山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

パソコンのない時間

2010-03-09 21:22:30 | 日記
3月4日から7日まで、パソコンのない時間をすごしていた。
そうしてみて、いかにパソコンが日常生活に欠かせないものとなっているかがわかった。
大部分は、ブログを書いたり読んだりして油を売っている私であるが、いろいろなことを調べるのに使っている場合が多いことに気付く。
だいたい、パソコンが不具合を起こしたときも、パソコンで「画面がチカチカする」などと入れて故障原因や対処法を検索していたのだった。
そのほかにも、ちょっと車で知らない店に行こうと思った時、道路や駐車場の様子を知るために、グーグルマップで航空写真を見たりできるのもすごく役に立つし、旅行に行くための交通手段やレストランなどの情報を得るのにもパソコンが便利だ。また、夕飯のメニューのレシピなんかも料理の本を買うこともなく知ることができる。
ニュースもパソコンで読んでいた。

そんなパソコンがなくなると、とたんに時間の使い方を持て余してしまった。
そこで、珍しく新聞を読んだりした。
それに本も読んだ。荻原浩の「オロロ畑でつかまえて」を読んだ。
村上龍の「共生虫」を読み始めた。
そうだ、きっとパソコンがなくなると、私は「読書」をするようになるに違いない。
しかし、ものが書けないということでは、何か非常に物足りないものを感じた。頭が整理できないのだ。大学ノートを用意して、昔のように日記を書こうかと思ったが、そこに物体としての文字を残すことが不安でもあった。また、文字を書いたり消したりすることはかなり面倒そうである。パソコンのように打ったり削除したり、速やかにできないわけだ。手で字を書くということは、今でも自分にできるものだろうか。

それから、ブログっていうのは、人に読んでもらうことを想定しているのだ。それは、ひそかに自分だけで書いている日記とはあきらかに動機が違うようだ。いつしか読んでもらうことを生きがいにするようになったのかもしれない。
それで、パソコンの無い間、私は自分のために手で日記を書いたりはしなかった。

携帯でブログをやろうかと思って説明書を出してきたが、結局わからなかった。投稿の仕方だけは知っているのだが、携帯で自分のブログを見れないのに、送る気にはなれなかった。また、携帯でインターネットを使うとどれだけ使用料を取られるのか、たぶん私はパケ放題なんかには設定してないはずなのだった。

そんなわけで、それじゃあ、ネットカフェにでも行ってみようかと思ったのだが、これも入口の看板など偵察して見たところ、ブース席というのはたぶん個室のようになっているのだろうが、それは自由席の倍くらいの値段であり、自由席というのは、ただパソコンが並んでいるような感じだった。それほど高い値段ではなさそうだったが、そこで落ち着いてブログなど書けるかどうかわかないなあと思ったりし、結局入ることはなかった。
ネットカフェに入るのは、ガソリンスタンドを初めて使うくらいの緊張感なんじゃないかと思う。ま、使ってみればガソリンスタンドと同じでなんてことないんだろう。

そうこうするうちに週末になり、電気屋に行く時間が取れたので、さっそくパソコンを買った。夫は電気製品大好き人間なので、すべておまかせで、わたしはついていっただけだ。
以前のも東芝のdynabookだったが、今度もまたそれである。ノートは東芝がいいとか言ってる。いつしかWindows7というものになっていたらしい。容量も以前のものよりずっと多く、速度も速い。形はちょっと横長になった。横は長いが画面の高さがないので、小さくなったような気もする。

パソコンが開けない間は、自分のブログもはるか知らない世界に行ってしまったようだった。
このままパソコンなしの生活になったらどうなるんだろうと思った。自分の知らない世界で自分の書いたブログが誰かに読まれることはあっても、それは落し物のようにずっとそこに放置されているのかもしれない。ときどきずっと放置されているブログがあるけど、そういうのはパソコンが壊れたのをきっかけにやめちゃったのかもしれない。
ブログで知り合った人たちとは一度も会ったことがないし、これからも会うことはないのかもしれないが、このまま交流が途絶えてしまうというのは、何かすごくさみしい気がした。
だから、ブログはずっと続けるんだろう。
そうだ、きっとブログはもはや自分にとってやめられないものとなっているのだ。

一方、ブログでやりとりさせていただくうちに、それがとても心強い友のようになり、心のよりどころになってしまっているわけだけど、それを心のよりどころにしている代わりに、実際に身近にいる友人や知人をあんまり大切にしてない自分にも気がついた。
インターネットが切れたらもう何のつながりもなくなってしまう人たちだけを頼りに生きているってのは、やっぱりよくないのかもしれない。

でも、それはけっしてバーチャル世界ではないことは事実である。

何を書いているのかわからなくなってきた。
実は、書いている途中で人が来て数時間中断したので、ますます支離滅裂になってしまった。

パソコンがないと、夜更かしもせず、大体12時ころには寝た。
きっと新聞を読んだり、本を読んだりするし、テレビも見るようになるのだろう。
身近な人間を心のよりどころにするのかもしれない。情報も身近な人から聞くようになるのかもしれない。
それはそれでいいことかもしれない。

でも、やっぱりパソコンがあるのだから、パソコンの世界も大いに活用したいと思う。

これからもよろしく!


