(以下、先週の夜の走り書き)
カシコソウナなしゃべり方に要注意である。
よく聞いていないと正しいことを言ってるように聞こえ
はい、なんてうなづいてしまいそうになったりする。
なんか?な気が頭のスミっこにあるのを感じるんだけど
なんかが何かわからないので、んー、ま、いいかと流れる。
二重被爆者の山口さんを「世界一運の悪い男」と笑いの
対象にしたBBC放送の番組プロデューサーのコメントも
そういう典型的なものである。
「日本人がそういう(原爆)問題に敏感であることを
過少評価していた、申し訳ない」だと。
これは正しくはない上に傲慢である。
馬鹿にしている、とは思いたくない、相手がバカすぎて。
イギリス人である自分は原爆も被爆者のこともまじめに
考えたことなどないもんね、運が悪かったくらいにしか
思わないもんね、だもんでそんなに怒られるとはね、
日本人からさ、びっくりだもんね、想像以上だね。
これが本音であろう。
少しの反省もないコメントを言い換えただけである。
過少評価なんて余計に失礼極まりない。
上から目線な言い方をして謝罪になるか、バカ者だ。
メディアだけのことじゃなくて、日常にこういう話は
たくさんあって、本人は気づかないまましゃべりまくって
いるのだが、性格のワルサが露呈するんである。
見抜くための特徴をひとつ、まず、「いいと思う」とか
「悪いから」とか「それでいい」とかいうフレーズが
頻繁に使われ、いい悪いばかり言いたがるのである。
何が基準か不明なまま、いい悪いばかり言いつのる。
あなたのために、とかもいいやがる。
レーセイに聞いていると、それって結局自分の都合が
いいって話じゃないの? と気づくのだが、人のいい人は
それをツッコンで質したりしないので助長させる。
いい人ってだめな人でもあるね。
ちょい性格のねじれた人は黙って聞き受け流しているように
見えて実は書いたりする(うさこ、アンタもね)。
ただ聞き流す、なんてできる器ではないもんね。
黙ってても腹の底に重たい石が入ったみたいに怒りがこみ
あげて来るもんで…。
さらに例を挙げると、枝野新官房長は沖縄県知事仲井氏に言った。
「沖縄の基地負担軽減を真剣に取り組むが、これは基地
移転問題とリンクしない」ってさ、こりゃなんだ?
県知事は県外移設を公約に当選しているのは周知のことで沖縄の
本願である。軽減するんなら県外移転しなさいよ、日米合意通り
に進めることに変わりはないと補足するのは矛盾なのだ。
こんなことは誰にでもわかるのであるがシャーシャーとおしゃべり
になる、分厚い顔だ。
マイクの前で、カメラの前で証拠を残してしゃべる。
面の皮が厚いなんてもんじゃなくて、麻痺しているのである。
自分の都合のいい結論に導くための話をすることに夢中で
論旨が破綻していることに気づいていない。というか、
破綻を恥じない神経の鈍さ。議員バッジの魔力だろう。
弁護士バッジもしょっちゅうチラつかせたりのバッジ好きである。
詭弁と傲慢は毎日テレビでたれ流されてきたが、小泉政権で
市民権を得たと思ったか、あろうことか国民の期待を背負った新政権が
さらにそれを磐石のものにしつつある。興ざめである。
嘆きなど通り越した、悪党街道まっしぐらをもう1年見続けなんだから。
人生長く生きると色々な目に合うもんだと年寄りが言うのを
聞いて、ふーん、なんて思っていたが…本当にびっくりする。
しみじみと驚いている自分に驚く。
堕落していく政治を同時代に目のあたりにせねばならないのは
どう整理していいかわからない。
歴史で勉強するだけでじゅうぶんだったのにリアルだもの。
反面教師になるならいいが慣れ、諦め、麻痺させるのがメディアの
影響力の怖いところである。
バカもアホウもいい人も誰でもテレビには映る。
映ったものが刷りこまれていく。
見分けるには人に心が必要なんだけど、心は行方不明で
虚言と詭弁、約束不履行の詭弁、鉄面皮の傲慢が溢れている。
どうしたら、人があれほど人らしくなくなれるのか?

