山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

こもりたい休日

2007-05-13 13:42:06 | 未分類過去
「休みだからどこかに行こう」と思う人と、「休みだから家でのんびりしたい」という人と、2種類あるのではないかと思う。
私はどちらかというと後者のほうで、休みだからと言って出かける予定などをいちいち作らないほうだ。
ところが、「休みをのがさず出かける」という友人がいる。この人は私だけが友人ではなく、色々な人と様々なところに出かけているようだが、それらの人たちも毎週その人と出かけるというわけではない。それで、その友人は1人ででかけることも多いようだが、ある週には私のほうに矛先がむいてくるのだ。そして、最近そんなことが多いように感じる。

先日から、日曜日に一緒に出かけないかと言われていたものの、あまり乗り気もしなかったので、もし行けたら前日に電話すると伝えておいた。そうしたら、昨日の土曜日に何度もうちに電話してきたらしく、私が夜帰宅して電話に出ると、やっとつながったという話だった。こっちから電話をしなければ、行かないということで、ほっといてもらいたいところであるが、どうもそうはいかない。結局、用事ができたということで、断った。
ちょっとすげない感じはするが、しかたがない。まあ、すげなく断わってもあまりショックを受けるふうでもなく、懲りずに誘いに来てくれる。これが、まったく誘いに来なくなったら、私も友人があまりいないので心細いだろうが、誘われるうちは断わるというような変な心もちになっている。

一緒に食事をしたりウィンドウショッピングしたりするのは、楽しいことは楽しいが、特に必要なことではなく、暇つぶしくらいにしかならない。
それに、なんだか疲れてしまうので、家の中で何をするともなくぐだぐだしているのが好きだ。
でも、「何も用事がないのに断るなんてあり得ない」「そんな生き方をしていて何が楽しいのか」と思われることも多い。年寄りくさいとも言われるが、やはりそんなに活動ばかりしている気分ではないというのが正直なところだ。
休日は必ず出かけるなんて、まったく元気な人だなあと思う。

今日は、午後から美容院に行くことにする。
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占春園

2007-05-12 23:24:15 | 放送大学
今日は、放送大学文京学習センターに行ってきました。
学習センターの近くに「教育の森公園」というのがあり、広そうな感じです。今日はとても天気がよく、のどかだったので、一度奥のほうに行ってみようかと少し歩いてみました。
公園に続いて、筑波大学付属小学校があり、そのそばにこの小学校の自然観察園にもなっている「占春園」というのがありました。そこには池があって、そのまわりには大きな木がたくさん茂っていました。もとは松平家の庭だったようです。
池の水が汚かったので、写真には写しませんでしたが、樹齢何百年にもなると思われる巨木がたくさんあって驚きました。
家族連れや子どもたちが、お弁当を食べたり、遊んだりしていました。
幸田文が鳥の集まる木を植えたという広場もあり、鳩が沢山いました。そこにも小さな池があり、黄色い菖蒲の花が咲いていて、鳩たちが水あそびをしたり、日向ぼっこをしたりしていました。

こんなところを散歩をしていたので、勉強をするのがちょっと遅くなりました。
教材を5本視聴して帰ってきました。(物理3・4・5、数学2、英語2)
今日は、家から駅まで往復歩き、公園も歩いたので、少しは運動になったようです。

写真は、占春園の池の周りに生えている樹です。
すごいですね。写真でみるとジャングルのようです。
池はもう少し手入れをしたほうがいいのではないかと思いましたが、これだけ古い樹や自然が残っているのはすごいなと思いました。
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武さん・ピーコさん・テリーさん

2007-05-12 00:29:51 | 未分類過去
以前、テリー伊藤さんについて記事を書きましたが、この度テリーさんが左目の手術を受けたという記事のトラックバックをいただきました。
学生運動のころ、日大の闘争で前列にいて投石があたって、左目を負傷してしまったために斜視になってしまったのだそうです。手術は成功したとのこと、「18歳のころの自分に会えるようで楽しみ」というテリーさんのコメントは感動的でした。

