林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

石灯篭の行方

2007-01-18 | 知ったかぶり

 飯能市能仁寺

西武沿線の多くのお寺には、同じ形の古くて立派な石灯籠がある。
それぞれの場所で、周りの風景に良く馴染んでいる。

石灯籠は、西武鉄道が寄付したものであり、元は東京港区芝の増上寺にあった。
石灯籠を寄進したのは約300を超える大名家で、作らせたのは徳川将軍家だ。

増上寺が徳川家の広大な墓所を西武鉄道に売却。
西武鉄道は跡地に「東京プリンスホテル」を建てた。
その際、石灯籠を捨てるわけにもゆかず、結局各地のお寺に持ち込んだ。

東京港区教育委員会が、遺物の扱いを批判する人たちからの請願を受けて調査した。

処分された石灯籠は約1000基もあった。
その内642基が埼玉県を中心に東日本の14都道県220カ所のお寺に移された。

残りの石灯籠の行き先を、西武鉄道は移設先のプライバシーを楯にして明かさない。
本当は捨ててしまったのだろう。

 近畿日本ツーリストHPから

徳川家の墓所の後に出来たホテルは、別のプリンスホテルに較べると優美である。
他のホテルはオーナーの趣味に合わせてゴツイ。
ここだけは「サンシャインの幽霊」の実母とされる、3番目の正夫人が細かく指図した。
正夫人の美的感覚は優れていたようである。

ホテルの地階には「PISA」という高級輸入品専門店が出来た。
店内に高級呉服の売り場もあった。

売場の老番頭さんに原因不明の体調不振が続いた。
占い師から「ここに埋葬された皇女和宮の祟り」と宣告され、転勤後体調を回復した。
祟りの真偽はともかく、以上はご本人から直接聞いた話である。

 鎌倉霊園旧HPから(新HPはこちらです

いま、徳川将軍家の墓地は西武鉄道の創業者が造成した「鎌倉霊園」にある。
広さは創業者の墓所の数十分の一にしか過ぎない。
創業者の墓所は、新体制の西武鉄道に見放され、維持管理に苦労するだろう。

創業者の正妻権妻2系統に分かれる大勢の子どもたちはしたい放題.
挙句に多くの会社をダメにし、経営からは追い払われた。
徳川家の祟りではなく自業自得というべきだろう。

 秩父市HPから

西武鉄道は昨年末、秩父市郊外の「秩父ミューズパーク・スポーツの森」を市に無償譲渡。
土地182haと126棟の建物や施設で簿価43億3800万円。
時価100億円にもなり、赤字経営だった。

秩父市長は喜んでいるが、固定資産税は入らず、維持管理運営費が必要になる。
市営にすれば「事業の活性化と地域の発展が見込める」のだろうか。
いずれ秩父市も持て余しすだろう。

西武鉄道は美しい長尾根丘陵を大規模に造成改変して、逃げ出してしまった。
今後は石灯籠の寄付のようにはゆくまい。

増上寺の石灯籠の行方を追い、HPで詳しい報告をしている方がいる。
尊いお仕事だ。

  参考文献
  朝日新聞記事(05/03/26+06/12/02)。
  月刊「文藝春秋」87年8月号記事「わが堤一族 血の秘密」上林国雄著。
      墓が無い第2番目正夫人の立場から、創業者の子の2社長を批判した内容。
  猪瀬直樹著「ミカドの肖像」小学館刊。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