大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

誤訳怪訳日本の神話・31『あの鏑矢を拾ってこい』

2021-03-23 09:12:49 | 評論

訳日本の神話・31
『あの鏑矢を拾ってこい』    

 

 

 スサノオの意地悪も三回目になります。

 最初の二回はオオナムチを岩屋に閉じ込め、蛇やらムカデの大群に襲わせようしますが、スセリヒメが身にまとっていた領巾(ひれ)を貸してくれて蛇もムカデも追い払うことができて難を逃れることができました。

 身にまとっているものが妖を追い払う力があるというのは、イザナギが黄泉の国でイザナミの手下である黄泉醜女(よもつしこめ)の追撃をかわす時にも使っています。機会があれば、どこかで触れ直してみようと思いますが、取りあえずは先に進みます。

「おい、オオナムチ、今度はこれだぞ」

 スサノオは自慢の弓を取り出し、弓弦に鏑矢(かぶらや)をつがえて、ヒョーーーっと放ちます。

 鏑矢とは、矢じりの根元にイチジクの実ほどの木のパーツが付いているものです。

 このパーツには二カ所ほど穴が開いていて、弓が飛翔している間、空気が吹き込んで笛のような音がします。その音が、ヒョーーーって感じになります。見かけは、お正月の破魔矢に似ています。

 昔の戦には作法がありました。

 敵味方、数千数万の軍勢が対峙すると、いつ戦闘が始まるか分かりません。

 それで、大将の命令で代表が敵の前面に出て、互いに戦闘開始の宣言をします。

 この宣言が終わると、次に双方の陣から撃ち込まれるのが鏑矢という訳です。

 まあ、試合開始のホイッスルですなあ。

 鏑矢が鳴り響きますと、我も我もと郎党を引き連れた騎馬武者が走り出し、戦場のあちこちで個人戦が始まります。

「やあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは……」

 堂々名乗りを上げてから戦います。

 まあ、鎌倉時代いっぱいまでくらいの美しい習慣でした。

 ちゃんと名乗って手柄を認めてもらわないと、あとの論功行賞で手柄の証明ができないという理由もありますが、なんともフェアプレイの精神ではあります。

 このフェアプレイの精神が1274年の元寇で裏目に出てしまいます。

 名乗りを上げると、元の方から数十人が飛び出してきて、いっぺんに絡めて討ち取ってしまいます。

 鏑矢が、ヒョーーーーっと音を立てて飛んでくると、アハハハと笑われてしまいます。

 元軍の戦いに作法などはありません、勝てばいいので、一騎打ちもしませんし、鉄砲(のちの鉄砲ではありません)の音で脅かすし、毒矢だって撃ってきます。

 日本の武士も学習しました。

 こいつらにルールは通用しないと思うと、もっぱら夜襲をかけるようになります。

 元軍は夜襲が苦手です。元軍は舞台単位の集団戦闘です。暗闇でやると収拾がつかないので、一般に夜戦はやりません。

 その常識外れの夜戦に元軍は恐慌をきたし、たいていメチャクチャに負けてしまいます。

 そこで、元軍は、陽が落ちると沖の軍船に戻って兵力の損耗を回避します。

 大ざっぱに言いますと、そうして船に戻ったところに神風(台風)がやってきて二度の日本遠征に失敗したということでしょう。

 夜襲は、日本のお家芸になり、旧日本軍も夜襲を得意としました。

 余談の余談になりますが、戦後三千人近い日本兵が復員せず、東南アジアの各地に残りました。

 ベトナムやインドネシアが宗主国に抵抗し、この旧日本兵たちは教官として招かれ、現地の軍隊を鍛え、しばしば夜襲を仕掛けて、宗主国軍を壊滅させました。

 実に、日本武士の夜襲はアジア諸国の独立にまで貢献したわけです。

 あ、脱線しすぎました(;^_^A

 スサノオが射ったのは、そういう夜戦が主力になる以前の麗しき鏑矢なのですが、射ったあとにオオナムチに命じます。

「おい、オオナムチ、あの鏑矢を拾ってこい」

 簡単な命令ですが、そこにはスサノオの腹黒い仕打ちが秘められていたのでありました……。

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誤訳怪訳日本の神話・30『スサノオは岩屋が大好き』

2021-03-16 14:38:52 | 評論

訳日本の神話・30
『スサノオは岩屋が大好き』    

 

 

 娘のスセリヒメが一目ぼれしたオオナムチにスサノオは試練を与えます。

 試練と言うよりは……よく言って嫌がらせ。現代の感覚ではイジメですね。

 オオナムチは、ヒョロッとした優男なので、イジメてやれば逃げ出していくと思っていたのでしょう。

「蛇の岩屋で一晩寝てろ」

 一匹や二匹の蛇ではありません。何千何万という数の蛇です。ひょっとしたら毒蛇も混じっているのかもしれません。その中で寝てろというのは――すぐに目を回して逃げるだろう。いや、言っただけで逃げ出すかもな――ぐらいに舐めていますし、悪意があります。

