人に大切なのは会話
昨日からのが小康状態になっている、この空だと夕方はか,はいつまで持ってくれるか?会話、毎週私が歩く低山、この時期の低山は出会う人も少なく、まして私の歩くコースは人に逢うの...
人に大切なのは会話、
人は一人で生きられるか?答えはNOである。
私は生きていける、そういう人もいると思うが大部分の人は無理だと思う。
たしかに若い時は体力も、気力も、精神力も満たされ充実しているから、多少の事は跳ね返したり、無視したりして自活は可能だと思う。
それが一人のまま老いて行くときにひしひしと押し寄せる孤独、疎外、話せない、笑えないと言う苦痛、相手にするのはいつもテレビの画面、一人無言で食べる食事の侘しさ、寂しさ、この孤独な環境に耐えるには覚悟と金がないと挫折は免れないと思う。
人は家族に守られ、社会に看取られ、地域と対話しながら存在をしている、その関わりが奪われ、対話がなくなる時ほど惨めなものはないと思う。
家族
ひとつの集合体
固い絆で結ばれている家族
いまそれがひとつ・・のブロックで構成されている
取り外し自由
抜かれ外され壊れ
歯抜けになり崩れそうな集合体
名ばかりの形
永久に持ちそうもない歪な形
所々が外された要
再び戻って組み合わされることのないブロック
後は自然に崩落を待つのみ
いまこの形を見て
改めて家族とは何か問われている。
人は話す相手がいないと駄目になる動物である。
なまじっかに心があるためにある程度の意地は徹すことが出来るが、老いて来るとそれが難しいもの、まして子供がいても独立と共に親の元を離れ、ひとつの形を構成していく中で家族の絆が薄れ、形が形骸化してしまい、その孤独に耐えかねていろんな病に襲われたり、自滅したりしている。
会話、何でもないこの手法、没するまで話が出来る環境は維持したいと思う。
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