人間は、自分の身体が一瞬のことで変わってしまったら、その変わる前に戻れたらなとよく思うものでしょう。その気持ちがよくわかるし、それが実現したらすごく嬉しいでしょう。私も36歳のころの自分の顔に戻れたらいいなと思います。

テリー伊藤さんは、なぜか好きなのですが、私と同じ山羊座だから波長が合うのかな?とも思いました。テリーさんは12月生まれ、私は1月です。

ところで、以前、北野武さんのことも書いたのですが、武さんはバイクの事故で顔面神経を損傷してその後遺症が残っています。そして、その残り方が私のベル麻痺の後遺症とほぼ同じような状況です。その北野武さんは、やはり山羊座でしかも私と同じ誕生日です。

そして、最近知ったことに、「おすぎとピーコ」も誕生日が同じでした。おすぎさんとピーコさんも、おもしろくて内容が濃いので、好きなほうなんですが、この人たちも同じ誕生日なのかと驚きました。そして、ピーコさんは、悪性黒色腫という病気で目の手術をしていますね。大変なことでしたが早期発見で、今は元気に活躍されていてよかったです。

なんか、偶然にも、顔に後遺症のある人ばかり、というか、顔に後遺症があるから自分が関心を持っているのかもしれませんが、二人は偶然にも誕生日が同じというのも驚きです。この人たちが活躍されていると、私も頑張ろうと思います。

そういえば、このごろ顔面麻痺の後遺症で、あごに窪みができてきました。以前からあったのですが、ちょっと目立つようになってきた感じがして最近気になります。
カーク・ダグラスみたいです。

なんか、この人と共通点でもあるかな?
・・・とくになさそうですね。


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もう5時

2007-05-10 17:22:00 | 未分類過去
木曜日は放送大学の学習センターで勉強をする予定にしていたのに、さっそく挫折した。
昨夜、また長女が遅くまで来ていて、その後一緒にレンタルDVDを返しに行き、次に借りるものを色々探した末、何も借りず、それからコンビニで買い物をして帰ってきた。
その後、風呂に入り寝るということで、またまた寝るのは深夜になった。

一方、次女は1時間早く専門学校に行き、自主練をするとのことで、6時前に起き、7時に家を出るという。もう、お弁当を作る気力はなくなったので、買って行ってもらうことにしたが、考えたら朝のコンビニはまだ新しいお弁当は陳列されていないので、やはり手作りのほうがよかったなと反省。

それにしても、自分の仕事が休みなのでどうしても気が抜けてしまう。そして、夜間あまり寝ていないので、学習センターに行っても絶対に寝てしまうから、次女が家を出た後もう一度寝ておくことにした。そうしたら、目が覚めたのが11時を過ぎていて、それから昼ごはんを食べて家を出るとあまり勉強はできそうもなかった。

また、家の中はしっちゃかめっちゃかで、夏物と冬物を入れ替えないと、衣類が大変なことになっている。
それで、今日は家の中の片づけをすることにした。
服を大きなゴミ袋に2つ廃棄したが、それでもどうしたって衣類が多すぎることがわかった。服を入れる場所を考えるのではなく、決まったスペースの中に入りきれない服は着られるものでも何でも捨てていかないと収拾がつかない。少ない枚数の服を交互に着て暮すのがいいようだ。

片づけをしていると、いつものごとく、もう途中でいやになってきてしまった。
ものを捨てたのにもかかわらず、分類できないガラクタのようなものがわんさと残っていて、どこにしまったらよいかわからない。
中断して、おやつタイムになる。のこりは一まとめにどこかに押し込んでひとまず寝る場所を確保しないといけない。以前もそんなことをして、その塊が何ヶ月も放置されていた。

とりあえず、夏物が出せただけでもいいかな。
大きなウォークインクローゼットなんかがある家がうらやましい。
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シートベルト

