イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

経過ソチ

2010-02-15 18:41:26 | スポーツ

 「残念だった」「惜しかった」と言う感想は、上村愛子選手には失礼ですね。目標としていた舞台で、自分のイメージしていた通りの滑走ができて、上回る選手が3人いたために表彰台からはじき飛ばされた格好になったけれど半端ない達成感があったと思います。

 ただ上村選手の性格なのか、コーチ・スタッフ、母上や夫君(=アルペン皆川賢太郎選手)などご家族、地元の恩師や幼少期からのお馴染みさん、スポンサー陣にマスコミなど、“背後に背負った大勢の人々の思い”に、決定の瞬間気持ちが行ってしまって、整理しきれず涙になってしまった。それでもどうにか言葉を選んで笑顔でインタヴューに答えている姿がいじらしかった。

 長野県白馬村育ちで小学校からスキーをやっていたそうですが、聞けばモーグルを知り転向したのは中学2年、1994年だったとのこと。そこからわずか4年で長野五輪に18歳で出場し7位入賞ですから、もともとスキーヤーとしての資質がモーグルに向いており、それプラス運動選手としての10代半ばの身体能力伸び盛り時期がうまいこと噛み合ったのでしょう。

ただ、そこから2002年ソルトレイクシティ6位、06年トリノ5位、今回10年バンクーバーで4位と、ご本人が「なぜ一段一段なんだろう…」と精一杯ネタっぽく述懐されている通りのじれったい階段になったのは、中学生から長野までの急上昇に比較すると、意外に早期に“そこそこ標高の高原状態”に入ってしまったとも言えるかも。

アスリートの選手生命曲線って、早期頂点・速攻急落の早熟型もあれば、晩期になってやおら上昇角度がつく大器(“中器”もいるけど)晩成型、ゆっくり上昇してまあまあのピークが引退まで長持ちする高原型、大半雌伏で一大会だけ他を圧する一発屋型と、いろいろいるものです。

“一段一段”のもうひとつの原因として考えられるのは(月河はこちらを有力視しますが)、上村選手が彗星のように長野で五輪入賞デビューした98年が、まさに日本のウィンタースポーツバブルのピークだったということ。あの後ジリ貧から長い反落局面のトンネルにに入り脱け出す気配が見えない日本のスポーツ環境の中、“一段一段”にせよ一応右肩上がりを続けて来られたのは、彼女自身の持てる資質とたゆまぬ努力、もっと言えば美人の好感度選手で媒体映えもよく、スキャンダル減点も無かったゆえに、スポンサー難を最小限に食い止め得たからこそ。

上村選手はトリノ5位のあと「どうしたらオリンピックの表彰台に上がれるのか、私にはいまだ“謎”です」と名言されましたが、“謎”を解いて“飛び級”をさせてあげられず、“一段一段”にしてしまったのは、上村さん自身ではなく、あるいは日本と日本人全体の責任かもしれない。彼女の涙に日本人が「惜しい」「残念」なんて安直に感想を言うのは、それこそ残念な話だと思います。

それにしても、長野以来の上村さんたち日本女子陣の活躍がなかったら、スキーに無縁ではない北国人の月河も、“モーグル”なんて種目の存在すら確実に知らずにいましたね。月河の家族なんか初見では「あんなコブコブの斜面、スキー場としてあり得ないだろう」「よけて通るよね普通」「コブにわざわざぶつかってって、飛んで一回転とか何の意味があるんだ」みたいな勢いでしたから。

“幾何学的理屈から言っても当然”な、あと一段を目指して次の2014年ソチにそなえるか、カーヴィングに徹した自分のスキースタイル確立をもって選手生活のゴールにするか、もう背中に背負った人たちに気兼ねせず、上村さん自身で、自身のことだけを考えて決めてほしい。その決断に敬意とともに拍手を送らない人はいないと思います。

94年リレハンメルで、上村選手より早くモーグルという競技の存在を知らしめてくれた里谷多英選手が、エアー着地失敗転倒で19位に終わったとは言え持ち味の攻めの滑りを貫いたのも好感が持てました。ここ数年は、“夜のフリースタイル”のほうで話題になるほうが多かったぐらい、こちらは結構血の気の多いタイプみたいなので、一線を退かれたら何かほかに情熱を傾けるものが必要そうですな。

さて、昨日(15日)、夜は12日に続いてNHK『ミラクルボディー』を視聴。いやー、日本ではもっぱら女子のほうにメダル期待の重心がありますが、男の身体能力にこそふさわしいスポーツですね、フィギュアスケート。

4回転のサイボーグ”フランスのブライアン・ジュベール選手、430秒のフリープログラムの中で、4回転ジャンプは3回跳ぶのがいまのところ“人類の限界”だそうで、彼はそこに今回もチャレンジしていくそうです。2006年のロシア杯ではすでに4×3、成功させているんですね。

番組では、助走・踏み切り・空中姿勢・着氷まで1センチ、角度1°の狂いがあっても成功しない4回転ジャンプの動きを全角度から分析検証していましたが、その撮影のため競技のプログラム通りに滑走して跳ぶ位置にカメラ設置して、「リンクのどこでも跳べる」という3回転ジャンプ(←この時点で脱帽)でウォームアップ、「じゃあ次、4回転行くよ」と本番一発で成功。これだけでじゅうぶんすごいですよね。遠い日本のTV番組の取材協力、競技と違ってテンション上げにくいだろうし、面識ない日本人スタッフに取り囲まれ注視の中、トレーニングと違うヘンな緊張もあるだろうし。

ジュベール選手は現行のフィギュア採点システムで、転倒や回転数不足による減点をきらって高難度技に挑戦せず、安全にいって得点を重ねようとする姿勢の選手が多いことに不満なようで、番組中でも「自分の限界に挑戦してこそアスリート」と豪語、4回転のさらなる先「5回転を跳ぶには滞空時間をあと0コンマ何秒長くすればいいか」までコーチとCG検証していました。

運動神経皆無の月河からしたら、「そんなに回転したら、回ってる最中で“いま何回転めか?”ってわかんなくなんない?」と思ってしまうのですが、若い頃のキアヌ・リーヴスをフレンチ仕立てにして筋肉質にしたような甘いルックスの25歳ジュベール選手、ぜひ今五輪で4×3、決めて欲しいなと思いましたね。

あと、やっぱり“ドラマは敵役”と信じてやまぬ月河ですから、06年トリノ金メダル後戦線を3年退き、昨年いきなり復帰してロシア選手権・欧州選手権と優勝した憎いヤツ=ロシアのプルシェンコ選手の強いヒールっぷりにも大期待です。「(トリノ後)3年間がんばってきた選手たちに勝ててうれしい」とほざいたというプルちゃん、暗に3年遊んでても(←アイスショーに出たりはしてたらしいですが)勝てちゃうオレ”って言いたいみたいじゃないですか。上等じゃねぇか。

27歳、私生活では結婚離婚後再婚、実子と再婚相手の連れ子都合3児のパパになってるらしい。まあそんなことはどうでもいいのですが、金髪グレーアイ、持ち前の飄々人を食ったような佇まいに加え、復帰してからはなにやらひところのUS製戦争映画やスパイ映画によく出てきた“ソ連軍エリート将校”みたいにもなってきました。

小ぶりなお顔にオブジェのようにそびえ立つあの鼻っ柱を、ジュベール選手でも、あるいは我らが織田信成選手、高橋大輔選手でも、ポッキリ折る場面が見たくもあるし、ものの見事返り討ちに仕留める場面も楽しみだし。いやー、やっぱりフィギュアスケートは男のスポーツ、男の戦いですよ。

コメント
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