希望、生きる力は希望が糧となる。
「人身事故で遅延しています」というアナウンスを駅のホームや改札口で聞くことが
珍しくない日々、大都市東京だけではなく地方にも不条理の死が蔓延しているニッポン。
「希望」という言葉が嫌いだった若かった頃、希望を知らなかったからだ。
死のうかと考え迷う人に、この生きる糧はどうしたら届くのだろうか。
行政の福祉やNPOの生活支援ではなく、希望だ。
一時しのぎの銭をもらうことが希望ではない。腹を満たすことではないのだ。
わたしの名を呼んでくれる人がいる、生きていてもいいと。
希望とはそういうこと。
あなたのためにわたしはここでふんばらなければならない。
また希望とは内側からつきあげるように湧いてくる他者を思う気持ち。
そして、隣の見知らぬ人にも同じ気持ちがあることがふと聞こえてくるような瞬間。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/8b/9c3bfe9d5078d5893751161371364511.jpg)
森のなかで枯れ木立を眺めて、新緑のまぶしい季節を思う。
めぐりくる時を知ることも希望、その希望が人一人の力ではどうしようもないことを
知っている。
絶体絶命の時、だが死ぬよりも、頭を垂れて生きていよ。
死んだって生きたって同じさとほざきながら、生きていよ。
生きていればその腹の底で、生きていることを欲しているはず。
その欲望を、希望に変えるにはただ一つ、「我」を捨て「技」を捨て無となり
成り果てたとき、吹く風に逆らわないでいられるだろう。
丸裸の樹々が芽吹くのは、あたりまえだ。あたりまえになるには我を捨て去ることしかない。
生まれてこのかた、一重二重とくるまれてきた我をこんどは一枚づつ薄皮でいいから
はがすことである。はがれるごとに垂れた首ももちあがり、光もみえるようになるだろう。
人を生かすのは、希望でしかない。
「人身事故で遅延しています」というアナウンスを駅のホームや改札口で聞くことが
珍しくない日々、大都市東京だけではなく地方にも不条理の死が蔓延しているニッポン。
「希望」という言葉が嫌いだった若かった頃、希望を知らなかったからだ。
死のうかと考え迷う人に、この生きる糧はどうしたら届くのだろうか。
行政の福祉やNPOの生活支援ではなく、希望だ。
一時しのぎの銭をもらうことが希望ではない。腹を満たすことではないのだ。
わたしの名を呼んでくれる人がいる、生きていてもいいと。
希望とはそういうこと。
あなたのためにわたしはここでふんばらなければならない。
また希望とは内側からつきあげるように湧いてくる他者を思う気持ち。
そして、隣の見知らぬ人にも同じ気持ちがあることがふと聞こえてくるような瞬間。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/8b/9c3bfe9d5078d5893751161371364511.jpg)
森のなかで枯れ木立を眺めて、新緑のまぶしい季節を思う。
めぐりくる時を知ることも希望、その希望が人一人の力ではどうしようもないことを
知っている。
絶体絶命の時、だが死ぬよりも、頭を垂れて生きていよ。
死んだって生きたって同じさとほざきながら、生きていよ。
生きていればその腹の底で、生きていることを欲しているはず。
その欲望を、希望に変えるにはただ一つ、「我」を捨て「技」を捨て無となり
成り果てたとき、吹く風に逆らわないでいられるだろう。
丸裸の樹々が芽吹くのは、あたりまえだ。あたりまえになるには我を捨て去ることしかない。
生まれてこのかた、一重二重とくるまれてきた我をこんどは一枚づつ薄皮でいいから
はがすことである。はがれるごとに垂れた首ももちあがり、光もみえるようになるだろう。
人を生かすのは、希望でしかない。