元横綱の大鵬さんが亡くなり、今日、お通夜が営まれたとのことだ。
大鵬は、私が小さかったころのお相撲さんとして、記憶にある。
それで、わたしの幼少期の相撲に関する最古の記憶として、今書かないとおそらく今後書く機会はなかろうと思うので、ここで書いておくことにした。
といっても、そんな大した記憶ではない。
それは、たぶん私が4歳くらいの冬の事だろうと思う。
私の家族は小さな借家に住んでいた。その日は、祖母(父の母)が来ていて、母と祖母と私と炬燵に座って過ごしていた。父はまだ仕事から帰っていなかった時間だったのだろう。
そのとき、母と祖母はいろいろと大人同士でずっと話をしていて、わたしは黙ってその話に耳を傾けていた。
そうしたら、祖母が、「この子はよく大人の話をじっと聞いているね」と驚いた。普通、子どもというのは、大人の話なんか聞かないで、遊んでいるものだろう、というのだ。
聞いていておもしろいか?わかるか?などと聞かれ、「うん」と答えたのを覚えている。
そのとき、私は大人同士の話を聞いて、全部理解していると自覚し、2人の話を聞いていて全く飽きることはなかった。
それから、そのとき、テレビがついていた。テレビは白黒テレビで、ちょうど相撲をやっていた。大鵬と柏戸の取り組みになった。
祖母は柏戸を応援していた。私は、「なんでおばあちゃんは柏戸なんかが好きなのかな?断然大鵬のほうが顔がいいのに」と思った。
祖母が、私にどっちが好きかと聞くので「大鵬」だと答えると、へえ~この子は大鵬が好きなのか、と驚いていた。
私は、確かに大鵬が好きだった。
今思えば、本当に幼いころは、自分が何が好きで何が嫌いかと、自分で意識することはないのかもしれない。人に聞かれて初めて意識化されるのだ。
私は、幼いころのことをあまり覚えていないのだが、大人に「この子はおとなしい」とか「この子は緑と黄色が好きなんだね」とか「歌がうまいね」「絵がうまいね」などと言われて、自分とはそういうものなのか、と自覚したように思う。
それで、大鵬と柏戸とどっちが好き?と聞かれて、このとき「大鵬だ」と答えたことにより、「自分は大鵬が好きだ」ということを強く自覚するにいたったのだ。
小さいとき、お相撲さんといえば、「大鵬」だった。
私が生まれて初めて名前と顔を知り、好きだと思ったお相撲さんは「大鵬」だったようだ。
大鵬は、私が小さかったころのお相撲さんとして、記憶にある。
それで、わたしの幼少期の相撲に関する最古の記憶として、今書かないとおそらく今後書く機会はなかろうと思うので、ここで書いておくことにした。
といっても、そんな大した記憶ではない。
それは、たぶん私が4歳くらいの冬の事だろうと思う。
私の家族は小さな借家に住んでいた。その日は、祖母(父の母)が来ていて、母と祖母と私と炬燵に座って過ごしていた。父はまだ仕事から帰っていなかった時間だったのだろう。
そのとき、母と祖母はいろいろと大人同士でずっと話をしていて、わたしは黙ってその話に耳を傾けていた。
そうしたら、祖母が、「この子はよく大人の話をじっと聞いているね」と驚いた。普通、子どもというのは、大人の話なんか聞かないで、遊んでいるものだろう、というのだ。
聞いていておもしろいか?わかるか?などと聞かれ、「うん」と答えたのを覚えている。
そのとき、私は大人同士の話を聞いて、全部理解していると自覚し、2人の話を聞いていて全く飽きることはなかった。
それから、そのとき、テレビがついていた。テレビは白黒テレビで、ちょうど相撲をやっていた。大鵬と柏戸の取り組みになった。
祖母は柏戸を応援していた。私は、「なんでおばあちゃんは柏戸なんかが好きなのかな?断然大鵬のほうが顔がいいのに」と思った。
祖母が、私にどっちが好きかと聞くので「大鵬」だと答えると、へえ~この子は大鵬が好きなのか、と驚いていた。
私は、確かに大鵬が好きだった。
今思えば、本当に幼いころは、自分が何が好きで何が嫌いかと、自分で意識することはないのかもしれない。人に聞かれて初めて意識化されるのだ。
私は、幼いころのことをあまり覚えていないのだが、大人に「この子はおとなしい」とか「この子は緑と黄色が好きなんだね」とか「歌がうまいね」「絵がうまいね」などと言われて、自分とはそういうものなのか、と自覚したように思う。
それで、大鵬と柏戸とどっちが好き?と聞かれて、このとき「大鵬だ」と答えたことにより、「自分は大鵬が好きだ」ということを強く自覚するにいたったのだ。
小さいとき、お相撲さんといえば、「大鵬」だった。
私が生まれて初めて名前と顔を知り、好きだと思ったお相撲さんは「大鵬」だったようだ。
私は、大鵬の顔は覚えているんですけど、柏戸の顔は思い出すことができません。
子供ながらに何処が良いのかなぁ、と思ってました。