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クラクション

2010-03-09 18:34:22 | 運転・車・道路の事
交差点などで、ちょっとしたことで、後ろからクラクションを鳴らす人って、いったい何を考えているんだろう。

昨日、用事があって夕方少し運転をしたのですが、交差点で先頭左折するとき、横断歩道がものすごい歩行者なのです。大群が渡ったあとも次々に渡り始める人がいるため、横断歩道の前で停止していたら、後ろからクラクションですよ。直後の車ではなくもっと後ろの車だったようです。
たしかにまだ至近距離には接近していない人間がいて、進んでしまうことができなくはないような間はあったのですが、なにぶん自動車学校時代は、横断歩道近辺に人間が向かっているだけでも、停止しなければ強制ブレーキ、検定だったら即刻中止で失格となるところです。ですから、すでに横断歩道上で車の前方に向かっている人間がいるにもかかわらず強引に進んでしまうなんてことは考えられないのでした。

しかし、人も人で、若い女の子が足が悪いでもないのに、チンタラ渡ってるんですね。
私なんかは自分が歩行者の場合、曲がろうとしている車がいたら、横断歩道は走って渡りますけどね。
人は「歩行者優先よ」と言わんばかりにノロノロ、うしろの車はイライラ、こっちはどうしたらいいんだ~。

それで、右から渡ってきたチンタラ少女がやっと通り過ぎた時にアクセル踏んで発車しましたが、そのときには左から2台の自転車が渡ろうしていました。それを知ってて強行ってのもなんか後味悪いです。
それで、後ろの車はどうしたかとルームミラーで見ると、なかなか来ませんでした。
やはり自転車の通過待ちでしょうね。

右折ばかりでなく、左折さえも難しいなあ。
きっと交通量が多い交差点は、強引に人間の合間を進んでいかないと、信号が変わってしまったりして、左折レーンの車がなかなか曲がれず、渋滞してしまうのかもしれません。
だから、もっと要領よく、しかも危険でない状態で進んでいかなくちゃいけないとは思うけど、後ろからクラクションなど鳴らされると焦ってしまって、強引な判断をしてしまうこともあり怖いです。

そういえば、このまえも5差路の交差点で先頭直進するときに、左方向に2つの道路が放射状に交差していたんですが、その奥のほうの道路に右から来て左へ進もうとする車が、何かの事情(前が渋滞?)で進めず、私が直進する路上に横向きに止まっており、こちらは青になったものの、進路をせき止められている状態。それで、停止線の手前に止まったまま様子を見ていると、やはり後ろ(直後ではなくもっと後ろ)からクラクション。
ちょっと迷いましたが、もし、その車が動かないままでも、左に伸びる奥の道路と手前の道路の間の又の部分に車が1台くらいは止まれるスペースがあったので、交差点内をそこまで進むことにしました。
そこで待機していると、ほどなくその車は進んで行き、こちらも進むことができました。

しかしこれも、そこまで進んだからどうだというのか。
交差点の中がごたごたするだけだし、どいてから進んだところで、そんなに時間の差があるとは思えません。
たしかに、前の車が進めるだけ進んでおけば、手前の道に左折するとか右折するとかする後ろの車は通れるのかもしれませんが、そんなに無理に進んでどんないいことがあるんでしょうか。
進む場所がない場合は信号が青でも進んではいけないという教習中の教えも、実際にはクラクションでせかされ・・・。だから接触事故なんかが多発してるんじゃないでしょうか。

クラクションを鳴らされると冷静な判断ができなくなるし、気にしないようにしようとは思っても何らかの影響をうけます。

なんか、クラクションていやだな~。

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パソコン購入

2010-03-09 00:08:05 | 日記
お久しぶりです。
やっとブログ再開です。

今まで使っていたパソコンは結局再起不能になってしまいました。
修理に出してももう古いので、昨日新しいのを買ってきました。
考えてみると7年近く使っていたようです。
中に入っていたデータは結局そのまま移すこともできず無きも同然です。
まさかこんなに急に壊れるとは思わず、本体以外のどこにも保存してなかったものばかり。
ワードやエクセルで作ったものや写真画像もけっこう失ってしまいました。
どうしよう~~~
しかし、まあ、無ければ無くても生きていけるから、あっさりあきらめよう、
という感じです。

自分の日記はブログとして保存されていてよかったです。
いつも読ませていただいているみなさんのブログは
ブックマークに記載してあるのもあるし、
そうでないのもだいたい題名を覚えているので、検索で発見できるため、
行方不明のままということはなさそうです。

一番の支障はメールの記録が無くなったことかもしれませんが、
どんな重要なものがあったかどうかさえ、今のところ思い出せません。

これからは、もっとちゃんと、バックアップっていうんでしょうか、
本体以外のところに記録しとかなくちゃいけませんね。

今回の教訓
・重要な記録は本体以外に保存しておく。少なくも印刷または手書きで残しておくこと。
・機械も生き物もいつ突然どうなるかわからない。だから万が一のことに備える必要があるし、いつ別れがやってくるか予測できないので、大切にしなければいけない。

以上。


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