想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

走れウサギ

2009-02-02 15:06:25 | Weblog
  
   走れウサギで知られたジョン・アップダイク氏が亡くなられた。
   享年76歳、同シリーズ四作目の「ウサギはお金持ち」でピューリッツァ賞を受賞した。
   うさことしては、このニュースに反応せずにはいられない。
   なぜならば、ウサギだからというわけではなく、風景と細部を切り取るように描く作法に
   感銘を受けるからである。 

 「an unlikely rabbit,but the breadth of white face, ‥‥」
 「うさぎと似てはいないけど、色白な顔の幅、青い瞳のさえた青さ、小さな鼻の下の唇を
  ふるわせて、吸いかけのタバコをくわえる様子などを見ると、あだ名の由来もかなり
  わかるような気がする。」(ラビット・ラン 走れウサギ 宮本陽吉訳より)

 アメリカ中産階級の普通の日々、ごく平均的な、どちらかといえばエリートではない(なかった)
 青年が主人公の物語だ。

 人が幸福とは何かを語るとき、あるいは悲しみを語ろうとするとき、それは何か既成の
 枠にはめられた、いうなれば定型の幸福、定型の悲しさ、ではないはずだ。
 にもかかわらず、人はどこかにその定型があるかのように錯覚し、あるはずのない定型と
 比較し比喩して表そうとする。
 幸せと不幸、喜びと悲しみはごく個人的なもので本人だけの体験であるが、だからといって
 それが他人にはとるにたらない、わかりようもないことではない。
 個人的なことが普遍的に共有されるとき、その奥にひそやかに真実があるからだろう。
 平凡を切り取って描ける力は、その真実を見抜く目にほかならない。

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 わたしはいつからうさぎになったのか。
 去年の三月、想風亭のあるこの森の日々をブログに綴ろうとして生まれた。
 そして、うさぎの平凡なしかし一つしかない幸福を、しっかりと味わい
 それがまた誰かに伝わっていく幸福の共有をも知ることができた。
 うさぎで得た自由と特典なのだが、うさぎがたよりないことに変わりない。

 友人のIAN(イアン)君>がドキュメンタリーという手法で切り取った一人の女性の
 幸福と不幸、ビッキーとジェイクのバラード
 これもアップダイクが切り取った一つの風景と同じ意味で尊い作品ではないか
 と思う。観た人がそれぞれに感じ取ることだけれども、伝わる何かがあることは確か。
 現在日本語字幕編集中なので、完成したらぜひ多くの人に見ていただきたい。

  


  
コメント
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