ネット上をウロウロしていたら、こんなものが。
自治体職員に必要な能力をどのように涵養するか 中央大学大学院経済学研究科教授佐々木信夫氏
=====【引用ここから】=====
公務員の給与の削減やボーナスの査定に関する議論を聞いていると、何やら自分たちが特別の身分の者であり、そのことに対して報酬が支払われている意識が抜き難くあるようですが、公務員の給与というのは身分報酬ではなく、労働報酬でしかありません。さらに言えば、給与とはあくまで成果に対して支払われるものであって、成果もないのに金を払うものはない。その原則を明確にすべきです。
~~~ (中略) ~~~
公務員の身分保障とは、政治的中立性を維持させる代わり、首長が替わっても解雇しない。賄賂をもらわなくて済むよう一定の生活ができるだけの給与を出す。その二つであって、決して終身雇用を約束するような性格のものではありません
=====【引用ここまで】=====
「成果のないものに金を払うものはない。その原則を明確にすべき」
と言った直後に、
「賄賂をもらわなくて済むよう一定の生活ができるだけの給与を出す」
と言うのは、矛盾ではなかろうか?もっと深読みすべきなのだろうか。
果たして、公務員の給与は成果に対して支払われる労働報酬なのか。それとも、身分保障の一環として一定の生活ができるように支払われる身分報酬、生活給なのか。
ということで、今回のテーマは公務員給与。
モノやサービスの対価は、市場において評価され、市場において値段が付つけられる。高すぎては買い手が付かず取引は不成立となり、評価額はゼロとなる。売り手と買い手が納得・同意できた金額が、対価である。これは、労働の対価たる賃金も同じである。売り上げへの貢献の対価、利益をあげるために必要な経費、それが市場における給与である。
他方、国や地方公共団体は法律や条例、予算によって税額や支出額を一方的に決めることができ、納税者や受益者がその金額を交渉することはできない。どんなに割高なサービスや工事であっても、政府が執行すれば公共事業としてまかり通ることになる。「この程度の公共サービスにこんな高い税金を払えるか!」と怒ったところで、納税を拒んでいると滞納処分を受けることになる。税金の額や公共事業の額は政府によって設定されたものであって、そこに対価という概念は極めて希薄である。
公務員はこのように市場で値段の付かない仕事に従事しており、「売り上げへの貢献=対価としての給与」と縁が薄い。公務員の給与を民間同様に「労働の対価・成果」に軸足をおいて考えることは難しい。
多くの人が納得できるような成果基準、すなわち
「徴収に携わったら何円、総合計画を作ったら何円、保険証を印刷交付したら何円、補助金申請の受理・審査をしたら何円」
といった対価基準を作れと言われても「全く自信がありません」と答える他ない。
そんな公務員の仕事と労働環境に妥当な値段を付けるためには、労働市場と交差する入口・出口、すなわち採用・退職で考えるしかないだろう。採用の場面においては「給与をここまで下げると応募が少なくて採用試験が成り立たない」水準、退職の場面においては「今より給与を下げると職員の多くが転職しだす」という水準まで公務員給与を下げることが必要である。
(逆に、特定の資格や経歴を有する者を採用したいと思った官公庁があったとして、その募集に対し応募が全くないのであれば、その職種のみに対する給与を上げていくことは考えられる。)
こう考えると、公務員の採用試験の倍率が5倍、10倍、15倍というのは異常。仕事内容や勤務条件と比べて、まだまだ公務員給与は割高だからこれだけ応募者が多いということだ。
次に、時間外勤務手当について。
公務員給与を身分報酬に重点を置いて考えるのであれば、時間外勤務手当は蛇足である。時間外に仕事をしようがしまいが、その身分に何ら影響はないからだ。
また、成果に対して支払われるという点に重点を置いた場合、例えば工場労働者であれば労働時間と成果は比例すると考えられ、時間外勤務手当を支給することに合理性はある。しかし、公務員については労働時間と成果が比例するとは考えにくいため、時間外勤務手当を支給する合理性は薄い。
職能給(職務遂行能力に応じて給与を決める)の観点からは、「時間外に仕事をする=時間内に仕事を終わらせることができない」という評価になるとしたら、時間外勤務手当の支給どころか、むしろ時間外に仕事をした者の給与を下げるべきという結論へと導くこともできる。
これらのことから、公務員給与については
・基本給を下げる
・時間外勤務手当を撤廃する
ということをやっていくべきだろう。そして、解雇や休暇に関する身分保障を減らしながら、一方では副業を解禁していったら良いと思う。自発性と使命感に溢れた人が、対価度外視で公務に従事し、ある程度の給与を貰い受けるものの、生活のための必要経費に届かない分については副業で稼ぐという半ボランティアでやっていってはどうだろうか。
公営社会保障の縮小や補助金による分配の廃止、規制緩和が進んでいけば、そんな半ボランティアによる公務員でも行政は十分に回していけるはずだ。
さてさて。
公務員給与については、よく、「従業員50人以上の事業所との比較」といったことをやっているが、これに意味があるのだろうか?仕事内容や労働環境が全く違い、給与の性質も異なる中で、わざわざそれなりに規模の大きい事業所のみを比較対象とするのは、「給与水準を引き上げるための、公務員によるお手盛り比較」と批判されるのは当然のことだ。
