想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

国会で吠えた!東大 児玉龍彦教授

2011-08-01 22:37:59 | Weblog
110727東京大学 児玉龍彦教授15min


M君、いや、松ちゃん、急げよ。
おねげえしますだ~、除染は一刻を争うだよ。
ビジネス然り、国益然り、益もさることながら大志を叶える時、
それは今だよ~。
うさこ、毎日祈ってます。
叶ったらおおいにオマケします。
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歌に救われること

2011-08-01 14:40:47 | 

地震にも原発にもやられなかったので避難先に選ばれていた南会津が
大雨と洪水で水浸しになった。只見町も。
この森から北へ90キロあるのだが、テレビニュースで福島と新潟がと
報道されるので知人友人肉親らから大丈夫かい?という電話があった。
ノーテンキでゆるゆるな声で「デェージョーブだ~』と答えるので
えええっホント、と妙な安心のしかたをされて、オトナ声でいや本当に
こっちは降ってないんです、と言い換えた。

この森と谷間を挟んで10キロほど南は大量に降っているのだから、
天気図で列島の雲の位置など観ても詳細なことはわからない。
とにかく恵みの雨は降ってくれたが、災いの雨は降らずに済んだ。
ありがたやありがたや、ほんとにありがたや。

雨の合間にベイビーも小走りで散歩した。小走りだよ!
木曜日に打ってもらった鍼が効いていて、土日はいつも元気なんだ。
今はその疲れでぐったり寝てるけど、とにかく軽やかに走れるように
回復している。これもありがたや、ありがたや、ほんとにありがたや。
胸が詰まることばかり続いていて、ありがたいことに敏感になった。
冷凍庫に監禁された後に扉を開けてもらって毛布にくるまれ、温かい
お茶をふるまってもらったようなものであるね。
(喩えがどうもなあ‥なんだかなあ‥ユルセ、思いつかん)
ヨロコビはふわっと胸を熱くするんだなあ。

ところで、大岡信の「折々のうた」夏版をひもとき、心を鎮めた。
「入れものがない 両手で受ける」(尾崎放哉/オザキホウサイ)
自由律俳句。万葉の代から昭和まで、優れた歌を四季に分けて編纂
されているとても便利な本で、机の上に置いて時に手にとってみる。
その時々、心にかかる歌が違うが、昨日は尾崎放哉の上の句にギュッと
掴まれてしまった。

津波で町ごと集落ごと攫われてしまった岩手宮城フクシマの人が
目に浮かぶからであった。
届かぬ義援金と国家補償と、その日暮らしに支給される弁当待ち。
どんな気持ちでそれを手に受けているのだろうかと連想した。

自ら世捨て人になった者と突然の災難で丸裸にされた者は、捨てた
のと失ったのとで立場が違う。それを承知で思うのだった。
無いという目の前の現実一点で等しいことを。
現実は同じでもそこへ向ける思いしだいで生き様が変わるものだ。
成りもするし失いもする。嬉しさと悲しさに分かれる。

歌が人を救うこともあろうかと、無一物に生きた放哉の歌を詠んで
思ったりしたが、そんなアホなと反発される向きもあろうかと思う。
けれど、両手で受ける、という句の持つ意味はとても重く、深い。
明日の補償を声高に訴える感覚からは遠く隔たり、またそれまで持ち
得たモノ事への意識をも改めて問われはしないだろうか。

一方、自力で立とうと無理を承知、奮起する人の寂しい背中を温かく
押し、あるいは包みこんでくれるのではないだろうか。
捨てると得るは紙一重で、究極のところで一つとなる。
大空を覚った詩人の声をそんな気持ちで繰り返し、声にして聞いた。
本来無一物の境地は人を芯から強くし、温かな血を通わせてくれると
思うのだった。

ここは被害が少なくて済んだはよいが、周囲は生殺しの地獄図であるし、
気持ちが安らぐことなどない日々にあって、肩の力が抜けるひと時だった。


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