投球フォーム・・・右オーバースロー「ノーワインドアップ投法。スピードはさほどないが、多彩な変化球と駆け引きの巧さで打者をほんろうしていく」
球種・・・低目を突く伸びのある速球、シュート、カーブ、スライダー、フォーク、武器はプロ入り後に習得した、最低速度68キロの
パームボール。
1982年・10月4日・中日ーヤクルト23回戦「ナゴヤ」観衆2万1千・試合時間・2時間26分
ヤ000000001・1
中01000020・・3
勝ち・藤沢・・セーブ・牛島・・負け・松岡
藤沢投手・投球内容・8回3分の2・・6安打・・三振5・・四死球1・・自責1
「勝竜だ!逆転Vへ再出発・・・藤沢、熱投・・・チームを救う」
・信じられないシーンだった。完投できなかった投手にスタンドは総立ち、グランドが揺れ動くような拍手で迎え、おまけに五色のテープまで乱れ飛んだ。ファンには藤沢が神様にみえた。首脳陣にとってもその思いは同じだ。「ここまで投げるとは思わなかったろう。よくやったよ。ありがとう」そうねぎらいの言葉をかけて権藤コーチは静かに藤沢から完投勝利のウイニングボールになるはずの白球を受けとった。「とにかく勝つんだ。オレだって優勝争いに参加したい」という執念が乗り移ったボールを受けとった牛島が杉浦を二ゴロに打ちとって勝利が決まった瞬間、泳ぐようにナインをかき分けて藤沢は牛島に飛びついた。価値ある1勝だった。特攻回転で投手陣全体にへばりがきているうえに、巨人3連戦での死闘。おまけにローテーションの谷間。不利な条件はそろいすぎていた。そこへ、この救世主の登場だ。必ずしも首脳陣に絶対の信頼を置かれているとはいえないベテランが・・・。しかも、二日の広島戦で起こした右肩痛の後遺症が中盤過ぎから重くのしかかっていたのだ。「握力がなくなるんです。五回だったかな、六回かな。真っすぐのスピードが120キロ台しかでないんです。がく然としましたよ」それでも最低が68キロというパーム、フォークを駆使して九回二死まで投げ抜いた。「あいつは火事場の馬鹿力のようなものを持っている。ピッチングはハートだ。」と権藤コーチが感嘆したあっぱれな快投だ。三年前の新人王もいまでは窓際に追いやれつつあった。出番はローテーションの谷間、リードされた試合の中継ぎ、そして敗戦処理。しかし、藤沢はそのつど「オレはなんでも屋」と開き直ってきた。「おれだって優勝争いに参加したいよ」輪の中からはじき出されようとした男の必死の執念が逆転Vの灯を守った。