おっかあーさーん、子どもの足には遠い田舎道を駆けてきたわたしは、あぜ道に
立って母を探した。親戚の田植えの手伝いに行った母に会いに来たのだった。
うつむいた姿勢で田の泥の中で立ち働いていた数人のうち一人、小柄な女が顔を
あげた。こっちこっちと手を振ってくれるまで、胸のなかでなんども大声をはり
あげて母を呼んでいた。実際には声にはだせず、ウッウッと泣きじゃくっていた
らしいが。
あの時わたしはまだ小学校に上がる前であった。人見知りが激しくて保育園にも
行かず、家で仕事をする父のそばで毎日遊んでいた。そしてある日父に叱られ、
ワーッと泣きながら家を飛び出して母を探しに行った。
その日の情景は、ある時は叱る父の声で、ある時はやさしく包んでくれた母の
腕の安心感として、大人になってからずっと、いい歳になった今に至るまで
よく思い出されるのである。

叱られたのは今も変わらないおっちょこちょいがもとであった。
近所の農家から買ってきた生みたての赤卵が笊に入れて板の間に置いてあった。
バタバタと走り回っていたわたしの片足がその笊の中に入った瞬間、父の怒声が
飛んだ。母のために父が買ってきた卵であった。
母は身体が弱い人であった。父はあれこれと薬を求め栄養のあるものを食べさせ
ようとしていた。その貴重な卵をふみ割ってしまったのだ。
その時のグシャッという感触と父の声に、とんでもない失敗をしでかしてしまったと
いうことが瞬時にわかった。そして、わたしは脱兎のごとく逃げたのである。
おかあさーん、と思ったことを覚えている。
母に連れられ後ろに隠れるように戻ってきたわたしを見て父は笑っていた。
母も、もう戻ったよ、と残り半日もあったはずの作業を切り上げてきたことを
笑いながら話していた。
あの日、父と母は珍しくおだやかだったこともよく記憶している。
こんなことを書いたのは、友人のお母さんが田舎から出てこられて子どもの心配
ばかり話されるのを聞いているからである。
子どもと言ってももう50に手が届くし、お母さんはじきに80歳になられる。
母の愛はいくつになっても変わらず、これでいい、ここまでということがない。
どうあっても子をかばい子を案ずるのである。
深く澄んだ湖と、そこで好き勝手に泳ぎ太った魚を思い浮かべる。
湖の愛が滲み出して、湖畔に立つわたしにも温もりが伝わってきた。
そして、あの日の両親の事、まだ若かった母の白い腕などがふっと思い出された
のであった。
立って母を探した。親戚の田植えの手伝いに行った母に会いに来たのだった。
うつむいた姿勢で田の泥の中で立ち働いていた数人のうち一人、小柄な女が顔を
あげた。こっちこっちと手を振ってくれるまで、胸のなかでなんども大声をはり
あげて母を呼んでいた。実際には声にはだせず、ウッウッと泣きじゃくっていた
らしいが。
あの時わたしはまだ小学校に上がる前であった。人見知りが激しくて保育園にも
行かず、家で仕事をする父のそばで毎日遊んでいた。そしてある日父に叱られ、
ワーッと泣きながら家を飛び出して母を探しに行った。
その日の情景は、ある時は叱る父の声で、ある時はやさしく包んでくれた母の
腕の安心感として、大人になってからずっと、いい歳になった今に至るまで
よく思い出されるのである。

叱られたのは今も変わらないおっちょこちょいがもとであった。
近所の農家から買ってきた生みたての赤卵が笊に入れて板の間に置いてあった。
バタバタと走り回っていたわたしの片足がその笊の中に入った瞬間、父の怒声が
飛んだ。母のために父が買ってきた卵であった。
母は身体が弱い人であった。父はあれこれと薬を求め栄養のあるものを食べさせ
ようとしていた。その貴重な卵をふみ割ってしまったのだ。
その時のグシャッという感触と父の声に、とんでもない失敗をしでかしてしまったと
いうことが瞬時にわかった。そして、わたしは脱兎のごとく逃げたのである。
おかあさーん、と思ったことを覚えている。
母に連れられ後ろに隠れるように戻ってきたわたしを見て父は笑っていた。
母も、もう戻ったよ、と残り半日もあったはずの作業を切り上げてきたことを
笑いながら話していた。
あの日、父と母は珍しくおだやかだったこともよく記憶している。
こんなことを書いたのは、友人のお母さんが田舎から出てこられて子どもの心配
ばかり話されるのを聞いているからである。
子どもと言ってももう50に手が届くし、お母さんはじきに80歳になられる。
母の愛はいくつになっても変わらず、これでいい、ここまでということがない。
どうあっても子をかばい子を案ずるのである。
深く澄んだ湖と、そこで好き勝手に泳ぎ太った魚を思い浮かべる。
湖の愛が滲み出して、湖畔に立つわたしにも温もりが伝わってきた。
そして、あの日の両親の事、まだ若かった母の白い腕などがふっと思い出された
のであった。