自治体職員に必要な能力をどのように涵養するか 中央大学大学院経済学研究科教授佐々木信夫氏
=====【引用ここから】=====
公務員の給与の削減やボーナスの査定に関する議論を聞いていると、何やら自分たちが特別の身分の者であり、そのことに対して報酬が支払われている意識が抜き難くあるようですが、公務員の給与というのは身分報酬ではなく、労働報酬でしかありません。さらに言えば、給与とはあくまで成果に対して支払われるものであって、成果もないのに金を払うものはない。その原則を明確にすべきです。
~~~ (中略) ~~~
公務員の身分保障とは、政治的中立性を維持させる代わり、首長が替わっても解雇しない。賄賂をもらわなくて済むよう一定の生活ができるだけの給与を出す。その二つであって、決して終身雇用を約束するような性格のものではありません
=====【引用ここまで】=====
「成果のないものに金を払うものはない。その原則を明確にすべき」
と言った直後に、
「賄賂をもらわなくて済むよう一定の生活ができるだけの給与を出す」
と言うのは、矛盾ではなかろうか?もっと深読みすべきなのだろうか。
果たして、公務員の給与は成果に対して支払われる労働報酬なのか。それとも、身分保障の一環として一定の生活ができるように支払われる身分報酬、生活給なのか。
ということで、今回のテーマは公務員給与。
モノやサービスの対価は、市場において評価され、市場において値段が付つけられる。高すぎては買い手が付かず取引は不成立となり、評価額はゼロとなる。売り手と買い手が納得・同意できた金額が、対価である。これは、労働の対価たる賃金も同じである。売り上げへの貢献の対価、利益をあげるために必要な経費、それが市場における給与である。
他方、国や地方公共団体は法律や条例、予算によって税額や支出額を一方的に決めることができ、納税者や受益者がその金額を交渉することはできない。どんなに割高なサービスや工事であっても、政府が執行すれば公共事業としてまかり通ることになる。「この程度の公共サービスにこんな高い税金を払えるか!」と怒ったところで、納税を拒んでいると滞納処分を受けることになる。税金の額や公共事業の額は政府によって設定されたものであって、そこに対価という概念は極めて希薄である。
公務員はこのように市場で値段の付かない仕事に従事しており、「売り上げへの貢献=対価としての給与」と縁が薄い。公務員の給与を民間同様に「労働の対価・成果」に軸足をおいて考えることは難しい。
多くの人が納得できるような成果基準、すなわち
「徴収に携わったら何円、総合計画を作ったら何円、保険証を印刷交付したら何円、補助金申請の受理・審査をしたら何円」
といった対価基準を作れと言われても「全く自信がありません」と答える他ない。
そんな公務員の仕事と労働環境に妥当な値段を付けるためには、労働市場と交差する入口・出口、すなわち採用・退職で考えるしかないだろう。採用の場面においては「給与をここまで下げると応募が少なくて採用試験が成り立たない」水準、退職の場面においては「今より給与を下げると職員の多くが転職しだす」という水準まで公務員給与を下げることが必要である。
(逆に、特定の資格や経歴を有する者を採用したいと思った官公庁があったとして、その募集に対し応募が全くないのであれば、その職種のみに対する給与を上げていくことは考えられる。)
こう考えると、公務員の採用試験の倍率が5倍、10倍、15倍というのは異常。仕事内容や勤務条件と比べて、まだまだ公務員給与は割高だからこれだけ応募者が多いということだ。
次に、時間外勤務手当について。
公務員給与を身分報酬に重点を置いて考えるのであれば、時間外勤務手当は蛇足である。時間外に仕事をしようがしまいが、その身分に何ら影響はないからだ。
また、成果に対して支払われるという点に重点を置いた場合、例えば工場労働者であれば労働時間と成果は比例すると考えられ、時間外勤務手当を支給することに合理性はある。しかし、公務員については労働時間と成果が比例するとは考えにくいため、時間外勤務手当を支給する合理性は薄い。
職能給(職務遂行能力に応じて給与を決める)の観点からは、「時間外に仕事をする=時間内に仕事を終わらせることができない」という評価になるとしたら、時間外勤務手当の支給どころか、むしろ時間外に仕事をした者の給与を下げるべきという結論へと導くこともできる。
これらのことから、公務員給与については
・基本給を下げる
・時間外勤務手当を撤廃する
ということをやっていくべきだろう。そして、解雇や休暇に関する身分保障を減らしながら、一方では副業を解禁していったら良いと思う。自発性と使命感に溢れた人が、対価度外視で公務に従事し、ある程度の給与を貰い受けるものの、生活のための必要経費に届かない分については副業で稼ぐという半ボランティアでやっていってはどうだろうか。
公営社会保障の縮小や補助金による分配の廃止、規制緩和が進んでいけば、そんな半ボランティアによる公務員でも行政は十分に回していけるはずだ。
さてさて。
公務員給与については、よく、「従業員50人以上の事業所との比較」といったことをやっているが、これに意味があるのだろうか?仕事内容や労働環境が全く違い、給与の性質も異なる中で、わざわざそれなりに規模の大きい事業所のみを比較対象とするのは、「給与水準を引き上げるための、公務員によるお手盛り比較」と批判されるのは当然のことだ。