山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

自分の役割

2007-10-20 21:43:32 | 未分類過去
さっき、オーラの泉をみていた。ゲストは小雪さんだった。小雪さんは、結構好きなほうの女優だ。癖がなく、品がいいからだ。
その小雪さんは、自分が強い意志を抱いて女優になったわけではなく、アルバイトのモデルからとんとん拍子に女優になってしまったのだそうだ。しかしながら、小雪さんの悩みは、重要な役を演じたり賞を取ったりしてもなぜか満足感がないことだという。
それについて、江原さんの答えでは、女優は触媒だから自分の色を出さなくて良く、自分の色がないから何でも演じていろいろな色が出せるとのことだった。色がないのが個性であるとも言える。
さらに、美輪さんの答えでは、満足感がない、不満が多いということは感謝がないのだということだった。自分の過去を振り返り、一番悪かったときのことを思い出すと、今の自分が恵まれていることに気付く。不満を解決しようと努力することは人間としての前進にはなるが、不満ばかり思っているのはよくないから、うまくバランスをとり、今、与えられている立場で自分ができることに力を尽くすのが良いとのこと。
江原さんのアドバイスもいいが、美輪さんのアドバイスは心に響くことが多い。

私自身、何をやっても満足感のない、いつも不満をかかえぎみの人間である。しかし、このごろは素直に「会社の良き歯車となりたい」と思えるようになってきた。私の仕事は社員さんの仕事のアシスタントだが、優秀なアシスタントになりたいと思っている。
そして、それは自分の個性を出したり能力を顕示することではなく、めだたないところで、ちゃんとした役割を務めることだと思う。
私は、知的所有権に関する法務などの勉強もしたが、それは知財部の正社員の仕事に進出しようと思ったわけではなく、今の仕事をする上での自分のモチベーションを高めるためだったように思う。おそらく、そういうものを勉強しなければ、自分の仕事の意味も理解できず、ヤル気をもつことはできなかっただろう。
先端技術の活用や、権利の保護などについての知識が整理されたことは、それにかかわりのある文書の誤字や脱字をチェックすることにも、よりいっそう意義を見出すことができるようになったといえるだろう。これからは、さらに物理や化学の勉強もしていくが、それも自分が科学者になるためではない。

どんな仕事もバカにはできない。主婦業だって立派な役割である。25年もやっていてぜんぜんいい加減なのは恥ずかしい限りである。

地道に自分の役割を全うしよう!
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おててつないではキライ

2007-10-20 01:34:29 | 未分類過去
子どもの頃から、友達といっしょにトイレに行くなどということがあまり好きではない。
一緒に買物に行くのも好きではない。
それでも、協調性がないわけではない。
表面上、協調しているからこそ、自分自身にストレスがたまる。
たとえば、人と一緒に買物に行くと、ほとんど自分のものは買わずに付き合うのみとなる。
人が私の買いたいものを見ようと気を利かせてくれても、なんだか落ち着かないので、日を改めて一人で買いに行ったほうがいい。

ところで、放送大学の面接授業が近づいている。
それで、会社が休みの日に一緒にどこかへ遊びに出かけようと言っていた友人に、大部分の休日が、放送大学のためにふさがったということを話した。
すると、その友人は、それはどういうものかと興味を示すので、放送大学生でなくても、空きがあれば一般人でも申し込める授業もある旨教えると、自分も受講してみたいものだと言い出した。
そして、今度私が行く予定である英語の授業に自分も行きたいので、できたら申し込んでおいてくれなどと言い出すのだ。
この科目は外部の共習生を募集していないようだが、もししている科目だとしても、人が代わりに申し込むような類のものではないし、どうも本質をわかっていないような気がする。
「なんでもいいからあなたの受ける授業、私の分も申しこんでおいて」というのは変だし、「ちょうど、私も英語をやりたいと思っていたの」とは言っても、じゃあ、レベルは?内容は?という話である。本当に私と同じレベルでいいの?内容は主に英文の読解ですが・・・というわけだ。すると、「?・・なんだ、英会話じゃないの?」と来た。そして、「今度英会話があったらいっしょに申し込んで」という。
いやあ、それは自分がやりたきゃ自分で調べて自分で申し込めよ。
それに一口に英会話といっても、色々あるんじゃないでしょうか?何でもいいはずがないだろう。
つまり、内容よりも、暇だから友人と一緒のところに出かけたいということかな。
なんだか疲れるな~

