大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

誤訳怪訳日本の神話・16『天岩戸(あまのいわと)を開く!』

2021-01-29 07:15:02 | 評論

訳日本の神話・16
『天岩戸(あまのいわと)を開く!』 

 

 

 天の安河原の会議のつづきからです。

 

 高御産巣日神(タカミムスビノカミ)の息子である思金神(オモイカネノカミ)が提案します。

「どうだろう、天照大神よりも偉い神さまにやってきてもらうというのは?」

 なんだとおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!? 

 一同息をのみます。

「バカなこと言うなよ、アマテラスさまは最高神であられるのだ、アマテラスさま以上に偉い神さまなんているわけねえだろーが」

「一芝居うつんだよ。じつはな……かくかくしかじか」

 プランを述べるオモイカネ。

 テレビのヤラセ番組のようなことを言いますが、日ごろから思慮深い知恵者として有名なことが幸いしたのか、一同は賛成することになります。

    

 

 まず常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)を集めて鳴かせます。

 いかめしい名前ですが常世長鳴鳥とはニワトリのことであります。

 夜明け直前にコケコッコーと鳴くニワトリは「太陽を呼んでくる目出度い鳥」ということになっています。

 のち、五世紀ごろに作られた前方後円墳の前方部と後円部の境目にはニワトリの埴輪がよく置かれています。

 前方後円墳の主体は墓地である後円部にあります。前方部は会葬者のためのスペースです。

 だから、後円部の方が尊いので前方部の方が高くなっています。前方部は会葬者が儀式がよく見えるように、末広がりになって、後ろに行くにしたがって高くなっています。劇場の構造に似てますね。

 後円部に大王などの被葬者が埋葬され、埋葬した夜は跡継ぎの皇太子や皇子が守をします。

 一晩被葬者の守をしたあと、夜明けとともに後円部から降りてきて帝位や族長の地位を継いだことを宣言します。

 つまり、ニワトリの埴輪が置いてあるところが、黄泉の国と常世の結界になっており、ニワトリが日の出を招くことになぞらえているのです。つまりつまり、夜と朝の境目を超えて新天皇や族長の権威の再生を現わしているのです。

 身も蓋もなく言えば、ニワトリが鳴いたことで夜明けが来たぞ=アマテラスに代わる新しい太陽神が来たというフェイクをかますわけですなあ。

 しかし、ニワトリはきっかけに過ぎません。あれ? ニワトリが鳴いた? とアマテラス「あれ?」と思わせるだけです。

 そこで、神さまたちはヤラセの大宴会を催します。

 天宇受売命(アメノウズメノミコト)がお立ち台に立って舞い踊ります。

 ヤラセとは言え、本当にエンジョイして楽しくならなければフェイクであるとアマテラスにバレてしまいます。

 アメノウズメは日本で最初のストリップをいたします。

 神懸(かみがか)りして裳の紐を陰(ほと)に垂らしまして……古事記にあります。

 トランス状態になって、着物の紐を解いて陰(ほと)とありますから、えと……エロゲでなければ表現できないようなところまで下ろして……つまりストリップであります。

 それを見て、神さまたちはノリノリになったわけであります。

 この大宴会の中には男神だけではなく女神もおりました。今の時代に女性も参加する宴会でやったら完全にセクハラをとられます。日本では男女共々大らかであった時代があったのですね。

 まあ、本気でお楽しみの大宴会を催したんですなあ。自分たちが本気でなければ騙せません。

 その甲斐あって、いったい何事か? アマテラスは岩戸をちょっとだけ開いて様子を見ます。

 それに気づいたウズメが猥褻物陳列の姿のままでお立ち台から岩戸にジャンプ!

「あんたよりマブくて尊い神樣がおいでになるんでよろしくやってんのよ!」と、かまします!

「な、なんと!?」

 すかさずアメノコヤネの命とフトダマの命とが、鏡をさし出してアマテラスの前に掲げます。

「な、なに、なによ、このイカシた女は!? めっちゃ美人過ぎるんですけどおおお!!」

 アマテラスが動揺したところを、天手力男神タヂカラヲノカミ)が引っ張り出して、天岩戸はしめ縄を張ってもどれなくします。

「ま、その、あ、あんたたちが、それほど言うなら(#^_^#)、言うならあ、戻ってあげなくもない……かな?」

 ということで、高天原にも地上にも光が戻ってくるのでありました。

 

 ちなみに天宇受売命は芸能や芸能人の神さまに、天手力男神は相撲取りの神さまになりました。

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誤訳怪訳日本の神話・15『天岩戸(あまのいわと)』

2021-01-28 06:37:20 | 評論

訳日本の神話・15
『天岩戸(あまのいわと)』   

 

 日本史上はじめての引きこもりです。

 

 スサノオの乱暴にブチギレたアマテラスは天岩戸に引きこもり、固く入り口を閉ざしてしまいます。

 やってられっかあああああああああ!!

 すごい怒りで岩戸を閉ざします。現代の引きこもりのような湿っぽさは微塵もありません。いじけた様子もありません。

 湿っぽくいじけたようになってしまったのは、岩戸の外の世界です。

 なんといっても、アマテラスは名前の如く太陽神で、それが隠れてしまったのですから世の中は真っ暗です。

 疫病や天変地異の災いが頻発し、高天原でさえ院隠滅滅のありさまです。

 

 こういう危機的な状況には英雄が現れ、艱難辛苦の果て、多大な犠牲を払った上で解決します。RPGで勇者や姫騎士、魔導士などが活躍するパターンですね。危機的状況=英雄出現フラグであります。

 ところが、記紀神話では困じ果てた神さまたちが天の安河原(あめのやすのかわら)に大集合して対策会議を始めます。

 なんとも日本的な景色ですなあ。和を以て貴しとなすであります。

 日本は緊急事態になった場合、往々にして出足が遅れます。和を以て貴しとなすために容易に結論が出ません。時間がかかり審議審議で時間ばかりがたって、ようやく決まった時には時間遅れだったり、変化した状況にあわず失敗することもあります。頭のいい奴が「これでいこう!」と提案しても「前例に無い」「共通理解に至らない」とかで却下されてしまいます。欧米的に「そいつにかけてみよう!」には、なかなかなりません。従ってドラマにもRPGにもなりません。

 東日本大震災のおり、いち早く米軍が救援の手を挙げて『ミッショントモダチ』で助けてくれたのは記憶にも残っていると思います。

 阪神淡路大震災のときも米軍は神戸沖に空母を派遣して物資輸送やヘリコプターの展開の拠点にしようと提案しましたが、時の政府はあっさりと断っています。会議と情報収集の繰り返しに時間がとられ、本格的な救援活動はあくる日にずれ込んだという体たらくでした。

 しかし、いったん話し合いで結論を出し行動にうつすと世界に類のない力を発揮します。

 万博やオリンピックなどの国家的なプロジェクトが概ね上手くいったのは、そういう国民性の現れなのでしょう。

 近代国家には学校教育が不可欠!

