山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

お昼

2010-03-22 21:49:26 | 日記
府中の森公園についたときは、ちょうどお昼だったので、おなかが空いてきました。
空腹のまま絵を見るのもつらいので、美術館のあたりを歩いてみると、同じ建物の中に小さなレストランがあったので、先にお昼を食べることにしました。
チキンライスとコーヒーです。セルフサービスで960円と手ごろな値段でした。
お腹もいっぱいになり落ちついたところで、美術館に入りました。

府中って、今まで縁もゆかりもなかったところですが、なかなかいい場所じゃないかなと思います。美術館もなかなかセンス良くできていますし、何よりも係りの人がとても感じがいいです。

この展覧会もかなり貴重なものじゃないでしょうか。江戸時代の版画家、歌川国芳の作品が230点も展示されているのです。みごたえありました。
それで、入館料600円、駐車場無料、そして都心で開かれる展覧会と違って人が居すぎないので、落ちついてゆっくりと作品を鑑賞することができました。音声ガイドも利用しましたが、常設展の解説まで入っていて、とてもわかりやすく、しかも値段が300円。普通の美術館だと、入館料は1000円くらいするし、音声ガイドも500円くらいします。

公園は、芝生の広場あり、日本庭園や池もあり、桜並木やその他の花、噴水、グラウンドやテニスコートなどもありました。
美術館で展覧会などがないときは有料駐車場を利用することになりますが、1時間300円、30分超過ごとに100円というのは、普通の都立の公園と同じようです。

これからは、美術館の催し物をねらって足を運ぶことにしようと思います。
3時ころ、無料駐車場のほうは満車になっていました。有料のほうも満車に近いようでしたが、まだ少し空いていたいたようです。
どっちにしても、早めに行ったほうがいいようです。

ところで、公園の芝生広場には小さなお子さんを連れた家族連れが多く、美術館には年配の夫婦なども多かったようです。
今日は、夫は仕事なので、私はいつものごとく1人ですが、夫の仕事が休みだったとしても美術などに関心のない夫は付き合ってくれそうもないゆえ、今後も1人での行動になりそうです。
そういえば、50くらいの子育ての終わったような年代のおばさんってのは、きままに単独行動をしている人も多いようですね。誰にも束縛されずいいのかもしれません。
でも、今度は美術好きの友人でも誘って一緒に行くのもいいかなと思います。
コメント

府中市美術館へ

2010-03-22 21:04:21 | 運転・車・道路の事
一昨日、現地まで行って時間切れで戻ってきてしまった府中の森公園内にある府中市美術館に、今日行ってきました。今日は、午前中に出発したので、昼ごろには到着しました。

それが、また「塞翁が馬」だったわけですが、一昨日帰宅してからパソコンで調べていたら、ちょうど府中市美術館で「歌川国芳展」というのをやっていて、美術館を利用する人は無料の臨時駐車場というのを使えるということです。なんというラッキー。
美術を見るのは好きだし、一石二鳥じゃないですか。
それで、無事到着し、その駐車場に入れ、昼ご飯を食べ、美術を見て、公園内を散歩して帰ってきました。

今日は、走るだけじゃなくて、車を降りて何かするという目的を達成したぞ!

歌川国芳展については後で書くとして、まず、運転のことから。

一昨日は、当初の予定では五日市街道から柳橋交差点を左折し、武蔵境駅方向に進み、武蔵境通りに出て南下し、野崎八幡前で東八道路に右折し、それから最終的に前原交番前で小金井街道に左折して入る予定でした。しかし、ナビに従っていたら、五日市街道をそのまま進み、小金井街道に行ってしまったのです。いずれ小金井街道に行くとはいえ、小金井街道はいつも渋滞するのでいやなのです。
それで、今日は、自分で考えたように、ナビを無視して行きましたが、武蔵境通りよりも、それと並行して西側を走っている「かえで通り」というのが地図でみると広いようなので、途中からそちらに移動しました。そして野崎西交差点で東八道路に出て、前原交番前で小金井街道に曲がりました。
かえで通りが、東八道路に出る手前のところでちょっと渋滞していましたが、東八道路はスイスイでした。東八道路好きです。以前は、府中運転免許試験場のところを走るのが夢でしたが、最近は普通によく走ってます。
そして、小金井街道から府中の森公園の交差点で一本木通りに曲がるとほどなく、左側に臨時駐車場があってすぐにわかりました。

さて、帰りですが、一昨日はナビの言うとおりにしたら、狭い人見街道に案内されてしまったので、今日はそれも無視し続け、東八道路にも曲がらず、新小金井街道をずっと北上し、茜屋橋で五日市街道に出ました。五日市街道も小金井あたりがちょっと渋滞していたのですが、東八道路は一昨日の渋滞のこともあるし、久我山あたりから東に向かって狭い道路になってしまいそこもいつも渋滞しているため、今日は五日市街道から青梅街道に出て帰ってきました。
青梅街道は、車は多いけれどスイスイ走ってました。

距離は、一昨日と同じところまで行ってきて、今日のほうが5kmくらい多く走っています。帰りの新小金井街道が遠回りだったかな。でも、走りやすかったですね。

やはり、ナビにまかせるよりも、人間が考えた道を行くほうがいいようです。

コメント (2)

しらけ世代

2010-03-22 01:22:28 | 日記
先日、同僚と話していたところ、「バブル世代」という言葉が出てきて、「それはいったい何ですか?バブルのころ生まれた子供?」と聞くと、そうではなく、「バブルのころに成人し、就職した人たちの世代」をいうのだそうだ。

それを、ずっと下の世代の人から教えてもらったのだが、恥ずかしながら、そんなことも知らなかった。

バブル世代の人たちは、非常に景気がよかったので、贅沢が身についてしまっているのだそうで、景気が悪くなった今に至っても、贅沢を止めることができないのだそうだ。
高級品を買ってしまったり、ついタクシーに乗ってしまったりするらしい。
具体的な年齢をいうと、1960年代後半に生まれた人たちを言うそうだ。

それでは、自分は何世代というのだろうと思ってしらべてみたら、「しらけ世代」ということがわかった。1950年~1964年をいうのだそうで、かなり長い期間のようだ。
この世代は、学生運動が終わった後の世代であり、未成年や子供のころにオイルショックを経験している。当時は三無主義などという言葉もはやっていた。
何をするにもバカらしく、熱意を持てない部分もあった。

バブル世代の人たちに比べると、かなり地味である。

また、しらけ世代の直後に「新人類」と呼ばれる人たちがいる。新人類は1961年~1970年であり、一部、バブル世代にも重なっている。しらけ世代の後が新人類であるのだから、それ以後のバブル世代も当然のことながら新人類ということになり、ことさら新人類などと言うまでもない新人類が現在に至っている。

そういえば、中学のころから、ちょっと年下の学年の子たちについて、何がどうというわけでもないが、どことなく違うような気がして、理解できない・・・と思うようなこともあった。自分たちの学年まではまともであり常識的であり、すぐ次の年から訳のわからない人たちのような気がしたこともある。

そんなことを、意外に最近また実感するようになった。自分は旧時代の人間だな~とつくづく感じる。
バブル世代のように贅沢をして楽しむこともできないし、新人類のように割り切った考えや、合理的な考えもできない。要領悪くどんくさい世代だ。どんくさくても熱くなれたのがもっと上の世代だと思うけど、こっちはどこかしらけているわけ。

なんだかな~。
どちらかというと、「しらけ」なんていう言葉も、もう死語だよね~。

コメント (2)