江戸時代から明治時代にかけて、下谷万年町(現・台東区東上野四丁目の一部及び北上野一丁目の一部)、芝新網町(現・港区浜松町二丁目の一部)、四谷鮫河橋(現・新宿区南元町及び若葉二,三丁目)が三大貧民窟と呼ばれていたそうです。
その後関東大震災や大東亜戦争で東京の様相は一変し、もちろん現在はいずれの地域でもその頃の面影は全くありません。
四谷鮫河橋はその中でも最大のもので、明治20年で1370戸の細 . . . 本文を読む
台湾って、防疫の水際管理が厳しく、昨年10月までは入国後7日間の隔離が義務付けられていて、我々もバレー部の海外遠征はほぼ実施を諦めていました。
昨年10月に規制緩和があって、急遽遠征が可能になったわけですが、それでも入国後は隔日で抗原検査をすることが条件になっており、「もしそれで陽性者を出してしまったら、、、」とコロナリスクに緊張しながらの遠征出発でした。
ところが、台湾の空港で配布されるはずの . . . 本文を読む
日本文化というと大げさですが、、、
ちょうど我々が遠征中の1月13日に、台湾でも「THE FIRST SULM DANK」が封切りになってました。
若者の街「西門」のビル一面の大広告。これ以外にも地下鉄の駅だとか、街のいたるところに「スラムダンク」があふれていました。
日本でも12月に封切られ、かなり話題になりましたが、これ、20年以上も前に連載が終了した漫画なんですよね。
当然私は観ましたが、現 . . . 本文を読む
基本的に学生とのリーズナブル団体旅行なので、毎日美味しいディナーという訳にはいきませんでした。
2日目に行った小籠包のお店(コースメニューで550元=2500円くらい)はなかなかに美味しかった。
自由行動日に自分の子供よりさらに若い若者5名と街を食べ歩きました。
若者の街、西門ではかき氷と麺とルーローハン。
アメ横みたいなところの屋台で、
フランクフルトははちみつと香辛料がぬってあ . . . 本文を読む
交流相手の国立台湾大学ですが、日本でいえば東京大学、賢い大学です。
日本統治時代の台北帝国大学が発祥で、当時の建物が資料館として残っていました。
七帝大(現在の東京大学、京都大学、大阪大学、名古屋大学、北海道大学、東北大学、九州大学)に、京城帝国大学(現在のソウル大学)と当学を加えて、戦前は九帝国大と言われていました。
植民地に国立大学を作る国なんて、日本くらいだったんじゃないでしょうか。
資料 . . . 本文を読む
1月11日-15日、台湾に行ってきました。
目的は単なる観光ではなくて、母校の大学のバレー部の台湾遠征の帯同でした。
母校のバレー部の創設は戦前、関東にまだバレー部のある大学が10校しかなかった頃の話です。
10校とは、東京六大学に日大、中大、筑波大、それに我が母校の一橋大学。
私が現役のころから、中大をはじめとするいわゆるセレクションを行っていた大学は前日本選手も排出してましたので、一緒に名前 . . . 本文を読む
高校時代からの習慣で、明治神宮へ初詣に行き、御神籤を引いています。
明治神宮の御神籤は、吉凶占いではなく、明治天皇・昭憲皇太后碁聖の和歌、これを毎年座右の銘とすべく見えるところに貼っています。
さて、今年の和歌は、
「人はただすなおならなむ呉竹の 世にたちこえむふじはなくとも」
人は何よりも第一に、素直でありたいものです。
あの竹の節のように、困難に耐える節はなくとも。
どのように才能にあふ . . . 本文を読む
22年の締めくくりといきたかったのですが、12月も低調で、9冊でした。
◆リボルバー(原田マハ)
原田さんお得意の美術ネタ。ゴッホネタは「たゆたえども沈まず」に続いて2冊目。
評判の高かった「楽園のカンヴァス」風のミステリー仕立て。ゴッホ、ゴーギャンはあまり詳しくないので、ググって絵を観ながら、フィクションとして楽しく読ませていただきました。
◆捜査線上の夕映え(有栖川有栖)
毎年恒例、有栖川 . . . 本文を読む