いつものコースから
私が歩く府民の森。
雑木主体の山で手軽に歩けるのがこの森の良いところかな?
起点はいつも私市。
民家の中を歩いていつもの小さな沢の入り口に着く。
いよいよ登りだ、大きな滝はなく大小の岩がごろごろしている沢で意外と歩きやすく、夏場には沢蟹が多く遊んでいる沢かな、
浮石に注意しながら高度を稼いでいくと、水が枯れ朽葉の埋まるルンゼ状の沢が尾根に突き上げている。
さあ、「これから樹の枝に掴まりながらの登りだ」そう思うと気が重い。
その気の重い感じを吹き飛ばしてくれるのが、
雹が降ったのかそう思う無数の団栗と食欲をそそる茸だ、
「うまそう・・・茸汁でいっぱい」そう思うけど、
知らない茸なので二の足を踏んでしまう。
朽葉の中に埋まる団栗、目の前にぶら下がるような茸、時折弾けて落ちる団栗の音を聞きながら登り詰めるとヒョッコリ尾根に出る。「この瞬間、小さな沢でも感激は一入だ」
暖かいせいか汗かきの私はもう汗でびっしょりだ。
夏場ならもう上から下まで、シャツからパンツまで汗でぐしゃぐしゃだけど、
暖かいと言ってもそこまではいかない。
でもこの汗に一番嫌なやつが寄ってくる「そう薮蚊、この攻勢には堪らない」
水を一口ゴックンやる度に「ブ~ン、チクリ、ブ~ン、チクリ」攻撃を仕掛けてくる。
「俺ってそんなに美味しいのかな・・・」
「確かにメタボで身体は中トロ状態で美味しいとは思うけど」もう群がるそんな状態だ。
もう季節的には秋は終盤だよ、それなのにこの陽気何なの?
確かに温度が年々上昇して、気温も南の温暖な気候になりつつあるけど、やはりこれって変、そう思わない?暖かい方がいいや、そう言って無関心になっているこの私たちが怖い。
その癖何かあるとわあわあ騒ぐくせに、困った人間たちだ。
そんな事を考えながら尾根の大木の根に腰を下ろし、
空を仰ぐと、緑深い木の葉が両手を広げるように散らばって空を隠し、
陽がその間からシャワーとなってそそいでくる。
「この感じ、未だに初夏の感じ」
でも自然は不思議だね、日中は未だに夏の名残が残っているのに、朝夕は秋の香りが漂い気温を下げてくれるから、その気配を感じて秋を届けてくれる。
熟して落ちてくるアケビ、朽葉の中から顔を出している茸、森いっぱいに広がる団栗、
みな秋の贈り物。
生きている森も、この時間のなかでせいいっぱい生きている、それをこのクヌギの大木の根に腰掛けて眺めているとそう時間が教えてくれる。
確かに町で、職場で、学校でみんなと騒いでいまを確かめるのもいいけど、人は時にはこの自然のなかで自分を棚卸するのも大切、生きる意義、生かされる意義、時間、優しさ、思いやり、ときめき、出会い、人の中で見失って、利害、権利、自由と我がまま言っている自分が、いかに心貧しいかがこの自然のなかに身を置くことによって判り、反省させられる、だから私は最低でも月に一度山に来て自分を棚卸している。
私が歩く府民の森。
雑木主体の山で手軽に歩けるのがこの森の良いところかな?
起点はいつも私市。
民家の中を歩いていつもの小さな沢の入り口に着く。
いよいよ登りだ、大きな滝はなく大小の岩がごろごろしている沢で意外と歩きやすく、夏場には沢蟹が多く遊んでいる沢かな、
浮石に注意しながら高度を稼いでいくと、水が枯れ朽葉の埋まるルンゼ状の沢が尾根に突き上げている。
さあ、「これから樹の枝に掴まりながらの登りだ」そう思うと気が重い。
その気の重い感じを吹き飛ばしてくれるのが、
雹が降ったのかそう思う無数の団栗と食欲をそそる茸だ、
「うまそう・・・茸汁でいっぱい」そう思うけど、
知らない茸なので二の足を踏んでしまう。
朽葉の中に埋まる団栗、目の前にぶら下がるような茸、時折弾けて落ちる団栗の音を聞きながら登り詰めるとヒョッコリ尾根に出る。「この瞬間、小さな沢でも感激は一入だ」
暖かいせいか汗かきの私はもう汗でびっしょりだ。
夏場ならもう上から下まで、シャツからパンツまで汗でぐしゃぐしゃだけど、
暖かいと言ってもそこまではいかない。
でもこの汗に一番嫌なやつが寄ってくる「そう薮蚊、この攻勢には堪らない」
水を一口ゴックンやる度に「ブ~ン、チクリ、ブ~ン、チクリ」攻撃を仕掛けてくる。
「俺ってそんなに美味しいのかな・・・」
「確かにメタボで身体は中トロ状態で美味しいとは思うけど」もう群がるそんな状態だ。
もう季節的には秋は終盤だよ、それなのにこの陽気何なの?
確かに温度が年々上昇して、気温も南の温暖な気候になりつつあるけど、やはりこれって変、そう思わない?暖かい方がいいや、そう言って無関心になっているこの私たちが怖い。
その癖何かあるとわあわあ騒ぐくせに、困った人間たちだ。
そんな事を考えながら尾根の大木の根に腰を下ろし、
空を仰ぐと、緑深い木の葉が両手を広げるように散らばって空を隠し、
陽がその間からシャワーとなってそそいでくる。
「この感じ、未だに初夏の感じ」
でも自然は不思議だね、日中は未だに夏の名残が残っているのに、朝夕は秋の香りが漂い気温を下げてくれるから、その気配を感じて秋を届けてくれる。
熟して落ちてくるアケビ、朽葉の中から顔を出している茸、森いっぱいに広がる団栗、
みな秋の贈り物。
生きている森も、この時間のなかでせいいっぱい生きている、それをこのクヌギの大木の根に腰掛けて眺めているとそう時間が教えてくれる。
確かに町で、職場で、学校でみんなと騒いでいまを確かめるのもいいけど、人は時にはこの自然のなかで自分を棚卸するのも大切、生きる意義、生かされる意義、時間、優しさ、思いやり、ときめき、出会い、人の中で見失って、利害、権利、自由と我がまま言っている自分が、いかに心貧しいかがこの自然のなかに身を置くことによって判り、反省させられる、だから私は最低でも月に一度山に来て自分を棚卸している。
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