 そう決まると、一心不乱に制度と学校を作り、二十年もかからずに世界に冠たる義務教育とそれ以上のハードとソフトを整えてしまいました。

 例えば、国内の小中高の学校でプールの無い学校はありません。

 これは、世界的には非常に珍しいことなのですが、昭和何年だったかに、水泳教育は必須であるということに決まり、決めたことによって、予算化され設置計画が立てられ、きわめて短時日の間に成し遂げてしまうのです。

 横道に入り過ぎました、次回は天の安河原の会議と天岩戸解放作戦の中身に触れたいと思います。

 

 

 

  

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誤訳怪訳日本の神話・14『イザナギの三神・スサノオ・3(天津罪)』

2021-01-27 06:32:50 | 評論

訳日本の神話・14
『イザナギの三神・スサノオ・3(天津罪)』
 

 日本は八百万(やおよろず)の神さまの国です。

 その八百万の神さまの東の横綱が天照大神で西の横綱が出雲大社であります。
 何度も申しましたが、今の皇室に繋がる大和朝廷の神さまがアマテラスで、出雲大社に象徴される出雲勢力の神さまの大元がスサノオであります。
 出雲勢力がどれだけ強大であったかは、十月を神無月として、十月には日本中の神さまが出雲に集まるということになったこと。で、出雲地方だけは十月のことを神有月(カミアリツキ)と言うことでも分かります。

 スサノオは高天原で大暴れします。

 大暴れの結果、高天原を追放されることになるのですが。これは出雲勢力が大和勢力に敗れたことを反映させるためにできたストーリーだと言われています。
 それはさておき、面白いので観ていきましょう。
 
 スサノオは高天原の田んぼを踏み荒らしてメチャクチャにします。神さまが食事をする御殿にクソを巻き散らかして汚します。アマテラスがスサノオを罵倒するときに「このウンコ!」と言ったのは、わたしの筆が滑ったからですが、まさにその通りのことをやってのけます。
 最初は大目に見ていたアマテラスですが、しだいに収まらないスサノオの乱暴にキレてしまいます。
 機織り姫が織物をしているところに生皮を剥いだ馬を投げ入れ、機織り姫はビックリしてショックのあまり死んでしまいます。
 このくだり、原文では機織りに使う板で陰(ほと=性器)を突いて死んだとされています。こういう描写は神話のいたるところに見られるのですが、それについては、また触れてみたいと思います。

 ここにきて、アマテラスは怒り心頭になって天岩戸に隠れるのですが、ひとまずスサノオがしたことに目を向けます。

 古代においては、天津罪(アマツツミ)という概念がありました。とんでもない罪という意味です。

 宗教儀式や、祭祀の場をメチャクチャにすることは、大変な罪でした。
 スサノオがクソをまき散らしたことや機織りの場に皮を剥いだ馬を放り込んだことが、これに当たります。
 神道は、清浄を第一にする宗教です。

 何事のおはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる

 西行の和歌です。
 なにがお祭りされているかよりも、かたじけないと感動するような清浄さが重要なのです。
 伊勢神宮の本殿は、式年遷宮と言って、20年に一度、すっかり建てなおして引っ越しします。清浄さやあらたかさを大事にするからですね。
 ですので、神事や神社を穢すのは一番の罪とされます。現代人の我々でも、神社の鳥居やお社に落書きされたりしていると、他の落書きと違って「このバチあたりめが(#`Д´#)!」という気持ちになりますよね。その名残だと思うねですが、どうでしょう。

 次いで大きな罪が田畑を荒らす罪です。
 スサノオは田んぼの畔を壊したりしてメチャクチャにしています。
 神話の中には書かれていませんが、ああ、こんなのもあるんだ。というものがあります。

 頻撒(しきまき):人が種籾を撒いた上から別に種籾を撒いて「ここは、オレの田んぼだ!」と主張すること。

 串刺(くしざし):人の田んぼに立札を立てて新たに所有権を主張すること。

 畔放(あはなち):田んぼの畔(板や土で作られた田んぼの囲い)を破壊すること。

 農耕秩序を破壊するような行為が、神社を穢すことと並んで大罪でした。
 下って、鎌倉幕府ができたのも農村地主である武士たちが土地の所有権や、土地にまつわるイザコザを公平に裁いて欲しかったからでであります。日本の原型は、やっぱりお百姓さんの国なんですね。

 次回は天岩戸について考えたいと思います。
  

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誤訳怪訳日本の神話・13『イザナギの三神・スサノオ・2』

2021-01-26 06:22:00 | 評論

訳日本の神話・13
『イザナギの三神・スサノオ・2』
    

 

 高天原(たかまがはら)というくらいですから、高い空の上にありました。

 そんな空の上に、スサノオはどうやって行ったか?
 むかし、スサノオの話をアニメにした『腕白王子のオロチ退治』というのがありました。たしか東映動画の作品で若き日の宮崎駿監督も参加していたと思います。
 アニメではアメノフチコマという空を飛べる馬に乗って行くことになっていますが、記紀神話では記述がありません。
 まあ。神さまだから行けたということでいいのではないかと思います。

「え、弟のスサノオがやってくるって!? なんなの、それはあああああああヽ(`#Д#´)ノ!?」

 スサノオが高天原にやってくるのを知ったアマテラスは、歓迎するどころか激怒して嫌がります。
 そうして、自分も他の神さまといっしょに完全武装してスサノオに立ち向かいます。
「なんだって、おまえが来るんだよ! おまえ、父ちゃんも持て余してたヤンチャクレなんだろがあ! 入ってくんな! こっち見んなあああ!」
「そりゃねーだろ! オレはワルサなんかしねーよ。ただただカアチャンが恋しくってさ、父ちゃんに言ったら、ネーチャンがカアチャン似だってっから……その、来ただけなんだし」
「ざけんじゃねーよ! あたしはカアチャンの代用品ってか!? おまえ、どんだけマザコンなんだよ!? ここはなリア充しか住んじゃいけないんだよ、さっさと帰れ、このウンコ!!」
「ウンコじゃねーよ! おいら、ただただ寂しいんだ。な、ネーチャン、ワルサしねーから、置いておくれよ……頼むからよ(;゚Д゚)」

 姉弟とは思えない冷めた関係です。アマテラスは、もうスサノオのことを敵認定したような態度です。

 前にも述べましたが、アマテラスは伊勢神宮の御祭神で、皇祖神であります。
 その皇祖神であるアマテラスが非常に警戒するのですから、ここにおけるスサノオは、大和政権に敵対した大きな勢力があったことの記憶が反映されていると見るべきでしょう。
 大和政権が確立するまでは、いろいろな対立や抗争があったんだと理解しておけばいいと思います。

「じゃあさ、神さま生んで、潔白を証明しようじゃんか!」

「え? 神産みだとお!? く、くそ、仕方ないわねえ……」

 スサノオの提言で、姉弟の神さまは、子どもの神さまを生みあうことになります。
 アマテラスが付き合うのは、こういう場合の潔白の証明は双務的に行うものだからです。

 例えば、握手とか敬礼に、この名残があります。

 握手も敬礼も右手で行います。
 右手は武器を持つ手なので、お互いに相手の右手を握ることで武器を持っていないことを確かめ合うのです。
 敬礼も同様に、右手を肩の上に掲げることで、武器を持っていない=害意が無いことを証明しています。
 ですので、世界中にある敬礼の中で、はっきり右手の手の平を見せるイギリス流が敬礼の元祖なのかもしれません。

 礼砲というのがあります。

 外国の港に軍艦が儀礼的に入港する場合や、逆に入港される場合は、20発前後の大砲を撃ちます。
 儀礼がなんで大砲を撃ちあうことになるのかというと、物騒な気がしますが、以下の理由があります。