2007-05-09 19:19:17 | 未分類過去
8日に山陽自動車道でおきたバスとトラックの事故は悲惨だ。普通に走っていたマイクロバスに後からわき見運転の大型トラックが追突したのが原因だ。バスは衝突の衝撃をうけて、反対側にぶつかったり横転したりして窓ガラスが大部分割れて飛んでしまい、そこにきて遠心力で中の人たちが外に投げ出されるという大惨事となってしまった。
このバスに乗っていたのは2年に一度の会社の慰安旅行の人たちで、悲しくも57歳の社長さんが亡くなってしまった。この社長さんは、いつも人のことを考えて行動する人望の厚い人だったそうである。
今朝、事故直後の映像と写真をテレビで見たのだが、反対車線や道路の外など本当に遠くまで人が投げ出されてしまっていて、信じられない光景だった。
トラックの重量がバスの4倍くらいあったので、軽いバスの車体が回転するようになってしまったそうだ。バスの窓は大きいから、ガラスがなくなると、広く開いた状態となる。

しかし、ここで、もしシートベルトをしていれば、あんなにも遠くまで飛ばされなかったのではないかと感じた。テレビでもシートベルトをしていればよかったと言っていた。シートベルトをしていた運転手さんは大丈夫だったそうだ。

そこで、この間のバスの日帰り旅行を思い出したのだが、はとバスでは、シートベルトをするようにと言われたのでシートベルトをしていた。目的地に着き、立ち上がろうとしたら、シートベルトに締められていて立ち上がれなかったという目に何度かあったのだが、ベルトをしていてよかったなと思った。

この事故では、旅行会社ではなくマイクロバスを借りて乗っていたらしいので、ガイドさんがベルトを締めろということもなかったのだろう。それに、後席の人はシートベルトをするということは義務づけられてはいないのだそうだ。

ウチの夫は心配性な人間なので、車に乗るときは必ずシートベルトをしろと娘などにも言っている。あまりにもしつこく忠告するので、娘は友人たちに変な人だと思われながらも旅行で車に乗るときなどは後席でもシートベルトをしっかり締めているそうだ。

また、夫の場合、飛行機に乗っているときでも、水平飛行になってからでさえ、ゆるめにシートベルトを締めて置けという。突然乱気流になったときなど、飛び上がって天井に頭をぶつける人などもいるそうだから、トイレに行くとき以外はシートベルトをして座っていろというわけだ。

万全を期してシートベルトをするのが身の守りとなるかもしれない。

電車にはシートベルトはないが、福知山線の事故のときの話では、つり革や棒につかまっていなかった人が真っ先に飛ばされて、物に強くぶつかって致命傷を受けたそうである。つかまっていた人も結局は飛ばされてしまったが、それでも先に飛ばされた人よりも生存率が高かったというようなことを言っていた。

混んでいるとつかまるところがない場合も多いのであるが、安全のためになるべくつかまるようにしたほうがいいだろう。


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ね、ねむい~~~

2007-05-08 18:40:12 | 未分類過去
夜は12時に寝るべきだと思うが、それは無理だ。
だいたい、近所で1人暮らしをしている長女が夕飯を食べに来ると、そのまま12時頃までうだうだしているので何もできない。長女は就活が終わったので暇になり、毎日のようにやってくる。
長女が帰ってからブログを見たり、風呂に入ったりするので、どうしても1時を過ぎてしまう。1時に寝ようとすると何もできないから、15分でも20分でも読みかけの本を読もうとか思うと、1時半がいいところだ。どんなに遅くとも2時には寝ようと思っている。
目覚ましは6時45分にセットしてあり、本当に起きるのは7時すぎだ。5時間くらい寝れば大丈夫なはずである。
朝は、“バンビーノ”の厨房状態になって必死に弁当作りをする。その合間に朝ごはんらしきものも用意する。前夜に下ごしらえでもしておけばいいのだが、やらないで寝てしまうと大変なことになる。窮地に陥ると火事場の馬鹿力のように、急遽思いついた料理を作って弁当箱にぶち込む。
8時に弁当箱を包み次女に渡すと、ひとまずほっとする。そのあとは、ゆっくり自分の弁当を作り朝ごはんを食べて、会社にでかける。

