のよい似たものグループのほうに所属していくという流れです。

姉は昔から、そういう基準でグループを作りたがる人間だったようです。
姉は独身の頃、客船で海外旅行に行ったことがあったのですが、その中で親しくなったグループは全部容姿が美しいものの集まりだったと自分で自慢しており、その他の基準に合わない女性とはほとんど交流を持たなかったようです。そして、一定基準の3~4人の写真ばかりがあり、それについて、この人たちと仲良くなったけど「みんなきれいでしょ」と言っていました。
その客船には独身男性ものっていて、旅行期間中を通した一種のお見合いの場のようなものだったようですが、その中でどういう差別が行なわれていたかは、ある程度想像できます。優位に立つもの、無視されるものなど、おそろしい世界だったのではないかと思うのでした。
いい男グループがいい女グループに、変な男グループが変な女グループに誘いをかけるという関係で、ここでも空気を読まずにランクの低い男がランクの高い女に声をかけでもしようものなら、この人は何を勘違いしているのかしらとしらじらとそっけない態度で過ごすというようなことが行なわれていたと推測します。
男も女も容姿と学歴と社会的地位と年収などで分類され序列されているのでしょう。
そこでは多少学歴はなくとも容姿で点を上げる女性がいたり、多少容姿に問題があっても学歴と年収で点を上げる男などがいたはずです。
このことを思い出したのは、先日実家に帰った時に、姉がそのときの写真を引っ張り出してきて見せたからでした。同乗していたプロのカメラマンが撮ったとかいうことで、モデルのような写り方をしていました。年老いた今になって、若い頃の栄光を思い出したいのかなと思いました。

姉と私がもし他人であれば、全く接点を持たないはずの人間同士であり、一緒に行動することもないわけですが、家族という血縁関係がある以上いっしょに行動しなければならないときがあります。その時に、容姿やファッションセンスに独特の基準を持った姉が、私に対して同調しろという動きを見せるということでしょう。



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青いドレスの女(アンリ・マティス)

2007-10-24 00:08:36 | 美術・美術館
読書感想文というものがあるなら、絵画鑑賞感想文というのもあるわけですね。
それで、この間行った、フィラデルフィア美術館展で見た絵の中で印象に残ったものの中の1つについて書いてみようと思います。

青いドレスの女(アンリ・マティス)
この絵について詳しいことは調べてもいないので、たいしたことは知りませんが・・・。
マティスは、わざわざ、青いドレスを作らせて女性に着せて絵のモデルにしてこれを描いたようです。
明るく青く丸みのあるドレスで、白いフリルの飾りがついています。右手には白と黒の大きなビーズのブレスレットのようなものを付けていて、左手は左のこめかみのあたりを指差したようなかっこうをしています。この女性の手はものすごく大きいです。
髪は金髪で、長髪ではありません。
そして、顔、特に目はいい加減に手をぬいて描いてあるように見えます。
マティスは、この絵を何度も描いているらしく、その中には顔をしっかり描いたものもあるそうですが、最終的にこのようになったとのことです。
マティスが描きたかったのは女の顔ではなく、青いドレスだったようです。背景の壁やそこに飾ってある絵や、ソファーなど、赤と黄色と青と黒と白とわずかな緑という6色の配色でできている平面的な絵ですが、なんとなく楽しい気分になります。
やはり、顔はこんなてきとうな感じでよかったようだと思います。凝ってはいませんが、なかなかきれいな女の人です。絵全体の色合いも絶妙だなと思います。

物事というのは、何から何まで丁寧にくわしくやればいいというものではないようです。
文章なども、同じようです。どうでもいいところはいい加減にして、重要なところに力を入れよう。
芸術作品とは、このように、試行錯誤をした結果、最適な簡略化などして最高の形に落ちつくものもあるものですね。文学作品などもそういうことがあるでしょう。一見、雑な文章が入っていてもそれは作者の意図かもしれません。

それから、絵画では、習作とか無題とか、何気なく気楽に書いた絵がすごくよかったりすることもあるようです。
気合を入れれば必ずしもよい作品ができるとは限らず、ふとした心持の変換があったときに、ものすごく良い作品が作られることもあるようです。

この絵はマティスが明るい心持で描いたように思えますが、気合をいれて試行錯誤をしているうち、ふっと心の緊張がほぐれたとき生まれたのではないかと思います。



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