 昔の大砲は一発発射すると、次の発射までには時間がかかりました。だから、大砲を撃ってしまうことで「撃ったあとは無防備」なので害意はありません。ということの表明になるからです。
 最近の軍艦は、礼砲専門の大砲を積んでいることが多いようです。いまの艦載砲は口径120ミリくらいで、昔ほどデカい音が出ません。かといって、主力武器のトマホークやハープーンなんかのミサイルをぶっ放すわけにのいきませんですからね(^_^;)。

 この項続きます。

 

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誤訳怪訳日本の神話・12『イザナギの三神・スサノオ・1』

2021-01-25 06:25:13 | 評論

訳日本の神話・12
『イザナギの三神・スサノオ・1』
  


 

 イザナギが、命からがら黄泉の国から戻って産んだのが三人の神さまです。

 産んだと言っても、男神なので、目を洗ったり鼻を洗ったりして出来た神さまたちです。
 困難と穢れに打ち勝って、その末に聖なる神さまが生じるという、まあ、観も蓋も無く言ってしまえば演出ですね。

 三人の神さまの中で、重要なのはアマテラスです。ツクヨミもスサノオもアマテラスを引き立てるための脇役です。

 脇役ではありますが、準主役と言っていいドラマが三番目のスサノオにはあります。

 本当なら、スサノオは日本のポセイドン(ギリシア神話の海の神さま)になるはずでした。父のイザナギは、そう命じたからです。
 しかし、スサノオは見かけは立派なアンチャンであるのですが、とてもマザコンでありました。

「なああ、父ちゃん、なんで俺には母ちゃんがいねーんだよ!?」

 大きなドンガラをして、イザナギを責めては身も世もなく泣いていました。
 スサノオの泣きっぷりは凄まじく、というか、スサノオと言う名前も「凄まじい」という意味が被っているのかもしれません。
 スサノオが泣き叫ぶと、大地震が起こり、海が溢れたり山が崩れたりします。
「もー、かなーねえなー! デカいなりして泣くんじゃねーよ! みんな迷惑するじゃないか!」
「だって、母ちゃんに会いてーもんよ! オーイオイオイ……!!」

 息子ながら持て余したイザナギは、こんなことを言います。

「そーだ、スサノオ、おまえにはアマテラスって母ちゃん似の姉ちゃんがいるからよ。会ってくるといいよ!」
「ほ、ほんとか、父ちゃん!?」
「ああ、父親の俺が見ても惚れ直すぐらいのベッピンだ。若いころのイザナミにソックリだ!」
「オー! あの二本の柱周って、いいことしまくってた頃の話だな!?」
「あ、あれは、神聖な国生みの仕事だったんだよ(;^_^!」
「でも、ヤリまくったっだろ!? 父ちゃんの凸と母ちゃんの凹を合わせまくってよ! このエロ親父!!」
「エ、エロじゃねーよ! 国生みだ!!」
 そう言いながらも、イザナギは鼻血を垂らしてしまいました。
「父ちゃん、やらしいぜ。ほら鼻血拭きなよ」
 スサノオはティッシュを箱ごとイザナギの膝に投げてやりました。
「す、すまん……」
「やっぱさ、母ちゃんに会っておかなきゃおさまんねえ……母ちゃんいねーから、姉ちゃんに会ってくるわ。俺のレーゾンデートルの問題なんだよなあ……じゃ、ちょっち行ってくるわ!」

 そうして、スサノオは高天原を目指して行くのでありました……。

 高天原に駆け上っていく息子を仰ぎ見ながらイザナギは思いました。

――あいつ、根本的なとこで誤魔化してるよな。腐っても母だ。イザナミは千曳の大岩で閉じたとは言え、まだ黄泉の国にいるんだぞ。黄泉の国に行くのが本来のあるべき姿だろうが。勇ましいように見えても、どこか日和ってるよな……『ナラガミ ARAGOTO』じゃ、ちゃんと腐り果てたイザナギに会いに行ってるぞ――

 え、そうだったんだ!?

――お、おい、作者! 勝手に心理描写すんじゃねえ(#゚Д゚#)!――

 

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誤訳怪訳日本の神話・11『イザナギの三神・アマテラス』

2021-01-24 06:42:29 | 評論

訳日本の神話・11
『イザナギの三神・アマテラス』
  


 三人姉弟の長女であるアマテラス=天照大神(あまてらすおおみかみ)は、伊勢神宮の神さまであります。   

 伊勢神宮というのは、日本の神社の総元締めで、アマテラスは皇室のご先祖であり、事あるごとに天皇や皇室の方々が参拝されています。
 庶民の間でも伊勢神宮と言うのは「一番偉い神さま」であると同時に、もっとも親しみのある神社で、内宮外宮を含め125社の宮社すべてを含めたもので、正式には『神宮』であります。

 銀座に似ていますね。銀座は単に地名であるだけではなく銀座通りにある商業施設と文化の総称で、単に『銀座』と言えば東京の銀座で、それ以外の(銀座にあやかった)銀座は、わたしの街の高安銀座のように、地名が頭に付きます。

 江戸時代、庶民が旅行する場合には名主や町年寄が発行してくれる通行手形が必要でした。時代劇で関所で「へえ、これでござります」と、関所役人に差し出しチェックしてもらうのが通行手形であります。海外旅行において通関でパスポートを提示するのと同じことですね。パスポートが無いと出入国管理法違反ということで身柄を拘束され、最悪の場合スパイ容疑などをかけられ死刑になることもあります。
 このパスポート無しで、外国に行ける場合があります。
 難民などになって外国に亡命する場合です。亡命には程度の差はありますが、厳しい審査があります。ちなみに日本が受け入れている亡命は、年間で二桁にはなりません。
 そのくらいパスポートと言うのは大変なものなのですね。

 それと同じくらいに通行手形と言うものも大変なものでした。

 ところが、例外的に通行手形無しで庶民が旅に出る手段がありました。

 お蔭参り(抜け参りともいう)であります。

 ある日、空から伊勢神宮のお札が降ってきます(もちろん誰かが蒔いたか作ったりかしたもの)、そのお札を持っていれば、その場から伊勢参りにでかけていいのです。
「お蔭でね スルリトね ぬけたとさ(^^♪」
 などと囃しながら伊勢を目指します。お蔭参りする者は道中、沿道の人たちから無料で食事や宿泊の世話がうけられます。
 天下御免のお蔭参りであったわけですね。
 めったにお蔭参りは起こりませんが、幕末に大流行して治安悪化の原因になり、江戸幕府崩壊の原因の一つになりました。

 なにが言いたいかというと、ことほど左様に伊勢神宮はエライ! ということであります。

 ご祭神のアマテラスはとびきり偉い神さまであるということを頭においてほしいのであります。そして、この偉い神さまの末裔が高天原から日向国(宮崎県)は高千穂の峰に降り立ち東に進んで大和朝廷を作ったということになっております。
 これが神武東征神話になっていくわけですが、そこは後ほど展開ということにいたします。