しかし、今日の午後は会社で眠かった。何度トイレに行っても目が覚めない。お茶を飲んでも体操をしてもダメだ。3時過ぎると極限に達してきた。家にいると1時間なんてあっという間に過ぎるが、こういうときの時間はすごく長い。ついにしばらくうつらうつらしてしまった。誰も見ていないし、急ぐ仕事がないこともあって気が緩んでしまう。
でも、寝てるよりは別のことでもして目を覚ましたほうがまだマシだろうと思って、終業30分も前に早々と日報をつけ始めた。そうしたら、昨日の分も書いてなかったことに気がついた。それで、二日分書いていたら、30分があっという間に過ぎた。(日報は普段は仕事の時間が終わってからつけている。)
今日の仕事を振り返ると、1時間半くらいでできるはずの書類チェックが2時間たってもできていない。つまり20~30分くらいは、寝ていたかアタマの機能が停止していたらしい。
仕事は4時に終わるのだが、目が覚めたのでそこから「サービス残業」。いや、寝ていた分の取り返し残業を始めた。30分弱で一区切りの仕事を終える。
まあ、こんなもんでいいだろう。

今日は早く寝よう。
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どういうことなのか?

2007-05-07 19:13:17 | 未分類過去
自分のブログに新記事を送信したと同時に、コメントが記入されてるってどういうことなのか!と思う。
トラックバックの場合、何か文の中の言葉に反応して、自動的にトラックバックされる機能があることは知っていたが、私が書いた内容や言葉に関係なく、猥褻な記事やわけのわからない金儲けの記事がトラックバックされるようなこともあった。ところが、今度はコメントにまで、そんな状況が起こっている。

最初は、新着記事に対して無差別に、内容とは何の関連性もないコメントをやたらと送っている人間がいるのかと思っていたのだが、それにしても、送信と同時にコメントが入るなどということはありえないだろう。つまり、人間が新着記事を確認しているわけではなく、自動的に送信されているわけだ。
まったく、失礼しちゃうよ。
「コメント」っていうのは、その記事を読んで、それに対して何か意見や感想を書くものではないか?
まったく内容も読まずに、無関係のものが自動的にコメントされるなんて信じられない。

そういうものも、アクセスの中に入っているとしたら、それは全然ブログの読者でもなんでもないわけだ。
そして、このブログを読んでくださる人が、内容に関連したコメントだと思ってついでに読んでしまうのだから、これはもう寄生虫みたいなもんだ。

そのようなコメントは、当然のことながら見つけ次第消去しているが、非常に不愉快である。一度消去したら倍の数の同じコメントがつき、それらを消去したらまたその倍倍の数の同じ内容のコメントがついた。破壊すると細胞分裂して増殖するように設定されているのだろうか。

いいかげんにしてもらいたい。
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苦痛の毎日

2007-05-07 18:28:32 | 未分類過去
夫とは趣味が合わない。
野球の季節になると毎日が憂鬱だ。なぜならば、夫は午前中アメリカの野球を見て、夜は日本の野球を見る。延々それの繰り返しである。
だいたいアメリカの野球放送は、日本時間の朝8時から始まるので、夫が家にいる朝は、「とくダネ」等の日本のテレビ番組を見ることができない。日本の出来事やニュースの情報収集がまるでできないことになる。
夜も日本の野球のせいで、毎日少なくとも9時ころまでは、テレビを見ることができない。
よくも飽きずに野球なんか見つづけるものである。
アメリカの野球がもっと早い時間から始まるときは、深夜に見始める。夜更かし型の私が寝るころ、または寝て間もない時間にテレビを見始めるので、こっちは全然熟睡できない。
夫がいないときも、楽観はできない。野球を録画しておけなどと、面倒なことを電話で頼んできたりする。
今朝は、夫がいなかったので、普通にテレビを見ることができたから良かったが、私が夕方仕事から帰ると、夜勤明けの夫が録画した今日の午前の野球を見ていた。なんで、こんな時間に見ているんだか。それで、夕方のニュースを見ることができなくなった。
寝ても覚めても野球ばかりだ。野球というのは、時間が長いから、こっちはその間ずっとストレスが溜まり続けることになる。
いまも見ているのだが、この録画を見終わる頃に、今度は日本の野球を見始めるのだろう。
ほんとうにもううんざりだ。これが夏中続くと思うとたまらない。苦痛の日々が続く。
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趣味について

