フィギュアスケート・ペアでロシア代表として出場した川口悠子選手は、表彰台に届かなかったことやスロージャンプでミスしたことより、フリー直前にコーチから「4回転ジャンプをやめ3回転に」と指示されたことのほうがショックだったようですね。タマラ・モスクビナコーチは川口選手が10代のときに「どうしても貴女の指導を受けたい」と何度も手紙を送って、再三謝絶されてもあきらめずようやく師事を許された人。直前になってプログラムの難易度をひとつ落とすというのはかなり厳しい決断だと思います。「ずっと4回転前提で練習してきたのに、そんなに調子悪く見えたのかしら」「思っていたほど実力がないと思われたのかも」と気持ちが千々に乱れたことでしょう。整理のつかない心理のまま敢行した演技では、ベストの出来は当然期待できません。
1998年の長野でロシアペアの演技を見て、シングルからペアへの転向を志したという川口さん、念願のモスクビナコーチのもとでトレーニングを積みつつ、ロシア語を学びサンクトペテルブルク大学で学位取得、国籍を日本からロシアにかえる努力の末ロシア五輪代表の座を射止めましたが、こういう結果に終わってみると、彼女の内なるモティベの中で、“コーチ愛”の占める割合が多過ぎたかな?とも思うのです。
ペアスケーティングで世界を目指すなら、アスリート的情熱のベクトルはコーチより、パートナー間に向かうのが自然ではないでしょうか。今大会のパートナー=アレクサンドル・スミルノフ選手とは06年から組んでいるそうですが、彼の、もしくは川口選手の力量が不足だったわけではなく、何となく両者の間に通い合う、同じ目標を視野にしての情熱の量、温度が足りなかったような気がする。金メダルの中国ペアはペア歴1992年から数えて実に18年、2007年からはご夫婦になっています。
モスクビナコーチは、1960年代の旧ソ連時代に活躍したペアスケーターですが、オリンピックでのメダルはありません。とにかく当時の同国のフィギュアスケート界は、特にペアに関しては他国の追随を許さない層の厚さでした。98年長野の後、川口さんから師事の申し込みがあったとき何度も断った背景には、異国の若手選手に携わることへの違和感以上に、当時からひそかに凋落の気配を見せていた自国のフィギュア事情が念頭にあったかもしれない。今般男子シングル戦線に27歳で復帰したエフゲニー・プルシェンコ選手もどこかの媒体で「母国の若手が予想外に伸び悩み、オリンピックでのメダルが厳しくなってきた(から自分が復帰した)」と言っていた通り、“疑惑のジャッジ”で採点法根本改正に至った2002年ソルトレイク辺りから、ロシアに往年の、手のつけられない独走充実はみられなくなりました。
結果論だけど、直前のプログラム変更で4位に沈む程度のペアを代表に選ばざるを得ないところまで、ロシアのフィギュア界は人材枯渇していたのです。オリンピックのためだけに、“法的に日本人でなくなる”選択までした川口選手は残念ながら、狙いが悪かった、と言うより“狙いのタイミングが悪かった”という気がしてならない。いまさらこんなことを言っては傷口に塩塗るような話だけど、シングルを続けて荒川静香選手に伍する手は無かったものかな。体格的、資質的に挽回不能と見てのペア転向志願だったのかしら。
川口選手、今年11月に29歳。次ソチ五輪の2014年には32歳になられるわけですが、今大会優勝の中国ペアの女性・申雪選手は31歳、3度めのオリンピック挑戦での金メダルです。心折れずにもうひと声を目指すなら、可能性はじゅうぶんにあります。失意の競技直後ぶらさがりインタヴューで、日本人記者の質問をパートナーに流暢にロシア語通訳する川口さんは、日本人としてあっぱれな貫禄もありました。指導者、あるいは国境を越えんとするアスリートのためのコーディネーターとしても活躍してほしい。落ち込まないで、“上を希望する志し”だけは失わないでもらいたいと心から願います。