 アマテラスは、二千年の日本の歴史の中でのスーパースターであるというイメージを持っていただければ、理解が早いように思います。

 わたしの理解が正しければ、日本の最高神なのですが、女性であるのがいいですね。生まれた時から成熟した美女です。わたしの最初のアマテラスのイメージは絵本に載っていた姿でした。八百万の神さまを従えて雲の上に仏像のように立っています。表情が硬いので、ちょっと近寄りがたい印象だったのですが、後に『わんぱく王子のオロチ退治』という映画アニメを観て親近感が湧きました。美女なのですが、ちゃんと声を出して喜怒哀楽もあるのです。高天原のあれこれに気を配っていて、なんだか女性社長という雰囲気でもあります。あんなに気を配っていては大変だろうと思っていたら、『いなり、こんこん、恋いろは』に出てくるアマテラスは中小企業の女社長みたいな、ちょっとメタボなオバサンで、いろいろ経営とかの気苦労していたら、こうなるだろうなという姿で、妙に納得しました。

 次回は、三兄妹の末っ子であるスサノオに迫ってみたいと思います。

 

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誤訳怪訳日本の神話・10『イザナギの三神・ツクヨミ』

2021-01-23 06:00:58 | 評論

訳日本の神話・10
『イザナギの三神・ツクヨミ』
  

 ギリシア神話における月の神はアルテミスです。

 ゼウスの娘で、アポロンの双子の妹ということになっています。
 ギリシア神話に出てくる女神は、たいがい豊満なガッチリ美女。ミロのヴィーナスを思い浮かべればイメージできると思います。
 その豊満グラマラスな美女群の中で、アルテミス一人だけが、華奢でペチャパイの女の子なのであります。
 狩の神さまでもあるアルテミスは、ノースリーブのミニワンピで背中に矢筒を背負っています。サンダル履きで、髪はベリーショート、 とうぜん性格も、ティーンの女の子そのもの。敏捷な気分屋で、ツンデレの元祖。ジブリの『もののけ姫』に似ていると言えばイメージしていただけるでしょうか。
 こんなエピソードがあります。
 ある日、池で水浴びをしているところをリア充の若者に見られてしまいます。若者は「なんて、キュートで可愛いんだ!」と惚れてくれるのですが、反応はトンガっています。

「この覗きのリア充めええええええええええ!!!」

 一瞬で、若者を石に変えてしまいます。

 なかなか魅力的で、ゲームやカードなどに頻繁に出てきますので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。


 これに引き換え、イザナギの三人姉弟の真ん中である月讀命(つくよみのみこと)は、実に影の薄い存在であります。
 どれだけ薄いかと言いますと、父のイザナギから「夜の国を治めなさい」と言われた後、それっきり現れてこないのです。
 日本書紀で、ほんの一度だけ保食神(うけもちかみ)という穀物の神さまを殺したという記述があるだけで、古事記には出てきません。
 日本書紀よりも古い古事記に出てこないのですから、元々は無かったと考えてもいいのかもしれません。

 では、なぜツクヨミは出てくるのか?

 3という数字がキーワードかと思います。
 イザナギのマジックフライトでも述べましたが、三段階や3という数字は安定するということで、後付けされたのではないかと思います。
 もう一つは、中国から伝わった陰陽思想……思想というと大げさなのですが、記紀神話が成立した8世紀初頭では、陰陽で表現することがクールだと思われていたのではないでしょうか?
 日本人と言うのは、こういう点にとても柔軟、フレキシブルです。カッコいいと思えばなんでもありなのです。

 イザナギの三神について語りたかったのですが、とりあえずツクヨミでありました。
 

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誤訳怪訳日本の神話・9『イザナギの勝利!』

2021-01-22 06:35:54 | 評論

訳日本の神話・9
『イザナギの勝利!』
   


 千引岩(ちびきのいわ)を挟んでイザナギとイザナミの言い合いになります。

 元夫婦の神さまの言い合いなので、ただの悪態のぶつけ合いではすみません。
「このヘタレのイザナギ! こうなったら、あんたの国の人間を一日1000人ずつ殺してやるからね!!」
「な、なにをぬかす! それならなーーー! オレはがんばって、毎日1500人ずつ子どもを作っちゃうんからな!!」

 この言い合いの結果、人間の世界では1500-1000=500で、毎日500人ずつ人口が増えることになりました。

 そして、この 千引岩(ちびきのいわ)は島根県東出雲町に残っています。
 島根県は古代の昔は、大和勢力に対抗していた出雲勢力の中心で、今でも神話の故郷であります。
『怪談』を書いたラフカディオハーンを魅了し、小泉八雲として日本に帰化させたほどに魅力に満ちた地方です。宍道湖を中心とするあたりはUFOが頻繁に見受けられ、現代においても楽しい謎とおとぎ話に溢れていますが、大国主命などで触れることになりますので、ここでは深入りしないことにいたします。

 イザナギは言い合いに勝利して、人類をイザナギの呪いによる滅亡から救った後、筑紫の国(福岡県)に向かいました。

「あーー、きったねえ! 黄泉の国になんか行くから、あっちこっち穢れてしまって、かなわねー!」
 橘の小門のアハギ原(タチバナノオドノアハギハラ)というところで、身ぐるみ脱いで清めます。アハギ原は福岡市博多区住吉の住吉神社付近の他に宮崎市塩路と鹿児島県曽於市末吉町の説がありますが、いずれも住吉神社に関係があります。住吉神社については改めて触れることがあると思います。
 でもって、脱いだ服やら杖やらから、いろんな神さまが生まれますが、煩わしいので省略します(^_^;)。これらの神さまは、このあと生まれてくる大事な三人の神さまの露払いであります。分かりやすく言うと、真打が出てくる前の前座、紅白歌合戦のの前半に出てくる新人や初出演にあたると思えば正解です。
 そうして、紅白ならオオトリの森進一や松田聖子(古いなあ(*ノωノ))にあたるのが、以下の神さまです。

 イザナギが左の目を洗うと現れたのが天照大神(あまてらすおおみかみ) 右の目を洗った時に現れたのが月讀命(つくよみのみこと) 鼻を洗った時に(いささか汚いですが、ウンチやオシッコからも生まれる神さまがいるので、ま、良しとしましょう)建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)であります。天照大神が左目から生まれたのは意味があります。日本では古くから左が上位とされてきたことの現れです。右大臣より左大臣が上位ですし、明治の途中まで雛祭りの男雛は左側に飾っていました。

 イザナギはアマテラスに天上の世界を、ツクヨミに月を象徴とする夜の世界を治めさせます。

「じゃ、スサノオ……」
 スサノオの方を向くと、男の子のくせにビービーと泣いてばかりです。
「これはしばらく、オレの手元に置いておくしかないか」
 と言って育てました。
 しかし、スサノオは大の大人になって髭が伸びるようになっても泣きわめいてばかりです。
 スサノオの馬力はものすごくて、スサノオが泣いただけで、地震や嵐になってしまいます。
「こりゃ、なんとかしなきゃ、どーにもならないなあ」

「そうだ!」

 イザナギはいいことを思いつきました!

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誤訳怪訳日本の神話・8『ヨモツヒラサカ 女は怖い! その③三度のピンチ』

2021-01-21 06:40:21 | 評論

訳 日本の神話・8
『ヨモツヒラサカ 女は怖い! その③三度のピンチ』
  


 黄泉醜女(よもつしこめ)たちが、すぐ後ろまで迫ってきました!