2007-05-06 17:05:13 | 未分類過去
どうも、世の中は趣味のある人の価値が高く、趣味のない人はつまらぬ人間であるかのような捉え方が多いと思う。
芸能人などは、魅力的な人が多いわけだが、俳優や歌手などの仕事以外に絵を描いていたり、料理がプロ級だったりする人もいる。
そんな中で、与えられた仕事だけしかしていないなどという人はあまりいないようだ。
会社員でも、もし仕事だけが生きがいだなどと言う人がいたら、それは「会社人間」であって、家庭では家族も顧みず、家庭にいるときは家族からは粗大ゴミ扱いされるような人間に違いないというようなイメージをもたれがちである。
会社員が、競馬・パチンコ・麻雀が趣味などというと、これもまた軽蔑の対象となる。
ドライブ・ゴルフ・音楽鑑賞くらいは無難なところだろう。

このあいだ、日本語ボランティアで知り合った外国人が私に趣味を聞いてきた。「特にないし、そんなことしている暇はない」と、つまらない返事をしてやると、「えっ趣味ないの?うそでしょ。人生楽しまなくちゃだめだよ。カラオケ行って歌でも歌わない?僕の国ではみんなダンスが好きだよ。ダンスはしないの?」みたいな反応が帰ってきた。そして、ボクが人生の楽しみを教えてあげるヨと言いたげに、しきりにカラオケだのレストランだのに誘ってくるので、断わるのに苦労した。
こういうテンションの高さが本当に苦痛だ。家で布団をかぶって寝ていたほうがマシだ。

人から趣味を聞かれると困る私であるが、にもかかわらず趣味は何ですか?と人に聞くこともある。
以前、中国人の学者に趣味は何ですか?と聞いたら、返事がなかった。趣味はないということだ。しかし、そのひとは当然ながら専門分野では研究者として第一線の人だった。つまり、自分の専門分野の研究に明け暮れているのであり、仕事で日本にきたら、自分の研究を人に教えることと、自分が日本語や日本文化を知ることにエネルギーを費やしていた。そのような人に趣味を聞いた私がナンセンスだったと思ったしだいだ。

そのひとは、非常に日本のことに関心を抱き、私に日本の習慣やしきたりなどを聞いてきた。たとえば、日本に言い伝えられる七夕の話はどのような内容か、などということだ。
それは、中国や韓国、その他のアジアの国の七夕と比較してみたいということでもあろう。
私はそれに答えるべく、いろんな古い文献を探したりして、とても楽しかった。
そのことは、その人の専門分野に多少の関連はあるものの、直接的なものではなかった。だから、そういうことに関心があるのなら、それがその人の趣味といえば言えなくはないのかもしれないが、その人は、外国に住む者としてその国のことを知ろうとするのは当然の関心事だと思っているようだった。
それで、そのひとはものすごく教養があり、様々なことに関心もある活動的な人なのだが、「趣味は○○だ」というものはなく、趣味は「無い」と言うのだった。

しかし、「僕には趣味がいっぱいある」という者よりも、「趣味はない」と言ったこの人のほうがどれだけ内容が深く、私にとって有意義で面白かったかと思うわけである。

だから、私は趣味のない「仕事人間」でも一向に構わないような気がする。仕事一筋で何が悪いのかと思う。
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人に言う趣味

2007-05-06 13:29:40 | 未分類過去
専門学校に入った娘が、自己紹介の宿題とやらに考え込んでいる。
「自己紹介」とは、「自己PR」でなければいけないのだそうで、つまり、自分を人に紹介するのに、ネガティブなことを言ってはならず、ポジティブなアプローチでなければいけないのだそうだ。
ある人が趣味を「寝ること」などと言ったら、先生から怒られたそうである。
寝るなどということは、自分でしようと思ってしなくてもできることである。何の工夫も努力もいらないことだから、そんなものは趣味とは言えない。何もしないことが趣味だなどという人間はろくな人間ではないということなのだろう。そんなものは自己PRにはならない。
だから、単に「テレビを見ること」とか「食べること」などというのもダメである。つまらない人間だという第一印象をもたれたらもうダメなのであって、この人面白そうだと興味をもたれるような人間でなければいけないということなのだろう。

