私、はいらないんである。
――りんごを食べたい。――
私はりんごを食べたい、とは言わないだろ?
つまり日本語は主語を省略できる。
でも、最近、略できるものをせずに、聞かれもせんのに
私、私、私、とやかましい人がいるなあ、五月蝿いんだなあ。
あら、あたくし、そんなこと言わないわ、という人。
あら、言わなくても思ってるんじゃ、聞こえるわよ、ジジジジジ。
デンパが出てるんだなあ。
人の脳が一日に発する電波、すごい量になるのだから。
言わなくても出てるし、伝わるし、だから言わなくていいし、
もっといえば、思わないとなおいい。
しずかな、しずかな、時間が ながれるから。
私、私、私、と言わなくて生きていたい。
うさこ、うさこ、うさこ、とも言わず、もちろん。
「私を滅す」は道を極める基本中の基本。
道と名のつく極めねばならぬ道はみなそうだ。
私を消し去ったところに顕われる「私」は、すなわち公に通ず。
公と私と、とろけあうところに、神ははたらく。
よろずのみたま、ひとつなり、と祝詞に言うごとし。