心臓破りの石段の終点にある神社は、関東きっての古社でありながら、土建屋氏が教祖に成り上がった、新興宗教の施設のようなザツな構えである。
まず、導入部の急な石段からして、銅の鳥居は寸足らず、威厳無し。
両側には講中が建てた新旧参拝記念碑がズラリ。苔むしているならともかく、ピカピカのものも多く、これ見よがし。興醒めだね。
石段上の安土桃山風拝殿は巨大なだけで安普請、手抜き管理。で、殺風景。
唐破風の彫り物は隙間が目立ち、霊獣は大まか。
頭上の注連縄は牛蒡を吊ったようだし、紙四手はプラスチック製、とカンタン。
賽銭箱はリッパだが、上の金鈴からは、ガラガラ鳴らすための紐が下がっていない。
階段上の正面入口は、寒さ凌ぎに硝子の引き戸で閉し、無料参拝人を拒否。
以上、有り難味まるで無く、歌舞伎座の方がマシ。
拝殿左手に道がある。職員の説明ではただ、「神社ですっ」。
「いろいろな神さまが祭られてます、どうぞお参りを」、と何故言わぬ。
それでも本殿は天地神明造りで、金色燦然、神々しかった。
奥は戸建小屋や集合住宅に、約20人の神さまたち。それぞれ役割を分業している。
ダメの極めつけは、コンクリ製でケバくひょろ高い宝物殿である。
入口左の小部屋から文鎮氏が、「いらっしゃいませ」、と言うので、一礼し中に入ると、
「ちょっとオ お客さんツ ここ有料ですヨッ」
何故、いらっしゃいませに続けて、200円頂きます、と言わぬ? 無礼である。失敬である。誰が見てやるもんか、こんなガラクタ!
帰りの急な石段は危ない。古くてガタガタで踏み幅は狭く、足を踏み外しそうである。
で、脇にある転げ落ちそうな車道をそろりそろりと下ったら、爪先が痛くなってきた。
靴よりも、参道で売っている草鞋の方が良さそうだった。
森生は神社の神さまたちには敬意を表します。表しますよ。
神社にはたいへんな由緒があるそうだが、タイヘンなのは石段です。
神さまに仕える方々は、講中だけ見て、百年先千年先を見据えていないようでした。
この神社では山犬が「お犬さま」として崇められている。
「老いぬ」とかけて不老長寿のご利益がある由。これって、ダジャレじゃないでせうか。
なお、神社に登るには、石段より車道をお勧めします。
石段の改修は部分的には済んでいますが。
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