12月27日から30日までの3泊4日を娘がブライトン(Brighton)のユースホステルを予約して、彼女の家族との4人で行ってきた。天気予報は嵐で、此の4日ともすごい強風、それでも雨はほとんど降らなかったから、風を押して海辺で過ごした。この時期英国はハリケーンで屋根が飛び木々が倒れ、スコットランドは雪で交通マヒ。大変だった。
英国へ来た51年前、ユースホステルを利用して英国全土のヒッチハイクをした。その頃とはユースホステルも格段に良くなって、私の部屋にはダブルベッドにテレビとヒーターがついていて、シャワートイレ風呂がついてトータル110ポンド、安くて安全。
ゲームルームで4人でフットボールを楽しんだ。
ホステルのベッドルームの窓から荒れ狂う海岸とパレスピアがみえる。
このホステルはまさしくブライトンの1等地にあり、海にもピアにもショッピングにもそしてロイヤル・パビリオンにも歩いていける。
吹き飛ばされるような強風をものともせず、
孫のジュードは波と戯れ靴を濡らしても平気、私一人波に攫われたらどうしょうと気をもんでいた。
ブライトンにはパレスピアとウエストピアがあった。ピアというのは海に突き出て作った桟橋で、此のパレスピアの中ほどにはゲーム機が一面に並んで激しい音を立てているところから、ピアの突端は子供や大人が楽しむ巨大なファンフェアーになっている。
これらのピアが作られたのはヴィクトリア時代で、もう100年も前、世界に偉大な文化を誇ったこの国の遺跡?を私たちは今楽しんでいる。
ピアから見えるウエストサイドのブライトン。海岸線はホテル群でメインストリートも歩ける距離。この町は17-19世紀に発展した。
イーストサイドのブライトンは繁華街がない。
上の絵はブライトン博物館に飾られていた、ウエストピアから見たブライトンで、ヴィクトリア朝の女性たちが観光に来ている。当時もこの海岸線には高層アパートが連立していた。日本の江戸時代末期から明治期の日本と比べると西洋文化はこのころが頂点だったかと思う。ウエストピアは今から2-30年前に火災で崩壊した。