Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

東ヨーロッパの旅 20 エストニアへ

2011-08-12 19:52:13 | 東ヨーロッパの旅 2011




翌朝ミセス・ナヴィがロシアの国境を行く指示を出さないよう、地図をしっかり調べてキャンプサイトを出発した。エストニアの南の町ヴォル(Voru)まで205Km、この国は道路事情が悪くとも道路を走っている車が非常に少ないから道路工事が行われていても長く待たされることがない。
ところが途中の国道が真新しい舗装道路で大喜びで飛ばしていたら、30kmほど行ったところで工事中、それ以降は未舗装の洗濯板状の石ころ道が続き、これほどひどい道はアイスランド以来だと亭主の嘆くこと。村や町に入ると舗装になっているからこの国も後数年すれば国道が全部舗装されるかもしれない。








後20kmくらいでエストニアに着くころに、ミセス・ナヴィに又やられた。近道の指示で曲がったところが森の中の未舗装の道、20kmも走ったが車一台にも会わず、農家3軒ときれいな住宅一軒を見かけたきり、村さえ通らなかった。

予定より一時間半も遅れてラトヴィアの首都リガからロシアへ一直線に伸びているハイウエーにたどり着いた。





このハイウエーを横切り北へ向かってすぐに二人の警察官に止められた。亭主はスピード違反をしたかとドキッとしたというが、ここがエストニアの国境だとわかりパスポートを見せてOKが出た。こんな田舎道でも国境検閲があるのならもっと立派な国道で国境サインもしっかり見たかった。



エストニアに入った途端道路がスムーズ、時々見かける農家もきれいで、豊かさを感じる。道路がきれいだと気分も良くなり,快調にキャンパーを飛ばしてヴォルの町に着いた。






キャンプサイトへ行く前にこの国の通貨エストニアン・クローナをおろそうと町の中心へ向かったら、すぐ大きなスーパーを見つけた。
キャシュマシーンで100ポンド分のエストニアン・クローナは1700クローナでカードを入れたら、最高100しか引き出せない。”何だ これは???”でてきた100のお金はユーロだった。まだピンと来なくてほかのキャシュマシーンを試してみたがそこでも20ユーロ引きおろした。これでこの国がユーロを使っていることを知り、スーパーでショッピングの上確認、キャンプサイトの受付嬢に聞くと今年1月1日からユーロが導入されたという。

ユーロはドイツで引きおろして十分あるのにと思ったが、これでポンド、ユーロ、ズロッティ、リタス、ラッツの5種類の通貨を持つことになった。


この夜のキャンプサイトはホテルの駐車場で、電気と水道はキャンパーに入れられるが、トイレとシャワーはホテルのを使うことになった。
高い赤松に囲まれた駐車場で小鳥が飛びまわっていた。ホテルの近くの湖はこの町の水浴場で飛び込み台からティーンの男の子が二人飛び込みを繰り返していた。

この夜初めてホテルのレストランで夕食を食べた。英国の半分の値段でずいぶんご馳走だった。






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