辰濃和男という人の「極上の人生」という本が売られている。
自信マンマンな題名だね、驚いた。
この人は80年代に朝日の天声人語で、一世を風靡した名コラムニスト、だそうだ。
多分いまは年金をたっぷり受給し、悠々自適。
暇なので、しあわせのお裾分けしたくなったのだろう。結構結構。
著者は人生を楽しむために、四つの美学を提案している。曰く、
1.無心の美学
2.ゆとりの美学
3.懶(ものう)さの美学
4.隠(こも)りの美学
などだ。
う~む、参ったね「美学」だとさ。
それに「物憂さ」ではなく「懶さ」、「篭もり」ではなく「隠り」だぜ。
いかにもな高尚なお説のようで、とても凡人には付き合えませんな、ふんっ。
しかし「いや、待てよ」と思った。
凡人代表の森生はこの8月、いよいよ80歳になる。
人生はもちろん「極上」ではなかった。かといって「最低」だったわけでもない。
大変な時期もあったけれど、嫌なことは忘却の彼方へ押しやった。
普通で平均の人生だったのではあるまいか、と思う。
すでに人生の4分の3か、5分の4を終え、残りはあと僅かだ。
残りの人生を極上とまではゆかなくても、少しはましにしてみたい。
などと考え直し、本をパラパラめくり「3.懶さの美学」の章を見ると、なぁんだ「懶さ」とは、
ぼんやり・のんびり・ぶらぶらする
ってことだった。そして、
ぼんやりしていると頭が空になり、草や木や風や空の様子に敏感になる。
のんびりしていると草や木の生命力に気付き、生き抜く力を貰える。
ぶらぶらしていると、風の音、小鳥の囀り、集金人の溜息が聞こえてくる。
と辰濃先生はのたまっているようだ。
でもなぁ、最近森生はいつだってぼんやり・のんびり・ぶらぶらしているんだよ。
確かに頭は空っぽになる。そしてそのまま眠りに落ちるんだわさ。
そして目覚めては、普通で平均の人生の終わりを痛感する。
ってわけ。
ちっともマシな余生にはなりそうもない。
桂歌丸師匠が殆ど同じ題名の本を出版している。
こちらにはお笑いがいっぱいとか。
もはや手遅れの森生。
残りの人生は、アクセククヨクヨイライラせず、笑って暮らしたい。
買うならこっちにしようと思いますが、ご同輩はどちらですか?
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