そうなると、娘の打ち込んでいるものは何なのか?と思うに、親が見てもよくわからない。
まあ、ファッションの研究などには、雑誌を買って見たり、バイトをして服を買ったりして、力を入れているように思えるが、そんなのも最近の若者には普通のことだろう。映画を見るとは言っても、とくにこだわりがあるわけではなく、適当に友人と見に行く程度である。わざわざ自己紹介で言うほどのこともないだろう。

では、自分はどうなのか?と考えてみると、やはり人に言うようなことはない。
私がよく自己紹介をする場面に出くわしたのは国際交流協会の日本語教室だった。みんなは海外旅行だとか茶道だとか料理だとかいろいろと趣味があるのだが、私にはない。強いて言えば「これ」つまり「日本語のボランティア」であり「外国の人と接することです」というようなことを言ったことがあったが、聞く人にとってはなんだかぴんとこないもののようだった。そんなものは、そこにいる人間全てにいえることだから、言う意味がないだろうということだ。

それで、「毎日忙しいので、楽しみはテレビを見るくらいですね」などと、自分でもつまらないコメントだなあ~と思いながら、そんな事を言うしかないのだった。
旅行は好きだが趣味というからには、行かなきゃ話にならないだろう。映画も好きではあるが、見なきゃ話にならない。花も好きだが、ガーデニングに力を注いでいるわけでもない。写真も撮るが、ただ適当に撮っているだけだ。
「趣味だ」と言いながら、そのことに関して何も力を入れず詳しくもなければ、それは「趣味」ではないのだ。
そういうわけで、実際上、趣味は「ない」としか言いようがない。

「ブログ」とか「放送大学」とか、自分なりに多少力を入れていることはあるが、趣味として人に言えるようなものではない。というか、人には公言したくない。
オタクだとかマジメだとか敬遠されるのが関の山という感じだ。

だから、そのような趣味は「秘密」であり、やはり、「家でぼんやりしていること」「寝ること」「テレビを見ること」「おいしいものを食べること」が趣味ですとしか、言えないような気がする。
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読書

2007-05-05 23:28:15 | 読書
ゴールデンウイークもあと1日で終わりだ。
休み中に、図書館で借りている本をいくらかでも読もうと思っていたのだが、なかなか進まない。6冊借りているうち、野島伸司の「この世の果て」だけ読んだ。
いろいろな分野の本を借りてきたのだが、結局いつも読み終わるのは小説だけである。この題名とは正反対に三木卓の「理想の人生」という小説も借りているが、最初の「まりちゃん」だけ読んで止まってしまった。

読むものはどうしても読みやすい小説になってしまうので、たまにはそうでない本を読みきりたいと思っている。
新刊で「アメリカの政治と科学」(マイケル・ガフ著、菅原努監訳)というのを借りてきたが、非常に理解しにくい。「寄稿者について」とか「序文」とか、前置きを読んでいるだけでいやになってしまう。まるで頭に入らない。それで、飛ばして一部を拾い読みしたが、どうも私の頭には高度すぎるようだ。まだ、誰も借りていなかったようだったので、自分が第一号になりたいと思ったが、これは全部読まずに返すことにした。

昨日から挑戦し始めたのは「表現の自由VS知的財産権」(ケンブりュー・マクロード著、田畑暁生訳)。これも読みにくいなあと思っていたが、腰をすえて読むとなかなか興味深い。厳しすぎる著作権の保護、著作権による利益を追求するあまりに、その作品が人のためになるのが阻害されているという問題点。
先進国が農作物の遺伝子を特許として利益を独占し、昔から作物を作り続けていた発展途上国の農業が阻害される矛盾など、初めて知る興味深い事実を知ることができた。
しかし、やはり内容になじみがなく、自分がここに書いてあるものの何割を理解できているのかもわからない。しかし、とりあえずこの本は読んでみたい。この本も比較的新しく、図書館で多くの人に借りられている形跡がない。

