黙ってないんだがんな、と歌うのは‥友川かずきだよん。
稲わら問題で農家をインタビューしたテレビニュースでよく流れる
「廃業せねばならんなら、先祖に申し訳ない」と話す農家の声。
辛いし、腹立たしく思うのは話の前後をカットしていることだ。
農家がなぜ先祖に申し訳ないと思うのか、原発と政府に怒ることも
せずただ申し訳ないなんて言っているわけがないだろう。
土地を汚染したのは自分たちではないものを、なぜ先祖に謝るのか。
ありえない文脈なのに、そこだけ切り取ったら報道ではなく茶番劇に
しか映らない。
農家をバカにしていると、食うものに困るぞと農家がムシロ旗掲げて
行進する図でも映してくれないか!エキストラ雇って代々木公園で。
ヤラセで作るならそのレベルの事をやってくれと思う。
もしも農家が本当に詫びるとしたら、原発推進の行政に鈍感であった
ことだろう。
他人事にし、交付金漬けになっていることをよしとしてきたことだろう。
そのことを騙されたと言い訳するだろうが、自分の罪ととらえている
農家はいないのではないだろうか。
怒りと涙しかないはずなのに、それを映さずして何になる?
本当のことを単刀直入に口にすると「言葉が強い」とかよく言われる。
経産省の海江田大臣が退職勧奨中の官僚、古賀氏に言ったそうだが、
アホくさい話だ。物事の本質を突かれて返す言葉がそれではなあ‥。
言葉が強いとか言っている側のほうがむしろ感情的になっていて
筋違いの事しか考えていない、そういうことはままあるんである。
強い=イケナイ、そう勘違いして慇懃なしゃべり方をする人がいる。
言い方を工夫しすぎて本質を違えてしまっても気づかない。
柔らかく婉曲が過ぎて相手に伝わらないのに、自分の話し方に酔って
満足している人は相手がどう思っているかなど気にしないのだろう。
謙虚さのカケラもない人にかぎってエンリョするフリをする。
伝わらないなら、では何のための言葉だろうか?
自分の言葉には魂はないのか。
このような時に強くなくてどうするかと思う。
言葉は時として武器になり、武器は闘う道具だ。
そしていま、闘う時、平和などとっくにオワリマシタであるよ。
かかか、更新ひさかたぶりにできました。