江戸時代から明治時代にかけて、下谷万年町(現・台東区東上野四丁目の一部及び北上野一丁目の一部)、芝新網町(現・港区浜松町二丁目の一部)、四谷鮫河橋(現・新宿区南元町及び若葉二,三丁目)が三大貧民窟と呼ばれていたそうです。
その後関東大震災や大東亜戦争で東京の様相は一変し、もちろん現在はいずれの地域でもその頃の面影は全くありません。
四谷鮫河橋はその中でも最大のもので、明治20年で1370戸の細 . . . 本文を読む
仕事で群馬県沼田市に行ってました。
日本一有名な河岸段丘の町だそうで、上越線の沼田駅は段丘の下、そして市街は段丘の上にあります。
NHKの大河ドラマが「真田丸」だった年のブラタモリでこの町の回があって、その時に観て知ってたはずなのに、すっかり忘れてた。
駅に着いたのが夜8時、駅前は既に真っ暗でタクシーもいない、ホテルまで地図を見たら大した距離じゃないので歩いたのですが、日本一の河岸段丘が作る坂 . . . 本文を読む
芭蕉一行は、千住を出発して3日目に、室の八島明神に参拝している。
栃木県栃木市になる大神(おおみわ)神社のことのようだ。
電車を乗り継ぎ東武線の野州大塚という駅で降りた。2時間以上かかった。改めて芭蕉たち昔の人の健脚に驚かされる。
大神神社のご祭神は倭大物主命、曾良が言うところの木花咲耶姫命は、境内にある室の八島に祭られている八柱の神様の中の一柱、昔と今では神社の趣も少し違っているのかもしれない。 . . . 本文を読む
さて、千住を出発した芭蕉と曾良が最初に訪れたのが草加宿である。「おくのほそ道」には荷物が重くて相当に難儀したようなことが書かれている。
以前、千住からここまで走ってみたことがある。荒川を渡ったところで芭蕉が歩いた旧街道と思しき道は途切れ、何の面白みもない現在の日光街道(国道4号線)を走ったのだが、距離にして10㎞とちょっと、荷物が軽いとそれほど困難な距離でもない。
今回は電車を使用した。北千住から . . . 本文を読む
5年くらい前に、「おくのほそ道」で芭蕉が辿った道を歩いて(走って)みようと思い立ち、草加の少し先であっという間に挫折したことがある。
よく考えれば到底無理なことは分かりそうなものなのに、、
honto(電子書籍サービス)で角川文庫の「おくのほそ道」が半額になっていたので衝動買い、読んでいるうちに再挑戦してみたくなった。もちろん今回は電車等公共交通機関を使って、である。
とりあえず、旅立ちの地、 . . . 本文を読む
昔は「花見」と言えば、昔は桜ではなく、梅だったようで。
ほぼソメイヨシノ一本被りで、同時に満開になる桜と違って、梅は種類も色も多様、パッと咲いてパッと散る、桜のような潔い迫力はありませんが、これはこれでなかなかに楽しめます。
今年は冬が寒かったせいで、梅の花も例年より遅かったみたいですが、時系列を追って観梅記録をまとめてみました。
2月11日、東京でも大雪が降った翌日、金沢兼六園の蝋梅。雪景 . . . 本文を読む
スーパー銭湯ではない、昔ながらの銭湯の話です。
昔、市民ランナーだった頃は、練習会(とアフター)とセットでよく利用していたのですが、ここ10年くらいで、行ったことのある銭湯が次々なくなっている。。。
15年くらい前は、東京都に確実に700件以上あったはず(900件くらいあったかも。記憶が定かではない)の銭湯が、今や500件を大きく割り込んでいる。
気になってHP等で現状を調べてみたのですが、、、 . . . 本文を読む
立会川というと思い浮かぶのが京浜急行の駅と、そのあたりを流れている、海近くの、ボラが遡上する、護岸がコンクリートで固められた川。開渠の部分は下流の一部分だけで、ほとんどが暗渠にになっていると聞いて、水源を探しに行ってきました。
東急東横線の学芸大学から線路沿いを渋谷方面に少し戻ったところにある碑文谷公園。
池の案内板には「立会川の水源である」とはっきり書いてありました。
池の中の島には弁天様 . . . 本文を読む
先月亡くなった母方の叔父の四十九日法要と納骨が3月28日にありました。お墓は東京都日野市の石田寺(せきでんじ)、新撰組副長の土方歳三のお墓があるお寺だそうで、これは興味津々、早めに行ってあたりをお散歩することにしました。
久々に多摩川土手を散策、日当たりが良いせいでしょうか、桜並木は町中よりやや早く散りかけ。
土方歳三の実家は、石田散薬という打ち身、捻挫の薬を製造販売していたそうですが、原料 . . . 本文を読む
これです。金太郎の看板。
先の東京オリンピック前夜に、宅地化でどぶ川と化した川にふたをして暗渠とした時に設置された車止めです。
杉並区には神田川、善福寺川、妙正寺川が流れていて、その支流や、そのまた支流がたくさんあったようで、至る所に川跡と思われる道があります。
この看板、よく見かけるようで、実はそうでもないような。何でも経年劣化で徐々に撤去されており、現存ずるのは50余りとか。
ちなみにこの看 . . . 本文を読む