(一夜明けて)
BBCが英国日本大使館へ謝罪したという文面が若干変わっていた。
理解が足りなかった、そうな。過小評価と前日言っていたのが、
反省する主語が明確になっている。謝まり方を知らないわけでは
ないらしいし、翻訳ミスでもないらしいけど、原文はどうなのか
少し勘ぐってみたりする。
でももういい、もういい、オシマイ。
なぜならば、人間の世の中は根本的に悪である。
悪ではないなどと言うのも悪である。性善説など簡単に言っても
まやかしだ。(性の意味を考えよ、うまれでどころと訓むのだから)
ヒトは肉体を持ちそして悪を為す。そういう存在であることを、
もう否定はしないだけだ。
だから、グズグズと世の中の現実を愚痴って書くのは退屈だ。
だから、オシマイ。
で、かように「悪を認識するところに善が生まれ出る。
悪を悪と認識し善を行おうと志す。(それは希望と名づけられ)
そして悪の渦巻くなかにあって善を示していくだけである。
それは虚しさとの闘いで、孤独な道だ。
そもそも、生きることは苦行と知れば然りである。」
そしてまた、知る者はより深く喜びを感じ、顕われた尊さに気づく
こともあるだろう。真の喜びや楽しみとはそのことを指すのだ。
一日一日のなかに見いだすこともあろうし、歳月をかけねばならない
こともあるだろう。
「悪だ悪だ、世の中は結局悪まみれだ」とカメにこぼし、こぼして
ばかりだと申し訳ないので、ちょっと理屈をこねてみたらかように
(太字)最後にまとめていただきました。
で、枝野もKANもBBCも、遠くへ放り投げ、希望を取り戻しました。
(2月講義の日もたぶん雪でしょうね、駅まで迎えありますけん)
カシコソウナなしゃべり方に要注意である。
よく聞いていないと正しいことを言ってるように聞こえ
はい、なんてうなづいてしまいそうになったりする。
なんか?な気が頭のスミっこにあるのを感じるんだけど
なんかが何かわからないので、んー、ま、いいかと流れる。
二重被爆者の山口さんを「世界一運の悪い男」と笑いの
対象にしたBBC放送の番組プロデューサーのコメントも
そういう典型的なものである。
「日本人がそういう(原爆)問題に敏感であることを
過少評価していた、申し訳ない」だと。
これは正しくはない上に傲慢である。
馬鹿にしている、とは思いたくない、相手がバカすぎて。
イギリス人である自分は原爆も被爆者のこともまじめに
考えたことなどないもんね、運が悪かったくらいにしか
思わないもんね、だもんでそんなに怒られるとはね、
日本人からさ、びっくりだもんね、想像以上だね。
これが本音であろう。
少しの反省もないコメントを言い換えただけである。
過少評価なんて余計に失礼極まりない。
上から目線な言い方をして謝罪になるか、バカ者だ。
メディアだけのことじゃなくて、日常にこういう話は
たくさんあって、本人は気づかないまましゃべりまくって
いるのだが、性格のワルサが露呈するんである。
見抜くための特徴をひとつ、まず、「いいと思う」とか
「悪いから」とか「それでいい」とかいうフレーズが
頻繁に使われ、いい悪いばかり言いたがるのである。
何が基準か不明なまま、いい悪いばかり言いつのる。
あなたのために、とかもいいやがる。
レーセイに聞いていると、それって結局自分の都合が
いいって話じゃないの? と気づくのだが、人のいい人は
それをツッコンで質したりしないので助長させる。
いい人ってだめな人でもあるね。
ちょい性格のねじれた人は黙って聞き受け流しているように
見えて実は書いたりする(うさこ、アンタもね)。
ただ聞き流す、なんてできる器ではないもんね。
黙ってても腹の底に重たい石が入ったみたいに怒りがこみ
あげて来るもんで…。
さらに例を挙げると、枝野新官房長は沖縄県知事仲井氏に言った。
「沖縄の基地負担軽減を真剣に取り組むが、これは基地
移転問題とリンクしない」ってさ、こりゃなんだ?
