世田谷美術館の「富本憲吉展」。
会場の入り口の肖像写真は三国連太郎のスーさんそっくりで、驚いた。
よく知られた羊歯や定家蔓(ていかかずら)の模様を精密に描いた作品は、もちろん素晴らしかった。白磁のおおらかで清楚な作品も良かった。
それぞれ完成度が高過ぎて近付きにくいくらいだ。床の間に飾って拝観しなければならない立派なものが多かった。
森男が感心したのは、模様の基になった写生や、本の挿絵や表紙に使った版画作品だ。これなら気楽に付き合える感じがした。
盃や箸置き、ブローチや陶印などの愛すべき小品は、欲しくなってしまった。
富本憲吉は色絵磁器の洗練された技術を駆使、金銀彩に新しい新境地を切り開いた。「模様から模様を作る可らず」という信念のもと、写生から独自な形と模様を追求した、という評価の由。
生まれも育ちも良く、いい友人に恵まれ、順風満帆の人生を送った人らしく、富本憲吉の作品群は、どれも春のように豊満華麗だった。
富本オリジナル模様は、スカーフや壁紙、あるいは唐紙に使ったらいいのに、と思った。
富本憲吉は量産陶磁器の開発にも係ったそうだ。それなら、広い会場を使って、その量産陶磁器を参考資料として、展示して欲しかった。
同時開催の別の常設作品展を観た。熊谷守一展と師岡宏次写真展である。
熊谷守一の簡潔過ぎる油彩画は小学生の油絵のようで、あまり好きではなかった。
しかし、今回は鉛筆での一筆画ばかり。これが案外良く、小学生の絵のようでありながら、実に簡潔に対象を描いている。蛙や蟻や金槌がこれ以上省略出来ない線で巧みに描かれていて、熊谷を誤解していたようだ。
師岡宏次の写真は、昭和20年から30年代の世田谷・練馬風景。
師岡の白黒写真は、英国田園風景に負けない広く長閑で美しい武蔵野風景だった。
現代の醜悪な郊外文化住宅密集風景からは想像出来ない風景だった。
このあと、日曜の家族連れで賑わう砧公園から、桜新町の「長谷川町子美術館」へ。
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