休止を含む3週、録画再生しそびれていた『宿命 1969-2010』、26日に久しぶりにリアルタイム視聴したら、なんだ、まだ「崇(北村一輝さん)と尚子さん(上原美佐さん)は兄妹、この結婚絶対に許さない」にいまだに滞留してるのね。崇の政界進出も、白井国土建設の存亡も、宣子(小池栄子さん)への手切れ金も、弟の事故の補償も、何も進展してなかった(呆)。
野望、執念、恨みつらみに歪んだ母子愛、コンプレックスと、これでもかという負の感情オンパレードが、忌まわしき過去の封印融解で発火し…という昼帯仕様のお話に期待して視聴し始めたのですが、昼帯なら考えられない、やる気あるのか?ってぐらいの、とろとろのスローテンポです。
もうとっくに二転三転して、宣子が他の男を騙して子を身ごもり有川家に乗り込むとか、いっそ白井国土建設に財務マネージャーとして入り込むとか、崇を重用する眞一郎(奥田瑛二さん)に自分の地位を危惧した秘書(隆大介さん)が逸子夫人(松坂慶子さん)を誘惑し寝取る、等の錯綜展開になっているものと思っていたのに。
90年代にはゴールデンにも“ジェットコースタードラマ”なんて俗称される作風があったのですけれど、どうも最近の連続ドラマは、“一時間が短くてしょうがない”“次週が待ち遠しいどころか、本編・ED終了後、CM明けの次回予告フラッシュさえ待ち切れない”みたいな、引きがまったく弱いですね。初回を見た人に「絶対最終回まで見よう」という気になってもらわなければ、連続ものの枠の意味はない。ドラマを放送しているチャンネルがひとつしかない昼に比べて、夜はライバルいっぱい、選択肢いっぱいです。なぜもっと“見逃せなく作る”ことに徹しないのか。
“猛母に溺愛される金持ちボンボン、でも自尊心の強い何様”という興趣尽きない役どころを北村一輝さんが演じるのも注目だったのですが、このお話、主役は完全にその猛母・三奈(真野響子さん)なんですよね。崇は三奈、宣子、尚子という、強力な磁場を(自覚はせずとも)持つ女性たちに振り回され翻弄される、むしろ観客に「この人かわいそう、頑張って切り抜けて」と思って見守り、ともに狼狽したり絶望したり、巻き返すべく足掻いたりしてもらうべき人物だった。こうなると北村さんの、無駄にダークな“ハラにイチモツ顔”が邪魔にしかなりません。
合意の上でコトを急いだフィアンセから「妊娠したかも」とはにかみつつ告げられ無邪気に破顔したかと思えば、母と未来の岳父との会話を立ち聞き真偽を問いただしもせずに顔色なくオロオロ。北村さんの演技歴に照らせば「この人、こんな芝居もできるのね」となりますが、そんなことよりここは何より崇に共感して、崇のために胸をいため、てもらわなければ。こういうポジションの人物が、このドラマには他にひとりもいないのですから、どうしたって崇は「かわいそうで頑張ってほしい」「幸せになり、成功してくれると嬉しい」人であるべきなのです。
東大法卒の財務官僚という設定からいって、知性派の役を得意としつつ、(特に)女性視聴者から見て「あんなおっかない厚顔な母親の代わりに、ワタシがママになってあげたい」という気にさせられるイノセンスあるキャラ、たとえば谷原章介さんや細川茂樹さんはどうでしょう。最近TVで見かけないけど安藤政信さん。西島秀俊さんもいいかな。北村さんと『大奥』上様つながりになるけど。
安保闘争世代(特に、いままであまり語られてこなかった、女性のこの世代)の、自分の過去及び現在と社会への決着のつけ方、そして彼らのジュニア世代の、現在時制の社会との斬り結び方。コッテコテの昼ドラ調と見せて意外とコロンブスの卵…と思ったのですが、やはり小説で読んだほうがいいモチーフだったようです。
デキちゃった尚子が三奈の口車に乗せられて無理やりリスキーな羊水検査を受けさせられ、帰宅してお茶の最中激痛に襲われる場面、スカートの下から脚をつたって出血タラーッって、昼ドラの常道演出ですが、そんな末節のとこばっかり昼帯踏襲されてもね。制作協力が泉放送制作。ここも期待のポイントだったんですけれど。