県知事は県外移設を公約に当選しているのは周知のことで沖縄の
本願である。軽減するんなら県外移転しなさいよ、日米合意通り
に進めることに変わりはないと補足するのは矛盾なのだ。
こんなことは誰にでもわかるのであるがシャーシャーとおしゃべり
になる、分厚い顔だ。
マイクの前で、カメラの前で証拠を残してしゃべる。
面の皮が厚いなんてもんじゃなくて、麻痺しているのである。
自分の都合のいい結論に導くための話をすることに夢中で
論旨が破綻していることに気づいていない。というか、
破綻を恥じない神経の鈍さ。議員バッジの魔力だろう。
弁護士バッジもしょっちゅうチラつかせたりのバッジ好きである。
詭弁と傲慢は毎日テレビでたれ流されてきたが、小泉政権で
市民権を得たと思ったか、あろうことか国民の期待を背負った新政権が
さらにそれを磐石のものにしつつある。興ざめである。
嘆きなど通り越した、悪党街道まっしぐらをもう1年見続けなんだから。
人生長く生きると色々な目に合うもんだと年寄りが言うのを
聞いて、ふーん、なんて思っていたが…本当にびっくりする。
しみじみと驚いている自分に驚く。
堕落していく政治を同時代に目のあたりにせねばならないのは
どう整理していいかわからない。
歴史で勉強するだけでじゅうぶんだったのにリアルだもの。
反面教師になるならいいが慣れ、諦め、麻痺させるのがメディアの
影響力の怖いところである。
バカもアホウもいい人も誰でもテレビには映る。
映ったものが刷りこまれていく。
見分けるには人に心が必要なんだけど、心は行方不明で
虚言と詭弁、約束不履行の詭弁、鉄面皮の傲慢が溢れている。
どうしたら、人があれほど人らしくなくなれるのか?

(一夜明けて)
BBCが英国日本大使館へ謝罪したという文面が若干変わっていた。
理解が足りなかった、そうな。過小評価と前日言っていたのが、
反省する主語が明確になっている。謝まり方を知らないわけでは
ないらしいし、翻訳ミスでもないらしいけど、原文はどうなのか
少し勘ぐってみたりする。
でももういい、もういい、オシマイ。
なぜならば、人間の世の中は根本的に悪である。
悪ではないなどと言うのも悪である。性善説など簡単に言っても
まやかしだ。(性の意味を考えよ、うまれでどころと訓むのだから)
ヒトは肉体を持ちそして悪を為す。そういう存在であることを、
もう否定はしないだけだ。
だから、グズグズと世の中の現実を愚痴って書くのは退屈だ。
だから、オシマイ。
で、かように「悪を認識するところに善が生まれ出る。
悪を悪と認識し善を行おうと志す。(それは希望と名づけられ)
そして悪の渦巻くなかにあって善を示していくだけである。
それは虚しさとの闘いで、孤独な道だ。
そもそも、生きることは苦行と知れば然りである。」
そしてまた、知る者はより深く喜びを感じ、顕われた尊さに気づく
こともあるだろう。真の喜びや楽しみとはそのことを指すのだ。
一日一日のなかに見いだすこともあろうし、歳月をかけねばならない
こともあるだろう。
「悪だ悪だ、世の中は結局悪まみれだ」とカメにこぼし、こぼして
ばかりだと申し訳ないので、ちょっと理屈をこねてみたらかように
(太字)最後にまとめていただきました。
で、枝野もKANもBBCも、遠くへ放り投げ、希望を取り戻しました。
(2月講義の日もたぶん雪でしょうね、駅まで迎えありますけん)