あの震災から、3年が経ちました。
ボランティアには、11年の夏、12年の春、秋と3回行ったけど、参加機会自体が減ってきたこともあって、もう1年以上行っていません。
3年前のあの時に感じた喪失感というか、無常感というか、失ったものは大きかったけど、同時に、自分の中で生まれたもの、日本人として忘れていたことを思い出させてくれた、そんあものがあったのも事実です。
性格が変わったように真面目になったとい . . . 本文を読む
と言っても、テーマはマラソンではなくスペシャルオリンピックス、知的障害者のオリンピックの話です。
「幸運とは、準備がチャンスに出合うこと」、知的障碍者という理由でスポーツをする機会を持つことができない人々に、アスリートであるチャンスを与えようという話。
東京オリンピックに先立つこと1年の2019年、スペシャルオリンピックス夏季大会の開催地に、東京は立候補しているのだそうです。
そのスペシャルオリン . . . 本文を読む
10月に震災ボランティアに行った際に、雑草取りをした農地ですが、作業前はこんな感じでした。
先月ボランティアに行った仲間が、写真を取って、来てくれました。
ボランティア作業を行った1週間後位に重機が入り、土を掘り起して深くに埋まっていた瓦礫が撤去され、一部ですが農地らしい姿に戻ってたそうです。
今後は順次ビニールハウスを建て、農業を再開するとの事です。
微力でも農業再生のお手伝いができ . . . 本文を読む
震災ボランティア仲間が写真を送って来てくれました。
昨年の夏に、みんなで泥をかき出した家です。
左側の家です。
立派にリフォームされてますが、門構えはあの時のまま。
家の方もお住まいになられていたそうです。
暑い中、臭い泥出し作業をした甲斐がありました。 . . . 本文を読む
2日目は悪天候のため午前中で作業終了、時間が余ったので、バス内で昼食の後、石巻市内をぐるっと1周。
日本製紙をはじめ、工場はすべて操業を再開、煙突からは白い煙がもうもうと立ち上っていました。
積み上げられた瓦礫や廃車も、かなりあるにはありますが、昨年に比べればかなり減った印象。
でも、門脇小学校は、校庭の瓦礫こそ無残な姿のまま。
あたりの、住宅街だったのか、畑だったのか、も、草ぼうぼうで、何もな . . . 本文を読む
天気予報通りとはいえ、初日とは打って変わって今にも泣き出しそうな空。
作業は昨日の続き、農地の整備。
朝9時、早速作業を開始、2日目なので、身体に多少疲労はあるものの、要領はよくなってきてます。
鋤、レーキ、スコップ、つるはし、道具の使い方にも慣れてきました。
それにしても、鉄製の農具ってすごいですよね。
弥生時代に、北九州で鉄製の農具が朝鮮半島から入ってきて、農業の生産量が飛躍的に増大したっ . . . 本文を読む
いやー、なかなかの重労働でした。
肉体労働の後は、ビールと相場が決まってます。
今回は、仕事がガテン系だったこともあり、参加者11名、全員男。
男らしく、ガツンと飲んで食いました。
お店は、海鮮系。
新鮮な刺身はどーんと舟盛り。
豪快なマグロのカマ焼き。
イカリングのタワー、などなど。
仙台の夜は、震災なんてあったの?ってくらいに活気にあふれていました。
去年の夏来た時は、自分だけ快 . . . 本文を読む
ボランティアに行った石巻市の畑の中に、ぽつんと、ブロックに供えられた花とお水。
間違いなく、ここで誰かが亡くなったということなんでしょう。
この地区に、1000戸ほどあった家は400戸ほどになっているそうで、この畑の周囲にも、廃屋はあれど、人が住んでいる家はありません。
土地の持ち主は、今は引っ越して、他のところで土地を借りて農業を営んでいると聞きました。
でも、先祖代々この地で農家を営んできたの . . . 本文を読む
今日の作業は、石巻市の釜地区というところの農地、というよりも元農地かな、の雑草、瓦礫の除去。
1回目、昨年の夏にきた時は、溝さらいとか泥だしとか、まあ、インフラ支援。
2回目、今年の春来た時は、漁業支援。
農業支援が後回しになったのは、それだけ再生が難しいということ。
漁業は、仕掛けとか、船とか、装備を何とかすれば、海は変わらずにそこにあるわけですが、農地はそうはいかない。
雑草や低木でぼうぼ . . . 本文を読む
週末の震災ボランティアに参加するため、今晩から仙台に入ります。
昨年の夏、今年の春に続いて3回目。
今回の作業は、農地の瓦礫撤去の予定です。
1回目が昨年の夏、民家の泥出し。まだ市街地の至る所に津波の爪痕が見て取れる状況でした。
2回目は今年の春、虚業支援。市街地の外見はすっかり復興したようで、地方に行くと、何もなくなってしまったそのまま、震災が過疎化が加速させているように思えました。
今回と . . . 本文を読む