想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

雨に流れて、暗い夜の後に

2010-03-26 11:13:27 | Weblog
この雪の良いところは雨に流れて形をとどめないことです。
このまま凍ればその重みは樹に負担をかけるでしょう、だから雨に素直に
流されます。

思い込みの激しかった若い時分に、我が胸中に溜まった思いの重さにかえって
自分を失っていました。
思い込むときに正しいかどうかなどと考えているわけではない。むしろ正しいか
間違っているかではなく自分を守ろう、どんなことがあろうと守ろうという
無意識に近い防衛本能のようなものでいっぱいになってしまうのでははないかと
思います。
「自分」ではなく「脳」がはたらいてそうなるわけで、それを制御するはずの
自分よりも、猛然たるスピードで脳が先走り命令し思い込みの牙城が築かれる。
ましてや今自分の胸のなか、頭のなかでかけめぐる思いを「思い込み」などと
いう無駄な考えとは気づきようもない確固たるものになっていきます。
それが最初は迷いから始まったことなど、もう忘れてしまいます。

そうなると、その思いの始まり、きっかけをさかのぼり思い起こすことも
できなくなっています。考える余裕などありません。
思いの重さで苦しさから逃げることへ考えはひたすら向かいます。
守ろうからはじまって逃げるになり、逃げて守れるわけもないのだけれど、
それで自分をかたくなに守ろうとするのです。

しかし脳は命令を継続したりはしません。その時その時目先のことでしか動かない。
一夜明ければ、昨日の思いは薄れています。薄れたところで落ち着いて考えれば、
思い込みが変化します。
けれども昨夜の記憶が生々しいままに、なかったことにすることが今度はできないのです。
昨夜の自分の考えた思い、自分を占領していた考えに、今度は脳ではなく自ら縛られ
またそこからどうやって逃げるか、なかったことにするかと、考え始めます。

思い込みの檻から抜け出すのは、なかなか難しいようです。



わたしがどうやって檻から脱出したか? それはまた別の機会に書くとして、
一つ言えるのは「私」「自分」を守っているのだから、「私」「自分」を勘定から
外す、数に入れない、消してしまうのです。
うさぎは逃げ足が速い! 特にアホなうさこですから、命令に従順です。
思い込みの元凶である脳ではなく、覚ったカメに「考えるな」と一言命令されて
それをひたすら守りました。
考えるな、となれば「私」を思うことをやめるしかないのでした。

かくしてわたしは早足のうさぎ、軽い軽い自由なうさこに戻れたのでした。
自分に努めて頭をからっぽにするようにしたのです。元々アホですからたいした
こと考えていません。
この効果はてきめんに顕われました。

けれど、そうした暗い夜を幾晩もすごした若い時のことを、そういう時代が自分に
あったことを今もよく覚えています。似たような人をみかけると、ああ難儀なことだなあ
と気の毒です。
どうか脱出し、明るい場所を知ってほしいと思いながら見守るしかないのですが。

人がゆえなく思いに囚われれて、それが元で病気になるほど、狂うほどにふりまわされて
不審な行動に出るまでに追い込まれることも知っています。
その原因に対処することをカメにはたくさん教わりました。
理論的にもわかるようになりました。祈祷したりお祓いしたりしてもらいに行く人が
いますね、あれとは違いますよ。人頼みで脳みそ占領から解放されることはありません。
いや、神頼みであって人頼みではないと言われるかもしれませんが、お祓いしてる人が
神なのでしょうか? あるいは神に通じているでしょうか?
通じていればおそらくカメのように「やめよ」と言われるのです。祈祷だけすることは
ありません。悟った坊さんならばお祓いしますかなんて言いません。

本当の自分をみつけること。そしてみつけた本当の自分を大切にすること。
それは自己中とは真逆です。自分を捨てることに至る道、そう思います。
そこが道の始まりの地点です。
人に道ありと、カメに教わってから思い込みとは無縁であります。

ベイビーは治療第二段階に入り、融ける雪のようにおなかの腫物が消えてくれるよう
願っています。
コメント
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