若い頃、このロマンチックなタイトルを目にするたびに強い憧れと、閃光で眼が
くらむようなとまどう思いとが同時にあって、惹かれていた。
坂口安吾の小説であるが、読んでいると「羅生門」の三船敏郎が思い浮かぶ。
若山富三郎と岩下志麻で映画化されているけれど、わたしのイメージでは
主人公の山賊役は三船敏郎の顔で桜の山の中を必死で駆け抜けていくのである。
森より町中では桜の下で宴会、どうしてもなじめないニッポンの慣習である。
わたしは一度もそのゴザの上に座って宴に混ざったことはない。
これから先はどうだか。
ずっと誘われるような環境がなかったということもあろうし自ら花見の宴を計画
したりもしなかった。横目に見ながら通り過ぎ、目を背けて歩いてきた。
ホシミ(欲)の宴であるからして小鬼(又の名ザコオ)が集っていそうだと内なる
虫が知らせて遠ざけるのである。
安吾のこの小説を読んでからそうなったわけでもないが、読んだあとは自分は
正しいぞと思ったりした。
毎年今どきは、山桜を見上げて花を待っている。そして葉桜になっても桜の木を
大事にし、誇りにさえ思っているようなところもある。
庭に桜の、それも山桜の木があるよと誰にともなく言う、そんな誇りかたで、
かわいいもんである。
その下で、安吾が書いたような孤独を感じたりはしないからだろう。
孤独はないが、そこを突き抜けたところの虚空というのはもしかしたらあるかも
しれない。
虚空のはての悲しさも、おそらくあるのだろうと思うのである。
ゴールデンウイークに咲くうちの桜、裏山の桜、その下では森の生きものが
駆け回る。鬼が入るスキなどない。
鬼は都からやってくるのである、車に乗って。
門番、黒犬がワンと吠えて、鬼を追っ払ってくれるのでうさこは安心して花を
待っていられる。
あと何回、雪が降れば花が咲くだろうかなあ。その頃には親分も治るかなあ。
くらむようなとまどう思いとが同時にあって、惹かれていた。
坂口安吾の小説であるが、読んでいると「羅生門」の三船敏郎が思い浮かぶ。
若山富三郎と岩下志麻で映画化されているけれど、わたしのイメージでは
主人公の山賊役は三船敏郎の顔で桜の山の中を必死で駆け抜けていくのである。
森より町中では桜の下で宴会、どうしてもなじめないニッポンの慣習である。
わたしは一度もそのゴザの上に座って宴に混ざったことはない。
これから先はどうだか。
ずっと誘われるような環境がなかったということもあろうし自ら花見の宴を計画
したりもしなかった。横目に見ながら通り過ぎ、目を背けて歩いてきた。
ホシミ(欲)の宴であるからして小鬼(又の名ザコオ)が集っていそうだと内なる
虫が知らせて遠ざけるのである。
安吾のこの小説を読んでからそうなったわけでもないが、読んだあとは自分は
正しいぞと思ったりした。
毎年今どきは、山桜を見上げて花を待っている。そして葉桜になっても桜の木を
大事にし、誇りにさえ思っているようなところもある。
庭に桜の、それも山桜の木があるよと誰にともなく言う、そんな誇りかたで、
かわいいもんである。
その下で、安吾が書いたような孤独を感じたりはしないからだろう。
孤独はないが、そこを突き抜けたところの虚空というのはもしかしたらあるかも
しれない。
虚空のはての悲しさも、おそらくあるのだろうと思うのである。
ゴールデンウイークに咲くうちの桜、裏山の桜、その下では森の生きものが
駆け回る。鬼が入るスキなどない。
鬼は都からやってくるのである、車に乗って。
門番、黒犬がワンと吠えて、鬼を追っ払ってくれるのでうさこは安心して花を
待っていられる。
あと何回、雪が降れば花が咲くだろうかなあ。その頃には親分も治るかなあ。