それにしても、上記の2冊は、もともとアメリカ人が書いたものを翻訳したものであり、その読みにくさというのが、英語の文章、英語的文脈、アメリカ的発想の展開法であることが原因のような気もする。どこがどうと説明できないのであるが、もともと日本人が書いた文脈とはどうも進み方の勝手が違うような気がする。
よく、夫がテレビでアメリカのニュースを見ているのだが、そこで同時通訳の人が日本語に訳している言葉の言い回しとも共通点があるような気がする。私はそのニュースを聞いているといらいらしてくる。

たとえば、この本では、・・・
「ティム・カークと著作権法との最初の出会いは、ある道化師が送付してきた「停止命令」という形をとっていた。」
「~の出会いは、~という形をとっていた。」・・・こういう表現に私はいらだつのである。
なんか、格好をつけているというか、くどいというか・・・。

「カークにとって無念なことに、このバンドは、時としていかれた、時として洗練された、時としてうけのよいその音楽でよりも、むしろトラブルで有名であった。」
「時として~、時として~、時として~」・・・こういう表現も、私はイラだつのだ。

日本語にすると、すいすいと流れない、形式ばっている。
そのようは言い回しに違和感と苛立ちを覚えつつも、内容を理解するために我慢して読まなければと思う。

・・・忍耐だ。
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アメリカの外国語教育は?

2007-05-04 16:49:22 | 未分類過去
きょう、何気なくチャンネルを回していたら、アメリカのハイスクールのものと思しきドラマをやっていた。
アメリカ人とは、よくもまあ、歌や踊りが好きで、テンションが高い人間の集まりだと思うわけだが、犬に柴犬やレトリバーやコリー犬などがいるのと同じように、人間にもいろんな種類があるのだろうと思える。冷静沈着でじっとしているのが平気な犬や、番犬に向いている犬、従順に人間のために働く犬、走り回るのが好きな犬など様々であり、それはその固体によるものもあるが、種類や環境などにもよるものも大きいだろう。人間もまた、人種や民族や育った環境(お国柄)などによって、いろんな特徴があるのだろうと思う。
そうすると、日本人はどちらかというと、あまり歌ったり踊ったりするテンションの高い部類ではないように思えた。
以前、私が日本語を教えていた欧米系外国人が、私に向って何かというと、リラックスリラックスなどといい、楽しくやろうよみたいな感じに言ってくるのだが、こっちとしては、リラックスなどしたくないわけで、リラックスすることが不快な感じさえ受ける。けじめをつけて落ち着いて真面目にやらなきゃいやなわけだ。そこからして、もう理解できない。

それで、アメリカのハイスクールのドラマをチラッと見て、思ったことに、その廊下の壁からして、赤い色に塗られていたりするため、妙に落ち着かない。これが、学校なのか?と思うほどである。そういえば、アメリカの高校生ってのは、「必死に勉強」なんかしているのかな?韓国などでは日本以上に受験勉強に必死になっている様な印象があるが、アメリカ人は楽しくやってるというイメージしかないのはなぜなのか?しかし、優秀なアメリカ人が多いから、決して勉強をしていないわけではないだろう。
アメリカの大学は、出るのは難しいが、入るのは難しくないという。そうは言っても、やはり高校でちゃんと基礎学力をつけているはずである。しかし、そのイメージが、日本のように苦しさを感じさせない。

「勉強が苦しい」と言うことで、真っ先にイメージするのが私の場合、「外国語」である。
日本人にとって「英語」はとても習得しにくく、何年も勉強しても英語を使いこなせる人間というのは少ない。英語に関しては、同じ東アジアの中国や韓国でもかなりの力を入れて勉強している。そして、「英語学習」というものは、どうしても「苦労して身につけるもの」、そして受験には「必要不可欠なもの」ということで、日本人に重い重圧をかけ続けている。

これが、自国の教育があまり発達していない発展途上国となると、英語で文明を取り入れ英語で教育をするという風な感じで、子どもの頃から英語の授業などを受け、意外にスムーズに自国の言葉と英語とを使い分け使いこなす国が多いようだ。また、ヨーロッパのほうの言語では、英語との共通点もあるので、比較的覚えやすいのだと言う。

アメリカのハイスクールの能天気な明るさっていうのは、日本人が英語を勉強するように、外国語を勉強しなくてもいいからではないか?などとさえ私には思えてきた。

だいたい、私の暗い高校生活は「英語の暗記」が主な原因で、暗い青春時代、コンプレックスの塊、も全てが「英語」から始まっているのだ。英語ができなくて毎日生きているのが苦しいなんて、それって何かすごく変じゃないだろうか?

