四季の旅人

私のブログは生きるを旅として、四季を歩きながらその表情を文に纏めているのが私のブログです。

晩秋、想いだす一頁。

2008-10-29 | Weblog
季節はそれでもやってくる。

私が住んでいた、いや生まれ育った北陸のとある地。
いつだっただろうか私が好きになり愛したあの人と旅した能登路・・・
あれは晩秋が過ぎて時雨が毎日のように訪れる初冬の頃。
寒くて・・手が凍えそうで、二人の手を擦りあって暖めたひと時の時間、
「寒いね、大丈夫」
「うん、大丈夫」
たった交わしたのはこの言葉だけ、
「行こうか」車を七尾から珠洲に向かって走らせる。

九十九から今では見られないボラ見櫓を見ながら恋路を通りのんびり車を走らせながら狼煙で一休みして、今度は日本海を見ながら曽々木に向かう。
今夜の宿は輪島の手前、曽々木にとってあり時間があるので、
近くの下時国家を久しぶりに覘いて見る。
私はここの囲炉裏が好きで、能登に訪れる度に訪れてここの囲炉裏に座る、そうよく言うオッサンの哀愁と言うやつかな?私の家の囲炉裏に似ているのと、囲炉裏端に座って「煙いな・・・」と言いながら、煙たいその煙を顔に浴びながら囲炉裏のチョロ・・燃える炎を見ていると、友人と何十年か前に始めて北の大地の礼文に旅して、あの頃全盛だったユースホステルを利用して旅した北の大地、礼文のユースホステルの囲炉裏を想い出してしまう。
あの時はエゾカンゾウが島の岬を花で埋めていた夏だった。

宿に荷を置いて、夕飯までに時間があるので海岸に出てみる、地平が鉛の壁になってそそり建って、砕けた落ちた先が波と共に押し寄せてくる。
「う~寒い・・・」風が二人から何もかもを奪っていく、二人で肩を寄せ合っても、好きな人からの愛の温もりは伝わらず、風のなかに沈んでしまう。
「この分だと夜は荒れそうだね・・・寒くない」
「大丈夫だよ」会話が風の中に消えてしまう、消しゴムでゴシゴシ消すように・・・
今宵の宿泊客は私たちを含めて三組だけ、少し寂しい感じがするけど、この時期に曽々木に泊る人は少ないか?皆、輪島に泊ってしまうか、そう思うと少し寂しい。
「明日、朝は朝市に行こうか、美味しいものがあるし」
「うん、行こう」元気の声が戻ってくる。
部屋の暖かさが嬉しくなるひと時だ、そのひと時を奪うかのように風が強まる。
深夜を回ると風が激しくなって松の枝を震わせ、幹同士が激しくぶち当たって悲鳴をあげる。久しぶりに聞く激しい能登の海鳴り、強烈だ、一晩中叩かれる名船御陣乗太鼓のバチの音だ、一晩中私睡眠を脅かして行く。
眠れない・・・天井を見上げるとあの鬼畜の面が幻となってゆれる。
時間だけが止まって見える、そんな感じがする。

晩秋が近づいてようやく寒さを感じ、広葉樹の桜、欅が恥らうように染まってきた。
温暖化?そう言われながらも、不思議なもので秋は訪れる、この季節の訪れが見れるこの感触は、明日の子供たちに残してあげたい、それが今の大人の責任かも知れない。

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