 イザナギは髪に付けていた「黒い木の蔓つるの輪(シュシュのようなもの)」を投げました。
 それは、瞬くうちに、たわわに身を付けた野葡萄の木に変わります。黄泉醜女たちは一せいに群がって、ムシャムシャベチョベチョと野葡萄を食い漁ります。
 その間にイザナギは、いくらかの距離を稼ぐことが出来ました。

 しばらくすると野葡萄を食べつくした黄泉醜女たちが再び背後に迫ってきて、イザナギは心臓バックンバックンで生きた心地もしません。
 イザナギは、次に髪にさしていた櫛の歯をバラバラと投げました。櫛の歯はたちまちみずみずしいタケノコに変わり、黄泉醜女たちは腹ペコの鹿か熊のようにタケノコに群がりハグハグボリボリと食べ始めました。
 再びイザナギは距離を稼ぐことができました。

「え、もう食っちまったのか!?」

 黄泉の国の国境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本までたどり着き、もう少しで生者の国に戻れそうになったとき、また黄泉醜女たちは背後に迫ってきました。
「くそ! もう息が続かねーーーー!!」
 危うく死亡フラグが立って、バッドエンドになりそうになって、道端の桃の木が目につきました。
「こ、これでも食らえーーーーー!!」
 必死のパッチで桃の実三つを後ろに向かって投げつけます。

「「「「「「「「「「も、も、桃おおおおおおおおおおおお!!!!!」」」」」」」」」

 桃に食らいつき、ブシュグチャグチャグチュグチュと汁を飛ばしながら桃に食らいつきます。

「こ、これで塞いでしまうぞ……オーーーーリャッ!!!」

 イザナギは路傍にあった大きな石を持ち上げて、黄泉の国の出入り口に蓋をしてしまいます。
 この石のことを千引岩(ちびきのいわ)といいます。
 なんとか、黄泉醜女たちから逃げ延びることに成功しました。

 ヤリーーーー!!

 この呪的逃走(マジックフライト)にはキーワードがあります。
 着目の仕方でキーワードは見え方が違いますが、わたしは以下のように考えます。髪と櫛と桃の三つです。
 いずれも古くから霊力が籠っているとされています。特に桃は桃太郎の桃に通じますね。
 桃太郎は大きな桃の実から出てきますね。古くから邪気を払う力があるとされてきたことの現れでしょう。

 桃の実がエクソシストの聖水のように効き目があると言うことは、奈良の纏向遺跡から桃の実がまとまって出てきたことや、関ヶ原の戦いで徳川家康が本陣を置いた桃配山(壬申の乱で勝利した大海皇子が邪気払いに部下たちに桃を配った)の名前や、鬼を退治する桃太郎の名前に現れています。

 また、二月の節分に撒く豆は、本来は桃の代用品だと言われています。正式な豆まきの豆は神社において神主が祈祷し、黄泉平坂でイザナミが投げた桃の霊力を豆に下ろすことによって鬼退治の力が宿るものだとされています。ちょっとビックリですね。

 三という数字。

 イザナギは逃走中三度のピンチに陥り、それを乗り越えました。最後に投げた桃は三つでした。
 三には、特別な意味があったようです。
 三というのは座りの良い数字です。例えば、三脚。二脚では立ちませんし、四脚では、よほどつり合いがとれないとガタガタになります。机がガタついて、脚の長さを微調整しなければなりません。
 三脚は、床や地面がデコボコしていても、きれいに安定して置くことができます。
 いろんなものが三または三の倍数の数字でできていますが、機会があれば触れるということにしておきます。

 黄泉醜女たちが食べ物に釣られて、イザナギを殺し損ねるということは注目していいと思います。

 黄泉醜女はゾンビなのですが、バイオハザードを思ってください。ゾンビたちが葡萄やタケノコや桃を目の色変えて食らいついている姿と言うのは、どこかユーモアがあります。一頃流行った大食いタレントさんが、ほとんど女性であったこと等と合わせて考えれば、面白い文化論になるかもしれません。

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誤訳怪訳日本の神話・7『ヨモツヒラサカ 女は怖い! その②黄泉醜女』

2021-01-20 06:08:35 | 評論

訳 日本の神話・7
『ヨモツヒラサカ 女は怖い! その②黄泉醜女 』  


 石室の中のイザナミの腐り様は簡単に言えばゾンビですなあ。

 神さまのゾンビなので、体のあちこちに雷が付いて稲妻が走っていて、キモイというよりは危険であります。

「見たなあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「イ、イザナミ……(;'∀')」

「あれだけ覗いちゃいけないって言ったのにいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 ゾンビを相手に話し合いもなにもあったものではないので、イザナギはひたすら逃げます。
 イザナミは黄泉軍(よもついくさ=死の世界の軍隊)と黄泉醜女(よもつしこめ=死の世界のブス)たちに追いかけさせます。
 まあ、ゾンビの大群です。
 ちなみに、ここに出てくる黄泉醜女は、日本の文献史上初のブスであります。
 
 このくだりの主題は、とても恐ろしいものが追いかけてくるということです。今の時代ならゾンビとかゴジラになりますが、記紀神話の昔では女であります。

 女は怖いというメッセージの他に、女は強いというメッセージがあるように思います。

 日本は、他のアジア諸国に比べ女性の力が強かった……と言うと疑問に思われるでしょうか?

 話が逸れるようですが、夫婦別姓から考えてみたいと思います。
 結婚して女性の苗字が変わるのは差別だと言う考えがあります。その論拠に「中国や朝鮮半島では夫婦別姓だぞ!」というご意見があります。
 たしかに姓だけを考えれば別姓なので、中国や半島の方が進んでいるように思えますが、事実は真逆です。
 中国や半島の古代では、女性は結婚しても、極端な言い方「家族とは認められない」のです。だから姓は変えられないのです。
 日本では鎌倉時代あたりまでは女性の相続権が認められていました。荘園や領地の相続に女性が名を連ねていることもありました。

 昔は「三下り半」で、女は離婚させられたという言い方がされますが、これも逆の言い方ができます。
 男は離婚する場合「三下り半」を女性に渡さなければならなかったという方が実際であったように思います。
 もちろん、今の時代から比べると女性の地位が低かったのは事実です。
 が、その時代の世界的な状況の中で見ると、女性の地位は高かったように思います。幕末にやってきたペリーなどの外国人たちも「他のアジア諸国に比べると女性の地位が高い」と評しています。

「三下り半」に戻ります。

「三下り半」を出す男は、女性に相応の財産分与をしなければなりませんでした。また、三下り半があれば、きちんと離婚したということで、その後女性は再婚することができます。
 つまり、離婚するにあたっては、男も、それなりのことを女性にしてやって、その後の女性の自由を保証する、そのシルシが「三下り半」であったわけです。
 一言で言えば「昔の日本は、それほどひどくはなかった」ということと「女性は、けっこう元気だった」ということであります。

 日本の中世までは「うわなりうち」というものがありました。

 亭主の浮気が分かった時、正妻は浮気相手の住まいまで行ってボコボコにする権利がありました。
 歴史上有名なものでは源頼朝があげられます。頼朝の浮気を知った北条政子は武装して侍女たちを引き連れ「うわなりうち」をかけ、家をむちゃくちゃに壊しただけでなく、女を鎌倉から追放、頼朝はなにも反論できませんし、社会も「政子が正しい」と判断しました。

