想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

悪人2

2011-03-10 16:48:11 | 
つづき。
一夜明けて考えていたことが明瞭になってきた。
悪は見えないからね、そう先日カメが言っていたことを思い出した。
ふつう、人はあの人が悪人だとは思わなかった、とかあの人は善い人だ
とか簡単に言ってしまうけれど…と。
逆に善人を恐れるものだ、理解できないから、とカメは話してくれたのだ。

悪を悪と認め、覚(し)った瞬間から人は人として生きることができる。
(それ以前はひとでなしであって)悪を悪とも思わず開き直っている、
ごまかしながら続けているヤツは、悪にどっぷりつかったまま善人を
演じながら生きている。
演じ損ねた者がある日、手を汚した悪に恐れおののき目覚めていく。
その過程は苦しみをともなわずにはいられない。

カメはいつも言う。
「人は人の道がある、できればその道を歩くことを勧めます。なぜならば
そこに道があるものをわざわざ苦しむ方へ行くのを黙ってみているのは
つらいものです。闇の中へ向かおうとしている、だからこっちの方へ、と
道を指し示しているだけです。優等生の方法ですがだんぜんこの方が
人生は豊かで楽しいものになります。

けれども道を外している者のほうがとても多い、迷っているというのではなく
あきらかに外している。理由は本人にあるわけです。周りや他人のせいに
したがるけれども原因は本人にあります。
人は己を探し、己を知ることなくして人の道を歩くことはできないのです。
ましてやそれなくして他者のために生きることなどできないのです。
善いことをしようとして悪事をする、それが人間です。だから悪をあらかじめ
知り、恐れ、そこへ踏み外さないように、注意深く己を格(ただす)ことが
必要です。人の道は難しいことではなく素直であった頃に戻ればわかる
もの、人は素直をなくしては私慾で心身を滅ぼします、煩悩から破滅へ
至ります。それを黄泉国というのです。」

格と書いてただすと訓むのは旧事本紀のなかに出てくる。字義は木の枝を
切りそろえて整えるところからきていて、よけいなものを省き、捨てることを
指す。正の字で表すタダシイはマサゴトといい状態そのものを指している。
右にも左にも上下にも寸分のズレもないゆるぎない状態を正という。
しかし人はそういうふうには生きられない。
指先から目の端から、さまざまに欲情の種が飛び込んでくる生活。

だから指はなにゆえにあり、目はなにゆえに見、耳はなにを聞くものか、
あらゆる五感と五官について、正しさを知ること。
それが人の道の奥義である、「私」を滅すと一言で言ってるけど。

本日、おちゃらけるのはやめておきます、はい。
たまには殊勝な(自分で言う?)うさこであります。







コメント (2)
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悪人を観て

2011-03-10 02:16:31 | Weblog
 (モノクロの景色はこころが落ちつく)

映画「悪人」がDVDになっているのをTSUTAYAで発見、
即レンタルしてきた。
けれどなんだか気重ですぐに観なかった。なぜなら小説を
読んで筋も内容も知っているからである。
悲しい話にめっぽう弱い、でもって用心がはたらいてしまう。
もう結末知ってるのに、用心する、この気の弱さ、なんとか
ならんかと思うが‥、ならんねー‥。

悪人というタイトルだけれど、「悪」と「人」二つが主題で
あったと思う。
小説と違うなあと感じる箇所が二つほどあった。
ネタバレになる事は書けないけれど、主人公の苦しみの核心が
思っていたのと違う気がした。
小説では明確であったはずだけれど、映画を観て、えっそうなの?
と揺らいだ。大事なところだから。

俳優がすばらしかった。男優女優ともに。
脇役もすべてよかった。
無駄な台詞がなくて無駄なシーンもなかった。
小説は長いのでどういうふうに映画に仕立てたか興味があり、
よくある要約タイプ、切り貼りタイプにはなっていなかった。
うまいなあと感心したのだが、あとでロールに脚本吉田修一と
あり、なーんだ原作者が書いたのかと合点がいったのであった。

終盤にほとんど台詞がなく二人の主人公が歩き音楽だけがあって、
そのシーンはまるでフランス映画だわ、という感じだった。
そういうと日本映画に失礼なんだけれど、率直にそう思った。
ヌーベルバーグのフランス映画の雰囲気、詩的で胸に迫ってくる。
なかでも一番感心したのは衣装、登場人物の着ているものにウソが
なくて、リアル。リアルを創ったリアルさではなく、まんまの
風合いなので終始そのことが詩を感じさせてくれた気がする。

詩はリアル、そうなんだなあ。





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大根、育ちました

2011-03-07 09:48:09 | Weblog

って、うさこじゃないよ、カメのしわざです。
大根の蔕を捨てないで皿に水を張って入れておいたら育ち
もうすぐ花が咲きそうになってるのをいただきました。



大根の花、見たことないだろ? とカメが言ってこれを。
見たころあるだろうけど忘れてますね、うさこは。
それよか、貧しいロシア人みたいなことをやって、カメは面白い
先生です。いつも思ってたんだって、捨てないで取っといて
育てようって。

コレ、本当にある話です。
ロシアで冬に野菜がない。市場に行けばあるにはあるけど高い。
だから貧乏な学生なんか買えるわけもないから野菜はこうして
食べた後もとっておいて皿でさらに芽吹かせて(オヤジギャグではないよ)
食べるんだって。けなげだねえ。
こういうのが好きなんだね~、うさこも。
カメはもっと好きらしい、育てるの、得意だしね、あやかりたいもんだわ。
うさこは育てるのはあんまり得意じゃないですから。