この人、私に「女性の品格」の本を貸してくれた。特に読みたくはないのだが、わざわざ持ってきてくれたので読もうとは思っている。
この友人、女性の品格なんて強制されたくないと言いそうな雰囲気の人なのに、最近話題になった本であり、品格について興味があったので買ったのだそうだ。

先日一緒にでかけたら、満席の電車の中で優先席だけが開いていた。この人がそこに座ろうというので、まあ空いているからいいかと座った。電車は都心に向っている。次の駅では私たちより年上の人がどっど乗ってきたのでひやひやしてきた。若くても体調の悪い人もいるかもしれない。そのうち、本当に白髪頭の体力も衰え気味のお年寄りが乗ってきたので、私は席を立った。しかし、この友人、でんと座り込んでけっして立とうとはしない。具合が悪いわけじゃない。立った私のカバンを膝の上に持ってくれるというのは親切である。
しかし、この人のアタマの回路はどうなっているのかわからない。

昼ごはんを屋外のテーブルで食べていたら、風がぴゅ~っと吹いてきて、おしぼりの袋とレシートが机のそばに落ちた。
私のじゃなかった。当人が拾うかと思ったのだが、拾わないで食べていた。
食事中だからかと思い、席を立つ時についでに拾うのかと思ったらやはりそのまま片付ける気はなかったようだ。
落ちるところは見ていたはずだが、自分のものだと思っていないのか、私が拾おうかとも思ったが、本人がしないことを私がするのもどうかと思い、躊躇した。しかし、ゴミを放置したまま立ち去るのはうしろめたかった。

こういう人が、何で「女性の品格」を読みたいと思うのか理解できない。そして読んでも品格なんか身につかないわけだ。にもかかわらず、人に勧めるという矛盾。まったくもって不思議だ。
流行と人付き合いのためかな。

(この人は、パソコンを持っていないとのことなので、本人が読まないという前提で書いてしまいました。)
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デジカメショック

2007-10-20 00:24:29 | 未分類過去
私の周りの人って、普段あんまり美容の話などはしないのだが、今日はたまたまシミ・ソバカスの話になった。
若いときスポーツなどしていた人は、紫外線に当たった結果が中年になってシミ・ソバカスとなって出てくるので、いろいろと気を遣っているらしい。
毎日、念入りな洗顔やパックなどしているそうだ。
そうやって手入れをしているからか、特に目立つシミもなく、きれいな肌をしているように見える。
うちの会社の人は理系人間が多いので、その点が面白い。
あらかじめデジカメで肌の状態を記録しておき、数ヶ月手入れをした後に再び肌を撮影し、その変化を確かめなくては意味がないという。
確かに、ある化粧品を使ったり、ある種の手入れをして、きれいになったような気がしても、本当にきれいになったかどうかは、客観的データを見なければわからない。
へえ~~~と思った。
それで、早速家に帰るとデジカメをマクロにセットし、自分の顔に向けてシャッターを押し、10数枚撮ってみた。
それをパソコンに取り込み、拡大してみると・・・
ぎゃ~~~~っ!!!
お化けだ・・
すっごくキタナイ。
どこのババア?
いや、これが私なのだ。
事実に目をそむけてはいけないのだ。
シミとシワがすごい。
毛穴のひとつひとつに色がついているようだし、特に鼻の頭や小鼻の周りの毛穴が真っ黒である。
ううっ、これは何とかしなければいけない。
普段、自分の顔は見えないけど、これじゃ、私の顔をいやでも見なければならない他人様がお気の毒である。
というわけで、これから、洗顔・マッサージ・うるおい補給など、いろいろやってみようと思います。
私の場合、3年間のアンテナ調査の屋外歩き回りと、3年間の日本語教師徹夜生活が、肌に知命的な打撃を与えてしまったようです。
とりあえず、1週間後に撮影した肌画像が今日より少しでもきれいになっていればうれしいですね。
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