想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

玉ネギ40分、泣いた後にはマイウー

2011-08-11 18:46:13 | 
大きめの玉ネギだと3個、中だと4、5個。
薄切りにする。涙が溢れる。

フライパンを熱しおろしたショウガとニンニクを
炒め香りが出てきたら玉ネギをど~んと入れる。
水分を飛ばしながらしんなりするまで焦がさない
ように気をつけて炒める。
30分くらいで嵩が減り、ねっとりとなってくるが
まだ、もうちょっと炒める。小口切りの唐辛子1本
を加えてさらに、最低40分は炒める。

ネトネトになったら薄力粉大匙2杯半を振り入れる。
いっぺんい入れないこと。混ぜながら絡ませながら
入れ、なじんだらカレー粉香辛料各種を入れる。
粉っぽさがなくなるまで炒める。
この間ずっと弱火で焦がさないようにすること。
深めの中華なべがやりやすいね。



次にコンソメをお湯で溶いておいたものを加え、
量は必要な分だけだが、まあカップ5か6が目安。
これも半分だけ加え、よくかき混ぜなじんできたら
トマトを入れる。トマトは生でも缶詰でもいいが、
細かく刻んでおくこと。ちなみは今回は有機トマト
缶詰(イタリア産)が安くなっていたのでお手軽に
使用。

よく混ざったら残りのスープを入れ、中濃ソースを
小さじ1、ケチャップ小1を加える。
ローリエの葉があればここで入れ、弱火で20~30分
煮る。焦がさないこと。
味見して、カレーの味がしたらオーケーである。



しかしすぐに食べないで一晩寝かせること。
決して起こして夜中にちょい食べなどしないこと。
マイウーなのでちょい食べでは止まらなくなるから。
以上、午後は手作りカレーソースに挑戦したのである。

実は食欲がなかったので、そうだカレーを作ろうと思い
たったわけ。
カレー粉から作るのにこのところハマッているけど、
会心の出来にはまだ至ってないので挑戦なのである。
これが旨いんだなあ。
肉を使わなくてもおいしいし、食べる前に肉でも魚でも
野菜だけでも、気分で具を選んで仕上げる。

固形のカレールーを買わなくなって台所の棚には香辛料
の瓶が並んでいる。ターメリック、コリアンダー、クミン
唐辛子、シナモン、クローブ、ナツメグ、ローレル、
ジンジャー、ブラック&ホワイトペッパー、ガーリック。
そしてマサラ。おまけにこんなのがちょうどよく配合して
あるインディアンカレーの小瓶もある。

作りながら思い出したのが昔母が作ってくれていた
家のカレー。ハウスバーモンドカレーが出る前か出た後
か知らないが、家ではカレー粉と小麦粉を合わせて炒めた
ものを溶いて、煮えたジャガイモや人参や肉の入った鍋に
流しいれていた。母に念のため電話して尋ねると、なんと
味の素が隠し味だったそうな。しょうゆや塩も入れたね、
でもコショウは使ってないよ、と。

母はあれはおいしかったねーと自分で作っていたのに
言っていた。固形ルーは使わないの?と聞いても、使うよ
と言いながらカレー粉のがおいしかったねーとまた言う。

自画自賛かよと突っ込んだが、あんたたちがお代わりして
食べるからいっぱい作らないかんかったよ、と言うので
あった。玉ネギは煮崩れするから最後にね、とつけ加えた。
玉ネギは最初、が王道であるが、母の意見は実績を尊重
してそれもアリだなということにして。

本当は玉ネギを刻む前にも泣いた。
「水の透視画法」(辺見庸著・共同通信社刊)の
『「なにか」がやってきた-涙の総量そして九条-』を
読み進んで、最後の10行ほどにさしかかり突然涙が出て
止まらなくなった。
抑えていたものが溢れて、ベイビーが心配顔する位
泣いてしまった。
よって食欲がないのであった。

でももう大丈夫さ~。
明日は茄子のカレーでマイウーの予定。
明日が来ますように。





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さみしき夏休みかな

2011-08-11 17:32:55 | Weblog
(続き)
汚染物質の正体は、循環し舞い上がり雨風とともに流れてくる。
セシウムという放射性物質の性質は半減期が長いことくらいは
情報として流されているけれど、それがどこにどういう状態で
降り、その後どうなるのかを知らない人が多い。
政治家でさえそうだから一般の人が知るよしもない。
原乳や牛肉や野菜、米になれば大騒ぎするのだが目の前の今は疑わず
いつも後手にまわり、あげく犯人探しだけ盛り上がってるんだなあ。


(もう帰るの? と短い散歩に不満不満のベイビー‥)

千葉のある場所で、学童児の母である女性がみずからカウンター
で測定し、放射線量が異常に高い場所があることを見つけて行政
窓口に通報したというニュースがあった。
側溝きわの土が高濃度になっており、そばを子供達が通学路として
通っていたのである。通報後、すぐに土は除去された。

一つの事実から見えてくるもの、それをとらえる力が問われる。
目に見えないものは恐れない、このごに及んでの鈍さ‥。
逆に、見えないという不安からすべてを忌避するという感覚が露骨に
表われた京都の大文字焼きの出来事。
どちらも現実的ではなく、乱暴な感情の世界だ。
感情だけが先行し、知性と情緒が失われた世界は荒廃していく。

子どもは学校、親は勤めがあり、借金は待ってくれない日常の中の
非日常を生きているフクシマの人々。
自分ちの土地だけ掘り返しても、そのことにまったく意味がなく、
なす術はない。個の力ではどうしようもないのだ。
自治体の金庫はカラっぽなのに除染を緊急にと国会で気勢をあげる
政治家は現地には来やしないし、業者がいつまでもボランティアでは
従業員を路頭に迷わすはめになるので撤収していくしかない。
金はどこやった?血税はどこへ消えた?義援金はどこに沈んでる?

山と丘陵に風がさえぎられ、比較的線量がすくなかった風の谷で、
自分だけはまあなんとかなるなどといくらアホでも楽観してはおれず、
去年の同じ日の、恍けていられた夏休みの写真を眺めている。
今にして貴いことよと眺めている。
その日わたしは確かに幸せであったという証しだ。
キラキラした光の中に、満たされた一日を思い出すことができる。

プランター 雑草ぼうぼうと茂り さみしき夏休み

追記:外出し長距離を走った後に書きなぐり、目覚めて
読んでびっくり。読みにくい文で失礼しました!
感情的ではいけないって、自分のことは棚にあげて、
実に感情的に粗雑にウダウダ言ってますなあ、ウサポン。

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