ベイビーが13歳まで育ってくれてジジイにまでなってそばにいてくれて、
こりゃほんとに奇跡ですな。
そのジジイになったベイビーが、10日先くらいに入院かもしれないです。

まだ詳しくは決まっていないけど、闘病犬としてのレポートは改めて
書きます。投薬生活に区切りをつけようと考えているところです。
オペにチャレンジ。勇気がいりますなあ‥。自分が執刀するわけでも
ないのに不安で思案ばかりしている、それに気づいて苦笑いです。
医者を信頼する、進化した医療技術を信頼する、そういうことを
改めて考えています。薬飲み続けて一年経ったものですから。

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変な顔は、寝起きだからである

2011-03-07 00:47:31 | Weblog

ちょっと~起きてくれないかな~。



君のそのでかい図体、ちょっとさ~と鼻面に顔を寄せたら起きた!
なんでも下敷きにしてしまうんであるね。
枕にもするし、腹敷きにもなるし。かまやしない感じで寝る。
寝てイビキ、ゴーゴーだから起こすほうが気が引ける。



気づいたら、くわぁ~って伸びて、また寝たいんかい?

この方はいいねー、いつも伸び伸び流れに乗っかって逆らわず。

黒を白といい、右を左といい、上なら下という天の邪鬼じゃあ
ないからね。天の邪鬼って、アマノジャク。
仁王様の足の下でふんづけられてあがいてるのが天の邪鬼の
成れの果て、あの像の下絵を最初に描いたのは誰なんだろう?

仏教美術のことはあまり興味を持ったことがなかったけど、
にわかに知りたくなったりして。
それも天の邪鬼のアレがきっかけなんてのがどうもねー、
すぐ醒めそうな気もするマイブーム。いやブーム以前で終わりそう。

生きてる人間の内面を表してるわけだけど、ナマよりもまだいいか。
ナマでアレを見てるのは嫌なもんだからさ、仏像の方がまだマシ。
客観的に見ていられるから。

先日古い写真を整理していたら、奈良の中宮寺に行った時のがあって
懐かしかった。弥勒菩薩さま(如意輪観音)ほんとに美しかった。
「空」であった。(国宝の半跏思惟像で中宮寺の御本尊)
見る者が雑念邪念を以てのぞんだとしても、一切が祓われてしまいそうな
半微笑とたたずまいだ。どんな人がどんな気持ちで彫ったのだろうか。
具象化された祈りが時を超えていく。

タイトルは変な顔だったのに、美しい仏様の思い出話になったり
なんだか変な日記であるが、混乱しているわけではないよ。
更新が遅れ遅れでほんとにスマナイ気持ちです、なのに来て下さって
びっくりしたり嬉しかったり感謝しています。
いろいろありまして集中できない日々ですがもうだいじょうぶ、たぶん‥‥。

醜く生きては命に申し訳ない、美しくありたいものです、人ならば。
アマノジャクには通じない話ですが、弥勒菩薩に免じて。

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ピュアに倚りかかり

2011-03-03 21:24:22 | Weblog
寝ている、かたわらにどっしりと。
きょう、獣医がピュアと呼んだ、その黒い塊の寝息を聴いている。

ゆっくりと決まった速度の吐息と吸う息。
ほほを寄せて、波打つ大きな塊にぬくもりがあることを感じ、
ぬくもりを感じ、ではなく、あること感じ、ピュアの重さを
思い知る。

おまえをしっかりとじゅうぶんに受け取ってはいなかった、と
あたたかい吐息を顔先に受けながら思う。
どちらを向いていようと、おまえはわたしから目を離さず、
かたときも離れずよりそってきたものを。



すべらかな黒い被毛を撫でながら、夢のなかへ。
我が心の隙き間を恥じながら、ピュア、ピュア、まだ遅くないかい、
おまえと一つになりたいと、悔い、恥じながら、わたしは願う。






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志なかば…のとき

2011-03-01 10:12:38 | Weblog
先週はこの冬一番の大嵐、突風強風が通り抜けた。
森の樹々が揺れて唸り声、きしみ声が響いてくるので夜半も
目覚めてしまうほどであった。
朝になれば静まるが風は強く、冬がドスドスと足踏みしながら
旅立ちの支度でもしてるんじゃないかと暗い空をやぶ睨みして
思ったりする。
この風に慣れて平気になったら森の住人だなあ、まだまだである。



裏山の道を散歩していると行く手には松の木が倒れていた。
道をはさんで向かいの自分より細い木の枝に寄りかかり
まだ地面にどーっと落ちてきてはいないが、ざっくりと
地上1メートルあたりで裂け折れている。

まだそんなに歳のいかない、ヒトでいえば30歳半ばの
人生面白くなってきたぞという頃か。
かわいそうにと思う。何が起きるかわからないもんだね
ヒトも木も生きていれば予想もしないことに見舞われて
志半ばに倒れることもある。

先に何かを為そうと期していても、先のことはどうなるか
誰にもわからない。
誰にもわからないことを、しかしわかりたいのだ、みな。

昨日の「急がばまわる」の秘訣はというご質問にはこう思います、
急がない慌てない省略しない、そのためには忍耐力をまず先に
身につける。耐える力がないのにあれこれ先走っているのは
慌てて逃げるに等しく、ひねったつもりの知恵も浅知恵に過ぎず、
結局元の木阿弥になるのですね、だからまずは落ち着いて耐えよ、
そこをしっかりと鍛えることだなあと思います、何事も。
あ、これ、我慢比べのアレとは全然違うからね。アレは我が
強くなってるだけで意味ない意味ない。
取り急ぎこのくらいしか書けなくて、失礼します。
ではまた。


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