近頃、村上春樹が評判らしい。新刊は予約販売で100万冊も売れた、とか。
朝日新聞では度々その噂が報道され、鄙で侘びた暮らしをしていても、好奇心と向上心が村々と湧いてくる。
しかし、上下2巻もあり、それぞれ分厚いようで当然値段は高く、不見転で買うほど裕福な暮らしではない。
事前にこの本の粗筋と評判を知りたくて、あれこれ探しても、知能指数(IQ)の高そうな人が書くこの本の噂は難しく、意味ワカラン。
たとえば、あるエライ露西亜文学先生曰く。 (以下読み飛ばしても差し支えありません)
原始的な生命の感覚を失った人間が代償として手に入れようとするもの、それは
二つ。集団的な狂騒への没入か、アナムネーシス(想起)へ回帰かのいずれかだ。
プラトンによれば、前世から現世に移り住んだ際、人間は記憶喪失の状態にあっ
たが、それらを想起することで不滅の存在に変わった。「海辺のカフカ」もそうだが
村上春樹を愛するどこかこの超越的感覚の共有者なのではないか、と思う。
「IQ84」の読後感は圧倒的だった。G・マーラーを最高の再生装置で聴くみたいな、
小説が言葉で書かれているということさえ忘れてしまいそうな、痺れるような陶酔
感覚を伴った。この小説によって文学は、手塚治虫「火の鳥」や「風の谷のナウシ
カ」の経験とはほとんど同一化される統合的なジャンルへと変貌したとさえ思った。
要するに、なんかタイヘンなモノで、読むと痺れる怖い小説のようだし、マンガのようでもあるらしく、解説読んだらますます分らなくなる不思議。
やはり現物を少し立ち読みしてから買うか買わないかを決めよう、と飯能の本屋を梯子したけれど、ここは地の果てナイジェリア。
避暑を兼ね、近くの大都市所沢の百貨店書籍売場へ行った。
この大百貨店の売場の名前は全般にスナオじゃない。
書籍売場は「書籍売場」なぞというヤボじゃなく、捻って「リグロ」とかいい、意味分らん。
目的の「IQ84」はあった。あることはあった.......。
だが、村上特集平台はハヤ秋風が吹いている。上巻は既に売り切れ、下巻は1冊しかない。所沢市民のIQは平均を大分超えてるのだろう。
下巻をパラパラとめくったが、字ばっかりである。これじゃ、とても、だな。
だがここで引き下がるのは沽券にかかわる。嫌味の一つも言わなくちゃ、と。
「ア・ア・アイキューはちじゅうし」の上巻ある?下巻はもう買ってあるんだけど」
「?・?.....ああ、ワンキューハチヨンですね。ご注文になりますが........」
「.....? ......☆!」
森生の知能指数は最早平均以下。呆けちまって、ご指摘の84くらいだろう。
でも、マツガったのはIQより、「愛」に飢えているか、目がまた悪くなったのだろうよ。
ふんっ。
だけど「ワンキューハチヨン」て重箱読みでも湯桶読みでもない。なんていう読み?
「IQ84 」と覚えていて、このブログの写真を見て{1Q84 ]と分かりました。
読み方はichi-kew-hachi-yonと読むらしいです。kewの読み方がワカリマセン。
ワンキュウハチヨン・・・おシャレですね。
渋谷の109をマルキュウと読むのだと最近知りました。
この頃の若い作家は どっちでも同じ 商売人でしょうよ
へぇ? 「イチ・キュー」ですか!?
あのオネーさん マツガエてました いや 耳も悪いのかな........
渋谷109は 「トーキュー」 かと今夜まで思ってました
勉強になりました 蟻が10