【私有財産と寄付】
災害や事故が生じて大きな被害が出た場合、多くの人が寄付をします。人的・物的被害を受けた人々の惨状を見て嘆き、その境遇に共感し、何か自分にも出来ることはないかという自然発生的な感情に基づき、人々は自分の財布から出せる範囲で寄付を行います。
通常、寄付をした人は賞賛されます。
個人の財産の処分は所有者の意思に委ねられており、自分の趣味、願望、欲求を満たすために費やしても全然構わないものです。
にもかかわらず、他人の被害を救済するために私財を投じるのは非常に高尚な行為であると言えます。
自分の金を自分のために使うことができたにもかかわらず、他人のために使うという点が、道徳的な評価に繋がります。
これが強制的に寄付させられた場合、寄付を強いられた人は不満を募らせ、周りの人は憐憫を覚えることでしょう。
暴力と強制は、一部の人の正義感を満たすことしかできず、多くの人の満足を損ない自発的な繋がりを壊してしまいます。
また、仮に寄付の意図するところが露骨な売名であり、お世辞にも高尚とは言えないものだったとしても、原点に戻って「私財を売名のために使って何が悪い」で済む話です。
いずれにしても、私財を投じて寄付するか否かは所有者の意思に委ねられており、また、寄付金の使途は寄付を受けた側が判断することになります。
こうした私有財産に基づく「当たり前の話」を覆そうとする集団が出現しました。
フランスの黄色いベスト達です。
【寄付金をよこせ?!】
○寄付と再建方法で論争 ノートルダム火災、仏社会結束ならず
======【引用ここから】======
フランスでは15日夜に起きた火災を受け、各政党が欧州議会選に向けた選挙活動を停止した一方、大聖堂再建に向け集まった寄付をめぐる論争が17日までに勃発した。集まった寄付金8億5000万ユーロ(約1070億円)については、その一部が貧困層支援に使われるべきではないかとの声が上がっている。
( 中 略 )
大聖堂の再建に対しては、フランソワ=アンリ・ピノー(Francois-Henri Pinault)氏やベルナール・アルノー(Bernard Arnault)氏をはじめとするフランスの大富豪や大企業がそれぞれ1億ユーロ(約130億円)を超える寄付を表明。しかし、「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト、gilets jaunes)」運動の抗議デモが5か月にわたり続くフランスでは、富の不平等と低所得者層の窮状に注目が集まっており、巨額の寄付は批判を呼んだ。
寄付により大規模な税額控除を受けられることも反発の一因となっており、これを受けてピノー氏は、税額控除の権利を放棄すると表明。一方のアルノー氏は、18日の株主総会で寄付をめぐる論争について問われた際、「フランスでは(公益となる)何かをする時でさえ批判され、非常に悩ましい」と語った。
======【引用ここまで】======
黄色いベスト達は、多くの人から集められた寄付金について
「一部は貧困層支援に使われるべきではないか」
という主張をしています。
貧困層、すなわち自分たちに金を寄越せと主張しているのです。
「人間より石が優先されるのか」
という主張もしている様子。
徒党を組み、投石や放火をしながらです。
片や自発的に寄せられた寄付金、
片や暴力を背景とした恐喝行為。
黄色いベストを擁護しようという気持ちがぜーんぜん湧きません。
【暴力を伴う要求は有害】
労働者集団の暴力を背景とした要求行為は、有害です。労働者集団が要求をし、それが世間の生活水準、生産態様等々に照らして容易に実現可能なものであれば、労働者集団の要求があろうが無かろうがいずれ実現します。
労働者集団の要求行為は、実現可能な労働条件の現実化を若干早めることができるに過ぎません。
また、要求内容が容易に実現可能な水準のものであれば、暴力を伴う要求行為をする必要はありません。
暴力に訴えなければならないということは、要求内容・水準が実現困難であり、平穏な交渉の中で話がまとまらないということです。
暴力をもって相手に押し付けなければ成立しないような要求は、どこかで歪みを生じさせ、より弱い者の所にしわ寄せが行きます。
解雇規制がまさにそうです。
ストライキによって正社員労働組合が企業に押し付け、裁判所が追認した解雇規制は、成立当初の労働条件・水準や現代のそれと照らしても、労働者全員に保障できるようなものではありません。
このため、一部の正社員にのみ解雇規制が保障される一方で、労働需要の増減を非正規労働者の数で調整して対応するというしわ寄せが生じました。
また、正社員内部においても、一部界隈では人権侵害とまで言われている転勤システムという歪みが生じた原因もまた解雇規制にあります。
暴力による無理な水準の要求は、このようにしわ寄せや歪みを生じさせます。
「月に行くよりノートルダム大聖堂修復の方が数百倍公益性があるが、それでもフランス労働者は激怒。労働者の要求水準の高さがうらやましい。」
という社会運動家さんもいますが、彼の主張が愚かで危険であることは既に述べたとおりです。