四季の旅人

私のブログは生きるを旅として、四季を歩きながらその表情を文に纏めているのが私のブログです。

愛犬の旅立ち「別れ」

2015-09-27 | Weblog
愛犬の旅立ち「見送り」

人の場合著名人ともなればその談話が流れ告別式も盛大で見送りも多いが、それが普通の人となれば尚更少なく人によっては皆無という見送りもある、まして動物となれば犬、猫じゃないそう言って単に処理される感が歪めない見送り。
私は命の重さは人と動物も同じと言うひとりでその別れは愛する人を見送るように心が痛み気持ちも沈み、後悔ばかりが走馬灯となって浮かぶ。

今日重い病気に苦しみながら治療のかいもなく旅発った我が家の愛犬、
「なぜ、もう少し早く気がつき病院に行けなかったのか」その後悔の念が頭から離れず私を追い詰める。
確かにシルバーウィーク中の発病であり、思い浮かべれば以前からその傾向がありよくなっては治療を止めて以後定期健診を怠ったことが悔やまれて仕方無かった愛犬の発病、その治療のかいもなく今夜が峠かも、それなら自宅で看取った方がいいですと勧められ、1%の治療希望を諦め家に連れ帰り一晩中愛犬に寄り添い介護しながら詫びているその姿を確認するように起き、その私を許してくれるように旅発った愛犬。
最後は人と同じように最後の力を振り絞り、痛みに耐えながら私に別れを告げるように眠った愛犬、呼吸が止まり段々と冷めていく体温を掌で感じていると再び悲しみの涙がこぼれる。

最後に完全に温もりが消え、身体が硬直して知る「ああ・・・これで彼女との生活が消えて視界から消えた」
そう思うと今まで過ごしていた空間の広さが寂しく心のなかに空白が広がる今朝の私、
悲しい、いまは普通に眠るように横たわっているから余り実感はわかないがこの個体が消えるとその寂しさが一気に広がるかそう思う私。

「ごめん!サンデー、何もわからず苦しめて」そう思う私の愛犬の見送り。

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