失速しました。今はかなり凹んでいます。
22:04、6月に横田で5kmロード走った時より30秒以上遅い。
こうなると、「横田は距離が短かったんではないか?」などと思ってしまいます。
スタートは午後5時半、夢の島競技場はまだ日も高く、かなり蒸し暑く、まずトラック初体験のチームメイトのすえおさんのペースメーカーをちゃんとやろうと思ったのですが、3000mくらいですえおさんにもおいていかれるやくたたず . . . 本文を読む
8月7日:奥武蔵ウルトラマラソン(75km):ランナーたちの真夏の祭典!この夏のメインレースです。
8月28日:鶴沼ウルトラマラソン(52km):秋田の練習になれば、と、出走検討中。
9月25日:秋田内陸リゾート(100km):100km初挑戦です。目標は時間内完走。
以上で、夏季限定ウルトラマラソンは終了。
10月23日:高島平ロードレース(20km):体育会の雰囲気漂うレース。制限時間が1時 . . . 本文を読む
今日は会社でデスクの移動があり、業者が入るので、会社を5時半に出なければならない。
ラッキー、明るいうちから走れる、ということで、5時半きっかりに会社を出て稲荷湯へ。
稲荷湯へ行く途中で会社の先輩に会った。「どこ行くの?」と聞かれたので、「走りに。」と言ったら怪訝そうな顔をされた。
着替えて上腕をストレッチしながら皇居に向って歩いていると、後輩に変な顔で挨拶された。
所詮ランナーは走らない人には理 . . . 本文を読む
主催者から、今年の渡良瀬遊水池マラソンが中止となった旨のはがきが来た。
オイラにとって初サブフォーの大会だし、コースも走りやすくて、当然今年も出るつもりだったので残念。
11月は娘の学校の行事が23日と28日にあり、つくばマラソン、大田原マラソンは出走できない。
秋のシーズンで、関東地方で唯一出走できそうなマラソンだったのに、、、、秋のフルはどこを走ればいいんだっ。
それにしても、「さて、200 . . . 本文を読む
司馬遼太郎の「菜の花の沖」読み終わりました。
「竜馬がゆく」「花神」「峠」「燃えよ剣」、、、今まで読んだ司馬遼太郎の江戸時代・幕末物の主人公は、皆武士でした。
「菜の花の沖」の主人公、高田屋嘉兵衛は貧農から身を起こした豪商です。
保守的で前例主義である事が善とされた封建社会において、自分の信念を善として、武士以上に武士らしく生きた主人公に感銘を受けました。
貿易を生業とする会社に身をおく自分とし . . . 本文を読む
今日は大江戸飛脚会の練習会に参加。
裏練習会にもかかわらず20人くらいが集まった。
今日も昨日ほどではないが涼しくて走りやすい。
奥武蔵ウルトラマラソンを控えているので、マイペースで長く走ろうと思ったが、ヤッターマンさんが持ってきたスイカ、メロンや、お風呂の王様でのアフターが気になり、結局25:30、26:28、26:04、25:46と非常に中途半端なタイムで、DOWNを入れて23kmを走ったに留 . . . 本文を読む
朝起きてみると、7月とは思えないくらい涼しい。これは走らねばならぬ。
自宅近くを流れる神田川を川上方向へゆっくり走り出す。
川沿いの遊歩道は木立のトンネル。
早稲田通り、大久保通り、青梅街道を越えて山手通りにぶつかる。
途中、川沿いの道が途切れるので、方南通りを走る。
方南町の交差点の手前、地下鉄の車庫のあたりで、再び神田川沿いの道へ。
やがて川は中野区を過ぎて杉並区へ。杉並区の区間は、500m置 . . . 本文を読む
奥武蔵ウルトラマラソンのゼッケン引換証が届きました。
私のこの夏のメインレースです。
No.321、覚えやすいゼッケンナンバーです。
奥武蔵は、出場回数の多い順に若いナンバーをもらえるので、昨年のNo.420から大分出世しました。
気合が入ります。
初出場の一昨年は、10時間17分、完走できただけで本当に大感激でした。
昨年は、9時間38分。
ウルトラマラソンなので、それ程タイムにこだわるつもり . . . 本文を読む
人気グループ「NEWS」の内博貴クン(もうバレバレなので、実名で書きます)が、飲酒で補導された。
バレーボールのワールドグランプリのスペシャル・ゲストとして、試合を応援するという、バレーボールファンの私から見れば非常に羨ましいお仕事をした夜の話である。
選手たちは一生懸命頑張っているのに、ガキの分際でアナウンサーのお姉さまと飲みに行きやがって、羨ましいぞコノヤロー!!というような個人的な感情を別に . . . 本文を読む
香港人の友人が、目をキラキラさせながら「メイジイシンに興味がある。アジアでなぜ日本だけが欧米の植民地にならずに、先進国の仲間入りが出来たのか。」と聞いてきたことがありました。
彼は、取引先の中堅工場の御曹司で、カナダの大学を出たインテリで、いい奴でした。
その時、私は、彼が中国系の人であることを多少意識しながら、以下のような返事をしたように記憶しています。
1)日本は、5世紀というかなり早い段階で . . . 本文を読む