四季の旅人

私のブログは生きるを旅として、四季を歩きながらその表情を文に纏めているのが私のブログです。

愛犬の見送りから思うこと

2015-09-28 | Weblog
今回私の愛犬が亡くなったのでそのことを記事にしています、私の懺悔として3回ほど書いてみたいと思いますので動物の好きな人なら私の勝手を理解し読んで頂けると嬉しいです。
勿論私のページを読んで頂いている人のなかには動物が嫌いと言う人もいると思いますがそれはその人の考えがありますから別に構わないと私は考えています。
でも、この世の中では数多くの動物が虐待され、人の都合で命が絶たれ多くの動物が亡くなっているのも事実です。
そう考えると私の愛犬はある意味で幸せだったと勝手に解釈しているし、まだおまえは恵まれているそう言うひとりになっていたかも知れません。
私は人の命の重さと動物の命の重さは同じと言う考えです、なぜなら彼等の命を貰い私達は生きているのですから、そう考えると一人・・一頭・・(匹)の命の重さも尊さも同じであり人は一部の動物の命を貰い生きていることに対し感謝しないといけないそう思っています。
残念ながら人はその感謝も命の大切さも最近は忘れていると思うのです、その例がペットの放棄、殺処分、人の社会の虐め、殺人、自殺と言う行為に現れています。

愛犬が居なくなって

今まで家族と共に生きて来た愛犬、人と同じように自然死と言うか老衰で旅発って行って欲しいと願っていましたが最後は人にも多い病気で亡くなりました。
犬も人と同じで病気になればその表情がでてくるもの、多少私もそれを察知しながらパートナーに話打診はしたのですがシルバーウィーク中ということもあり、またかかりつけ医がいいと言うことを言われ自宅看護で様子を見ていた私。
人と違いペットの管理責任は全て飼い主にあり、その不手際で死期を早めると言う行為は飼い主にあってはならないものそれは思っていましたが、言い訳になりますが優先と命の大切さの認識が甘かったそう思っています。
私もそのことについて非は私にもあるそう思っていましたから寝ずに看護しながら言葉をかけ身体をさすりながら一緒になって頑張りましたが最後は病魔に勝てず治療のかいもなく明け方ひとり寂しく旅発って行きました。
この旅発ち私もいずれこうなるだろうと自分を重ね合わせましたね、少し時間を置きいま思うと反省と悔いの日です。
まだ悔いは残り「私はもっと彼女に対し、するべきことが有っただろう」そう思う毎日であり、ごめん、私に訴えながら力になれず申し訳ないと言う二日目です。
そう謝るしかなかった愛犬の見送り。
もし私のブログを読んで頂いている動物好きな人がいるのであれば最後まで責任は持って欲しいし、老いてくれば人と同じように兆候が表れるので見落とししないで直ぐに病院に行って欲しいし、出来るならペット保険は在った方が良いと思います。
なぜなら入院はかなりの高額になりますから。

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