 だから、イザナギを追いかけるのは黄泉醜女たちなのです。黄泉軍は最初に出てくるだけで、イザナギの逃走中は黄泉醜女ばっかりです。
 足の速さだけでは黄泉醜女からは逃げられません。

 この、イザナミとヨモツシコメの恐ろしさは、アニメの『ノラガミARAGOTO』に今風にうまく描かれています。

 イザナギは三つのマジックを使って逃げおおします。マジックフライトと言いますが、次項で触れたいと思います。

 

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誤訳怪訳日本の神話・6『ヨモツヒラサカ 女は怖い!①』

2021-01-19 06:36:23 | 評論

訳日本の神話・6
『ヨモツヒラサカ 女は怖い! その①』
  


 母殺しのホノヤギハヤヲの神を切っても、イザナギの気持ちはおさまりません。

 ま、切っても数が増えるだけということもありますが、とにかく、最愛の妻を失った気持ちはおさまりません。
 で、イザナミが逝ってしまった黄泉(よみ)国へ会いに行くことにしました。黄泉国とは、今の島根県の東部にあたりますので、古代において大和政権と並んで力があった出雲の国の説話の影響があるとも考えられます。

 でも現世と死者の国が地続きであるというのは、仏教伝来以前の日本人の死生観を知るうえでもおもしろいことです。
 日本の古代の文化が残っているとされる沖縄では、死者は海のかなたのニライカナイに行くとされ、けして地獄極楽でも天国でもありません。

 黄泉国についたイザナギは、洞窟の中から出てきたイザナミに、こんな話をします。
「なあ、カアチャン。まだ国生みも神生みも終わってないから、戻ってきてくれないか」

 素直じゃないですね。

「カアチャン死んで悲しくて、寂しくて、どうもなんねえ。お願いだ、愛してる! 帰って来てくれ!」

 そんなノリでいけばいいのに、国生み神生みのためと理屈をつけてしまいます。男は神話の時代から言い訳がましいのであります。だからイザナミは、こう答えます。
「あんたね、来るの遅いのよ。あたし、もう黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)しちゃったもんね」
 黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)とは、黄泉国の食べ物食べたから、簡単に戻れないという意味のことを言います。

「でもさ、そこんとこなんとかならないかな~」

「分かった。んじゃ黄泉国の神さまと話しするから、それまで絶対覗いちゃだめよ」

 鶴の恩返しみたいなことを言って、イザナミは洞窟の奥に消えます。

 でも、待てど暮らせどイザナミは出てきません。

「……ちょっとぐらいなら覗いてもいいだろ~」

 こういう設定はギリシャ神話から、『鶴の恩返し』まで、世界中に転がっている話です。
 イザナギは櫛の歯を一本折って、それに火を灯して狭い洞窟の通路を進んでいきます。そして、ひときわ大きな石室にたどり着くと、石のベッドの上に腐りはてたイザナミが横たわっています。

 ギョエーーーーーーーー!!

 と悲鳴をあげたかどうかは分かりませんが、イザナミはゾンビになって起き上がります。
「見たなああああああああ、あれだけ覗いちゃいけないって言ったのに!」

 個人的には、イザナミは理不尽だと思います。

 覗くなというのは、相手の好奇心をかき立てる言葉です。で、イザナミも一応神さまなんですから、おおよその待ち時間を言っておくべきでしょう。
 なんとなく学校の無期停学を連想します。無期なので「期限はない!」と生指部長は言いますが、担任は、こっそり「まあ、お前次第やけど、二週間ちょっと」と、こっそり言います。中には無期というだけで腰砕けになってしまう子がいるからです。

 脱線しますが、むかしこんなことがありました。喫煙が見つかってしまった三年生が居ました。秋の半ば過ぎで、もう就職先も決まっていました。
「お前の、就職は取り消し!」
 と、生指部長は言います。信じられないことに、担任はなんのフォローもしませんでした。悲観した生徒は、帰り道電車に飛び込んで死んでしまいました。
 人間と言うのは期限というか希望と言うか、目標がないと辛抱できないもののようです。

 この神話は古事記に基づいています。古事記は言うまでも無く、712年に太安万侶が稗田阿礼から聞き取ったものを文章化したもので、8世紀、あるいは、それ以前の風俗や習慣が反映しています。

 イザナミが通った通路は、6・7世紀に流行った横穴式古墳の構造を感じさせます。通路は石室に至る羨道(せんどう)を思わせます。奥の広い部屋は横穴式の石室そのものです。古墳=死の世界というイメージがそのままだと思います。

 で、起き上がった蛆虫だらけのゾンビイザナミが、どうしたか、次回に続きます。

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誤訳怪訳日本の神話・5『イザナギ・イザナミの神生み』

2021-01-18 07:30:29 | 評論

訳日本の神話・5
『イザナギ・イザナミの神生み』
          


 日本の八百万(やおよろず=たくさん)の神さまの総元締めは伊勢神宮の天照大御神(あまてらすおおみかみ)であります。

 ヨイショっと、ここで自分に掛け声を掛けます。


 なんちゅうか……アマテラスが生まれて、神さまの総元締めになるには、むかしジブリの宮崎駿らが映画のアニメ『腕白王子のオロチ退治』を書いた話をクライマックスとして、そのあとのエピローグで、さらにもう一本長編アニメが作れるぐらいの質と量があります。

 今日は、とりあえずイントロのところだけ語ってみたいと思います。

 国々を生み終つて、イザナギ・イザナミは、さらに神々を生みます。
 これはキリスト教で万物は神がお創りになったということとモチーフは一緒です。

 とりあえず、生まれた順に並べてみます。はまずオホコトオシヲの神、次にイハツチ彦の神、次にイハス姫の神、次にオホトヒワケの神、次にアメノフキヲの神、次にオホヤ彦の神、次にカザモツワケノオシヲの神。そんで、次に海の神のオホワタツミの神、次に水戸の神のハヤアキツ彦の神とハヤアキツ姫の神を生み。オホコトオシヲの神からアキツ姫の神まで合わせて十神。
 ヨイショ! 
 でもってハヤアキツ彦とハヤアキツ姫が河と海とでそれぞれに分けて生んだ神は、アワナギの神・アワナミの神・ツラナギの神・ツラナミの神・アメノミクマリの神・クニノミクマリの神・アメノクヒザモチの神・クニノクヒザモチの神。
 アワナギの神からクニノクヒザモチの神まで合わせて八神です。次に風の神のシナツ彦の神、木の神のククノチの神、山の神のオホヤマツミの神、野の神のカヤノ姫の神、シナツ彦の神からノヅチまで合わせて四神です。このオホヤマツミの神とノヅチの神とが山と野とに分けて生んだ神は、アメノサヅチの神・クニノサヅチの神・アメノサギリの神・クニノサギリの神・アメノクラドの神・クニノクラドの神・オホトマドヒコの神・オホトマドヒメの神。アメノサヅチの神からオホトマドヒメの神まで合わせて八神です。
 次にトリノイハクスブネの神(天あめの鳥船とりふね)。そんでオホゲツ姫の神を生みます。

