この荒涼とした森にも、あとひと月もすれば春の陽に誘われた
木や草の芽が頭をもたげてくる。
春と言ってもこの森では小雪が舞う日が多い。
決してぬるくはないこの場所で見る生命の営みに、
「希望」の意味を知る。
ある日突然、脳梗塞によって倒れ、半身不随と言語障害という
後遺症に苦しめられることになったら……
多田富雄氏の著書『寡黙なる巨人』を読んでいる。
死の淵をさまよい、目覚めたら口もきけない手足を動かすこともままならない。
それは絶望である。そこから文字通り起き上がり「回生」していく格闘の日々。
こう一行で書いてしまうのはバチ当たりな気がして、ほんとうに気がひけるが
今、健康なあなたに読むことをおすすめしたい、そう思う。
今、病んでいるあなたは、当然、手にとられたいだろうから言うまでもない。
父も同病に倒れた。
その苦しみむ姿を見ながらわたしは育った。医学が進歩した今と当時は事情が
違うのだが、患者本人と家族の苦しみに変わりはない。
変わらなさすぎることは問題なのである。
多田氏があまりに正直に赤裸々に書かれているので、当時を思い出さざるを
えなかった。足が不自由になり体を支えられない父を、母はどこで借りたのか
リヤカーに乗せ、病院へ通う駅まで運んでいた。
わたしはそれを見るのが忍びなかった。恥ずかしさと悲しさが一緒になって
胸の奥底を突いた。それは5,6年間のことだったが、もっと長かった気がする。
医療の現場については、年長の友人の末期を看取ったので、その貧困ぶりは
よく知っているつもりだった。同著の随所にある現状の報告を見て、あらためて
背筋が寒くなった。他人事ではない。
多田富雄氏がただものではないことは、白洲正子の対談集ですでに知っていた。
能を通じて親交のあったおふたりである。
能とは人の生死がテーマともいえる。
そのただものではない人も、病人ともなれば、普通の人と同じく肩書きもなく
患者の○○さんと呼ばれる病院という特殊な場所。そこはある意味、異界である。
その異界から現世、娑婆に生還するため、いかに考えどのように格闘したか。
わが身に起きなければとうていわかるまい、と思う。
それをわかるように、これでもか、と書かれている。
わが身の辛さ苦しさも想像を絶するが、それをまた書くという事は二重の辛苦で
あるはずだ。いや、書かずに死ねるかでもあろうが、大変なことである。
左手、指一本でワープロを打つ。それを想像すると恐ろしい。
ブラインドタッチなんて先日言っていたうさこ、同じ状況で果たして書けるか?
と考え込んでしまう。
しかし、タイトルの寡黙な巨人、本を読むまでは巨人とは何のことだろうと思って
(そのうち読むつもりで)いたが、それがわかってくるにつれて、書かれた意味の
大きさを改めて感じている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/28/e1b38ff8ae8d755a4aa26d19ff395993.jpg)
「私はどうなるかわからないが、世界の問題はずっと続いている。
自分のことだけを考えてはいけない。」(同著p69)
この一文、この人が「ただの患者」ではないことの証明である。
多田氏のように回生することなく、病院のベッドで長患いのまま逝った父はただの
一患者で終わったが、かわりにその姿を晒してアホな娘の根性を叩いてくれた。
そのことなくして、私が人として生きる力を求めようとすることもなかったと思う。
終章に、その後巨人がどうなったか、詳細に綴られている。
「こうして私の中に生まれた「巨人」は、いつの間にか、政府と渡り合うまで育って
くれた。」(同著p242)
人はそれぞれの環境で生きるしかない。
だが、そこからいかに生きるかは人しだいである。
敬服し、耳を垂れ、耳を立て、うさぎももっと跳ねようと思った。
木や草の芽が頭をもたげてくる。
春と言ってもこの森では小雪が舞う日が多い。
決してぬるくはないこの場所で見る生命の営みに、
「希望」の意味を知る。
ある日突然、脳梗塞によって倒れ、半身不随と言語障害という
後遺症に苦しめられることになったら……
多田富雄氏の著書『寡黙なる巨人』を読んでいる。
死の淵をさまよい、目覚めたら口もきけない手足を動かすこともままならない。
それは絶望である。そこから文字通り起き上がり「回生」していく格闘の日々。
こう一行で書いてしまうのはバチ当たりな気がして、ほんとうに気がひけるが
今、健康なあなたに読むことをおすすめしたい、そう思う。
今、病んでいるあなたは、当然、手にとられたいだろうから言うまでもない。
父も同病に倒れた。
その苦しみむ姿を見ながらわたしは育った。医学が進歩した今と当時は事情が
違うのだが、患者本人と家族の苦しみに変わりはない。
変わらなさすぎることは問題なのである。
多田氏があまりに正直に赤裸々に書かれているので、当時を思い出さざるを
えなかった。足が不自由になり体を支えられない父を、母はどこで借りたのか
リヤカーに乗せ、病院へ通う駅まで運んでいた。
わたしはそれを見るのが忍びなかった。恥ずかしさと悲しさが一緒になって
胸の奥底を突いた。それは5,6年間のことだったが、もっと長かった気がする。
医療の現場については、年長の友人の末期を看取ったので、その貧困ぶりは
よく知っているつもりだった。同著の随所にある現状の報告を見て、あらためて
背筋が寒くなった。他人事ではない。
多田富雄氏がただものではないことは、白洲正子の対談集ですでに知っていた。
能を通じて親交のあったおふたりである。
能とは人の生死がテーマともいえる。
そのただものではない人も、病人ともなれば、普通の人と同じく肩書きもなく
患者の○○さんと呼ばれる病院という特殊な場所。そこはある意味、異界である。
その異界から現世、娑婆に生還するため、いかに考えどのように格闘したか。
わが身に起きなければとうていわかるまい、と思う。
それをわかるように、これでもか、と書かれている。
わが身の辛さ苦しさも想像を絶するが、それをまた書くという事は二重の辛苦で
あるはずだ。いや、書かずに死ねるかでもあろうが、大変なことである。
左手、指一本でワープロを打つ。それを想像すると恐ろしい。
ブラインドタッチなんて先日言っていたうさこ、同じ状況で果たして書けるか?
と考え込んでしまう。
しかし、タイトルの寡黙な巨人、本を読むまでは巨人とは何のことだろうと思って
(そのうち読むつもりで)いたが、それがわかってくるにつれて、書かれた意味の
大きさを改めて感じている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/28/e1b38ff8ae8d755a4aa26d19ff395993.jpg)
「私はどうなるかわからないが、世界の問題はずっと続いている。
自分のことだけを考えてはいけない。」(同著p69)
この一文、この人が「ただの患者」ではないことの証明である。
多田氏のように回生することなく、病院のベッドで長患いのまま逝った父はただの
一患者で終わったが、かわりにその姿を晒してアホな娘の根性を叩いてくれた。
そのことなくして、私が人として生きる力を求めようとすることもなかったと思う。
終章に、その後巨人がどうなったか、詳細に綴られている。
「こうして私の中に生まれた「巨人」は、いつの間にか、政府と渡り合うまで育って
くれた。」(同著p242)
人はそれぞれの環境で生きるしかない。
だが、そこからいかに生きるかは人しだいである。
敬服し、耳を垂れ、耳を立て、うさぎももっと跳ねようと思った。