アメリカ人って、外国語ができなくて、落ちこぼれになっている生徒なんかいるのかな?
外国語ができないがゆえに、大学に入れず、したい勉強もできない学生なんかいるのかな?
日本人が英語塾に通うように外国語の塾に通っている生徒がいるのか、そんなことないんじゃないか?
フランス語やドイツ語やスペイン語などやっているとしても、日本人が英語を勉強するよりも楽なんじゃないかな?

日本語っていうのは、外国人が習得するのに非常に難しいことばだそうだ。
初歩はまだいいが、上達すればするほど難しいのだという。
その原因のひとつに漢字がある。中国でも漢字だが、日本語の漢字は音読みだの訓読みだの特殊な読み方などがあって、外国人にとっては非常にわかりにくく、覚えにくいもので、勉強効率が悪い。だから、日本語教育に携る人には、日本語表記から漢字を無くすか、使い方をもっと単純化する必要があるという意見の人も多い。
日本で何年も暮す外国人でも、日本の新聞を日本人のように読むのは至難の業らしい。

たとえば仮に、もしアメリカ人が日本語を必須外国語にするとして、それができなければ高校にも大学にも入れないとしたら、アメリカ人はみんなノイローゼになり、劣等感の固まりになるかもしれない、などと空想する。

ところで、日本語教師の中には、漢字を単純化して日本語をやさしくし、もっと親しみのもてる国際語となるようにするべきだと考える人がいるが、逆に、日本語が簡単に習得できない言語であるために、日本社会は外国人に乗っ取られることがないという利点があるそうだ。

これは「国際特許」等を扱っているひとのブログを読んで「目からうろこ」だったのだが、日本人にとって英語がむずかしいとは言うものの、アメリカ人が日本語を学ぶのは、もっと困難なのだそうだ。
だから、日本語での特許明細書を書けるのは日本人に限るそうだ。それで、その分野に外国人が進出できなくなっているのだ。これが、アメリカの場合、英語での特許明細書を外国人が書くことが可能なのだそうだ。
日本語文書作成の仕事に限らず、外国人には複雑な日本語が充分に操れないということが原因で、日本社会においては、外国人が知的なことを扱う重要な仕事に簡単に入り込めないという現象があるといえるだろう。

そのようなことから考えると、日本語が外国人にとってわかりにくい言語であったのは悪いことばかりではないということになり、それを裏返した、日本人にとって外国語がわかりにくいという現象もしかたがないこととなるのかもしれない。

それにしても、外国語ができないことに呪縛されていなさそうな、のびのびとしたアメリカ人高校生がうらやましいかぎりだった。
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G 朝陽門

2007-05-04 14:17:11 | 旅行・街歩き
中華街の東門「朝陽門」です。

みなとみらい線「元町・中華街」駅のそばにありました。
海に近いからというわけではないかもしれませんが、
青っぽい色の門です。

日の出を迎え、街に繁栄をもたらす意味があるそうです。
青い竜が守護神になっているそうです。

(以上で、横浜紀行おわりです。)

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F 氷川丸

2007-05-04 13:54:12 | 旅行・街歩き
公園のほうから見ると海が見えず、まるで地面の上にあるかのような氷川丸でしたが・・・。

船はやはり海に浮いている姿がいいですね。

昔は「氷川丸」の中を見学したものですが、先日行ったときには、船内見学はやっていませんでした。もう今は廃止されたのかな?
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E 山下公園

2007-05-04 13:50:09 | 旅行・街歩き
中華街を後にし、海の方に向うと、昔ながらの山下公園が。
そして、これまた昔ながらの「氷川丸」が見えてきました。

家族連れが多いようです。

遊覧船乗り場も長蛇の列でした。

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