 ああ、長い……そして、最初の大転換。

 次にホノヤギハヤヲの神(ホノカグツチの神)。

 この子どもの神さまは、とんでもない火の神さまで、生んだイザナミは御陰(みほと……わかりますか、よく東京都のマークによく例えて描かれる女性のデルタ地帯ですな)が焼かれて病気になり。イザナミの反吐でできた神がカナヤマ彦の神とカナヤマ姫の神、ウンコでできた神はハニヤス彦の神とハニヤス姫の神、オシッコでできた神はミツハノメの神とワクムスビの神。この神の子はトヨウケ姫の神。こんな具合でイザナミの命は、ジブリ映画でいえば、近いところで『風たちぬ』の里見菜穂子、古いところでは『ハウルの動く城』のソフィー、ディズニーで言えば『アナ雪』のエルサ女王がクソまみれ反吐まみれで子どもを産んだのと同じ描写になります。

 こんなアニメを作ったら、さすがのジブリや京アニでも客はそっぽを向くでしょう。

 これは母神が苦悩の果てに神々を生んだことにより、お産の大変さを今に伝えるとともに、さらに先に用意されているアマテラスの出現を荘厳するための前奏曲です。
 でもって、火の神を生んだため、ついに亡くなってしまいます。

 しかし、下ネタというかスカトロじみてばかリというのは、子どもの感性でもあると思います。子どもと言うのは、そういう話が好きですね。ちょっと前『うんこドリル』というのが流行ったことがありました。子どもが苦手とする算数をウンコを入れることでとっつきやすくしたものだったと思います。日本民族も黎明期の日本は、人手例えると子どもの時代に当るのかもしれません。

 そして、これらの神さまは、ただのエキストラではなく、古事記・日本書紀に時々顔を出します。日本が多神教であることの萌芽がここにあります。

 一つだけ例を。ホノヤギハヤヲの神=火の神さまは、怒ったイザナギによって切られます。ところがホノヤギハヤヲの神は切っても切っても分裂してあちこちで山火事などをおこします。風の強い乾燥した日など、自然に森や山が火事になることがあります。そういう自然現象の畏怖から生まれたものでしょう。

 次回は、このあたりから繋いでいきたいと思います。

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誤訳怪訳日本の神話・4『日本列島を生む!……その③』

2021-01-17 06:34:18 | 評論

訳 日本の神話・4
『日本列島を生む!……その③』
     


 書き落としましたが、淡路島を生む前にイザナギ・イザナミは淡島を生んでいますが、この子も具合が悪く流されています。

 で、早とちりでイザナギが「これは、女子から声かけたんでまずかったんだぜ。今度はオレの方から声かけて、やり直してみよう!」と書きましたが、二人は、それまでに天上の神さまにお伺いをたてます。ただ古事記には天の神さまとあるだけで、具体的には書いていません。
 まあ、物語的には、その後の淡路島以下の島々を生む描写を際立たせるためのハッタリ的描写なんだと言われています。

 しかし、こういうハッタリにこそ、時代の背景や民族性が出るものです。

 天界の神さまは、鹿の肩甲骨を持ってきて、これを火で焼いて、そのヒビの入り方で占います。日本史の授業で古代の占いの方法で習う「太占(ふとまに)」が、まさにこれです。そして「女から声をかけたのが良くない」という卦が出ます。
 ここから、古代の占いの方法と、それが広く一般的に行われていたこと。そして、この古代においても女から男に声を掛けるのは少しハシタナイと思われていたことなどがうかがわれます。

 で、ハッタリの民族性ですが、従軍慰安婦や南京大虐殺の『日本軍の蛮行』が日本的ではなく、ひどく水滸伝などに出てきそうな大陸的な残虐性で表現されていることを思い浮かべます。日本人は人を殺すのに、あまり残虐な方法はとりません。大概一気に命を絶っています。

 中世から近世にかけて「のこぎり引き」という刑法がありました。

 罪人を首まで土中に埋め、のこぎりで、みんなが一切りずつやっていくというのですが、実際は手馴れた処刑者が一気に頸動脈を切ったようです。日本の中世というのは、例外的に人の殺し方にバリエーションがあった時代ですが、大陸のそれには及びません。
 江戸時代も形式的には「のこぎり引き」は残っていましたが、ほとんど形式だけで、実際に生きた人間の首をのこぎりでひけるものではありません。実際はのこぎりでひくものがおらず、罪一等減じて島流しなどですませています。
 脱線の脱線ですが、江戸時代酔っぱらいが、その気になって罪人の首をのこぎり(形式化していて、木製でした)で一ひき。
 罪人が悲鳴を上げたので、番所の役人が慌てて出てきて保護したという記録があります。

 脱線ついでに拷問の話。  「蝦責め」の画像検索結果

 時代劇を見て居ると、しょっちゅう拷問をやっていますが、実際に拷問をするのは江戸では老中、大坂では大阪城代の許可がなければできなかったようです。
 こんな長閑な話が残っています。
江戸末期に大泥棒が捕まり、仲間の名前を吐かせるために、海老責めという拷問にかけることになったのですが、役人の誰もやったことがありません。そこで記録を調べると50年前にやったことがわかり、もう隠居していた当時の役人を呼び出して、見学のために奉行所の役人が大勢集まったという記録があります。うる覚えなのですが、老役人も忘れてしまい、ああでもない、こうでもないとやっているうちに、たまらなくなった罪人は白状したようです。

 本題に戻ります。

 淡路島を生んだ後、四国、九州、本州などの島々……本当は、本州などは大倭豐秋津島(おおやまととよあきつしま)別命アマツミソラトヨアキツネワケなどと言いますが、とてもややこしいので、総称の大八島としておきます。
 八はたくさんという意味で大八島、八島は日本の美称にもなっており、日露戦争の前に、どうしても強力な海軍力が必要だということで、イギリスに発注して八島という戦艦を建造しています。
 旅順港の閉鎖に他の艦艇共々使われましたが、1904年ロシアの機雷に触れて僚艦初瀬と共に沈没しています。この時の機雷は、日本艦隊の動きを観察していたロシア海軍の頭のいい将校が「日本艦隊は、毎日同じコースを走ってくる」ことに気づいて、試しに仕掛けたら大当たりしたという背景があり、悲しいまでの日本人の律義さと規則性が出ています
 ちなみに、この日は5月15日で、後の5・15事件も、この日で日本にとっては厄日であります。

 で、わたしの誕生日も同月同日で、そのせいか、もうひとつ運がよくありません、嗚呼嘆息!

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誤訳日本の神話・3『日本列島を生む!……その②』

2021-01-16 05:38:46 | 評論

 日本の神話・3
『日本列島を生む!……その②』
     


☆オノゴロジマから淡路島

 イザナギ・イザナミの両神は、前回説明にもたついた矛で、サラダオイルにクラゲがプニプニしているところをコウロコウロ(昔の擬音は面白いですなあ)とかき混ぜて、矛を引き上げ、引き上げた矛から滴った一滴がサラダオイルにクラゲの所に落ちて、オノコロジマができました。

 なんとなく『ひょっこりひょうたん島』を思わせる名前ですね。

 そこに大きな柱をお建てになって、その柱をそれぞれ逆に回って出くわします。ここからが世界にも稀な即物的でおおらかな性描写になります。
「いやあ、ナミちゃんおひさ~! ところでさ、ナミちゃんの体ってどうなってんの? 男子って平気な顔しながら、とっても興味あんだよね(^▽^)/」
「ウフフ、あたしはね、一か所未完成で、溝になったままのところがあんのよ(n*´ω`*n)」
「え、そーなんだ!」
「そういうナギの体こそ、どうよ?」
「オレね、オレは完成しすぎて、余ってるとこがあるんだ。ね、だからさ、ナミちゃんの未完成で溝になってるとこに、オレのさ余っちゃってるとこ差し込んだら、国なんか出来ちゃうんじゃないかなあ(#^0^#)」

 なんというストレート! 

 この部分を訳して外人さんに言うと、みなさん嬉しそうに笑われます。外国ではキリスト教ができるまで、初めての人間はオオカミの子であったり、大きな鳥の卵から生まれたり(一種のトーテミズム)で、ごまかしております。聖書では、五日半かけて神が大地や自然を創ったあと、泥をこねあげて、自分の姿に似せてアダムが作られています。こんなアッケラカンと性描写しているのは、日本の神話ぐらいではないでしょうか。神代の日本人は大らかだったのですなあ(^▽^)/

 脱線しますが、日本には、その昔には歌垣(うたがき)という風習がありました。

 春だったか秋だったかのお祭りの夜に、ファイアーストームのように真ん中に火を焚いて、その周りを若い男女がハッチャケて歌い踊り、その間に気の合った男女が一組二組と抜けていき、そこいらへんの薮の中でイザナギ・イザナミと同じ行為に及びます。万葉集だったか日本書紀だったかに、こんな歌があります。

「小林(おばやし=薮)に 我を引入れて せし人の 面(おもて)も知らず 家も知らずも」

 実に大らか、そのものです。これ以外にも夜這いの習慣が、歴史的に、ごく最近と言われる明治期までありました。年頃になった娘は部屋を一つあてがわれ、毎夜村の若者がこっそり訪れていたすのです。そのうちに娘は目出度く妊娠します(今なら大問題ですが)両親は大喜びで娘に聞きます。
「で、父親は、いったい誰なんじゃ?」
 すると、娘はアッケラカンと指を折ります。
「えと、与作に吾作に喜六に清八……それから……」
 名前を挙げられた男子は、全員身に覚えがあるので、女の子の家に呼ばれます。で、娘はルックスや体格、人柄がアドバンテージで、絶対的な指名権があります。

 西南戦争(明治10年)の時、夜中に集団で陣地移動するときに、西郷隆盛が、あまりに真剣な移動に、思わず、こういいます。

「まるで夜這(よべ)のごたる」

 移動していた真剣な薩摩軍のあちこちから、忍び笑いの声がしたそうです。西郷の人柄を物語る有名なエピソードですが、当時でも夜這いが一般化していた証であろうと思われます。

 本題にもどります。

「それ、いよねえ(〃´∪`〃)。ね、テンション上げるために、もう一回りして、あたしの方からコクっちゃうから🎵」
 そう言って柱を回って、イザナミの方からコクります。
「う~ん、マブイ男じゃん。よろしくやっちゃおうよ!」

 こういうノリでいたして生まれた子が水蛭子(ひるこ)という手足の骨のない子で、葦の船に乗せられて流されてしまいました。

「これは、女子から声かけたんでまずかったんだぜ。今度はオレの方から声かけっから、やり直してみよーぜ!」
 と、二柱の神さまはお励みになり、今度は淡路島を生みました。だから、今でも淡路島には「日本最初の島だ!」という精神的な文化遺産があり、島の誇りになっています。

 水蛭子のことが気にかかりますが、水蛭子は、その後流れ着いたという伝承が各地にあり、恵比寿信仰のもとになったりしました。

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誤訳 日本の神話・2『日本列島を生む!……その①』

2021-01-15 07:49:49 | 評論

誤訳 日本の神話・2
『日本列島を生む!……その①』   
 


 

 第一回で書いた天の神さまたちがイザナギ・イザナミに、こう言いました。

「このサラダオイルのクラゲのようなものをなんとかして国を創っちまえよ!」

 なんとも無茶なことをいいますが、さすがは初めて登場した実体の有る神さま。神さまたちが立派な矛をくれたので……。

 と、ここで最初の疑問。矛とはなんぞや?

 矛盾の矛にあたるものですが、案外これが分からない。わたしも大学で聞いた時、正直分からなかったのですが、あまりに原始的な質問なので、控えた覚えがあります。
 で、教える立場になって、初めて調べました。

 槍と同様な武器なのですが、外見上では矛は柄との接合部が袋穂とよばれるソケット状になっています。いわば帽子ですね。槍は茎(なかご)を差し込んで固定する方式、人に例えると、頭のてっぺんに差し込んだ角みたいになっています。
 使い方も違います。矛には両側に刃が付いていて、突く以外に切るという刀に似た使い方があり、基本的に右手で持って左手には楯を持ちます。つまり楯とセットの武器で、ここから矛盾という言葉が生まれるわけで槍楯(そうじゅん)と言わないのは、このへんの事情かと思われます。また反面断面積が大きいため突く力は槍には及びません。見かけは立派ですが、槍ほどの力は無く、鎌倉時代末期に冶金技術の進歩によって槍が登場すると、あっさりとって替わられ、神社などの儀式用に一部が残るだけになりました。
 ちなみに、この矛先と柄が離れるようになっていて、矛先に紐を付けておき、仕留めた獲物を回収できるようにした漁具を「銛」といいます。昭和の昔捕鯨に対して世界がイチャモンを付けなかったころ南氷洋の捕鯨船の捕鯨砲に付いていたのがこれの特大で、給食にクジラのフライが出てくるたびに、映画のニュースなどで見た捕鯨砲の砲手の勇ましさを実感したものです。

 近くはファイナルファンタジー10で、ビサイドからキーリカに行く途中シンが現れ、乗っていたキーリカのブリッツボールの選手が、船からシンに向かって撃つのが、この捕鯨砲みたいなやつで、ロープがついており、船は、このロープに引っ張られ、危うく沈没の危機に陥ります。

 こういう話を授業では「脱線」と言いましたが、こういうところにリアリティーを持つか持たないかで、授業のダイナミズムが変わってきます。
 例えば1543年に鉄砲が種子島に鉄砲が伝来したときも、鉄砲の作り方を説明します。刀は打つといいますが、鉄砲は「張る」です。鉄の棒の周りに鉄の長細い板を熱して飴のように張りつけ、これを何重にも重ねて。最後に油に漬けて一瞬で冷やし、収縮率の高い心棒の鉄を抜いて銃身を作ります。
 ただ尾栓(銃身の尻に突っ込む栓。これがしっかりできていないと、数発撃っただけで尾栓が銃撃手の顔を直撃して、銃撃手の命を奪ってしまいます)が分かりません。
 あくる1544年にふたたび種子島にやってきたポルトガル人は、本物そっくりな鉄砲を日本人が作ったことにタマゲますが、尾栓を知らない日本人にニンマリ。大金を吹っ掛けて製法を教えます。日本人がネジを知った最初です。
 正解は、なんのことはない。ただのネジだったのです。日本人の技術の高さと、技術への偏見のない好奇心、技術への熱意を物語る話です。技術立国日本の姿は、この時代からあったものなんですね。

 ここで字数がいっぱいなので、国生みの本題は次回のお楽しみ……。

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