「はい、わかりました」

 オオナムチは素直に返事します。

 ヤソガミたちに大荷物を持たされても、手間山で赤猪を掴まえてこいと言われても「うん、分かった」と微塵も疑いません。手間山では騙されて真っ赤に焼けた大岩の下敷きになって焼け死んで、母のサシクニワカヒメは気も狂わんばかりに嘆き悲しみますが、当の本人は「あ、生き返った」ぐらいの感覚でした。

 どこか鈍いのか、人がいいのか、この鈍さとも人の好さというものがヤガミヒメにもスセリヒメにも魅力だったのかもしれません。

「ねえ、この領巾(ひれ)を使って」

 スセリヒメは身にまとっていた領巾(ひれ)をオオナムチに渡します。

 領巾(ひれ)とは、古代の女性が首にかけていたマフラーとショールの間ぐらいの装身具の布です。

 これは蛇の領巾で、一振りすれば蛇たちは逃げ出して、オオナムチは何事もなくグッスリと眠れました。

 

「くそ、今度は蜂とムカデがいっぱいの岩屋で寝てろ!」

 

 スサノオは岩屋が好きです。人をイジメるのには岩屋が一番だと思っているようです。

 父のイザナギが死んだイザナミを追っていった黄泉の国の長大な岩屋ですし、姉のアマテラスが籠って地上も天上も真っ暗闇にしたのは、天岩戸という岩屋に籠ったからです。

 どうも、スサノオの深層心理には岩屋=怖いものという図式があったようです。

 昔の子どもは悪さをすると押し入れとか倉とかに閉じ込められました。

 自分から入るぶんには面白い閉鎖空間なのですが、閉じ込められると恐ろしいものです。

 わたしたちが子どものころ、空き地などに壊れた冷蔵庫が捨ててありました。隠れん坊をやっていて、自分から冷蔵庫の中に入って、見つけられることもなく、自分から出ていくこともできずに窒息死してしまうという事故が、時々ありました。

 トイレの花子さんが怖いのも、あの暗くて狭い岩屋のごとき個室に入っているからなのかもしれません。

「うちのお父さんは岩屋しか能がないから、対策は万全よ(^▽^)/」

 そう言って、また別の領巾を貸してくれ、無事に一晩を過ごすことができました。

 古事記には書いていませんが、おそらくは娘が手助けしたことを知ってはいたんでしょうねえ。

 目に入れても痛くない娘ですから、スセリヒメを非難することはしません。

 その代わり、今度は三度目の正直とばかりに、はっきりと殺意を持ってオオナムチに命じます……

 

 

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誤訳怪訳日本の神話・29『この人と結婚する!』

2021-03-10 09:12:33 | 評論

訳日本の神話・29
『この人と結婚する!』    

 

 

 スサノオは気に入りません。

 なんせ、一人娘が、どこの馬の骨とも知れない男と結婚したいと言うのです!

 男は、スサノオから数えて五代目(六代目?)の子孫ではありますが、父親にとって娘が好きな男と言うのはカタキ同然ですなあ。

「お父さんはな、そんな下衆な気持ちで言ってるんじゃないぞ。このオオナムチという若造は主体性がないくせに、女には目の無いスケベエ野郎だからだ!」

「ひどいわ、お父さん! なんで、会ったばかりのオオナムチを悪く言うのよ!」

「お、おまえ、こいつは、たった今、うちの家の前に来たばかりの奴だぞ」

「そうよ、でも、わたしには分かるのよ、女の直感。お父さんこそ、会ったばかりのオオナムチをひどく言わないで!」

「俺は経験から言っとる、こいつはやめとけ」

「なんでよ!」

「こいつは外面いいだけの優男だ。言い寄って来る女ならなんでもありにくっついてしまうヒッツキ虫みたいなやつだ、苦労するのは目に見えている。やめとけやめとけ!」

「ひどい、なにを根拠に!?」

「おい、アシハラノシコオ」

「そんな名前で呼ばないで、この人の名前はオオナムチよ!」

「こいつがオオナムチならオマエハムチだ! よっく聞けよ、こいつには、すでにヤマガミヒメって嫁さんがいるんだ。ヤマガミヒメは兄のヤソガミどもを袖にして『わたしの夫は、この人です』って惚れ方だったんだぞ、その新婚間もないヤマガミヒメをほったらかしてくるような奴を信用できるか!」

「あ、お言葉ですけど……」

「なんだアシハラノシコオ!?」

「おれ、兄貴たちに殺されそうになって、てか、殺されたんすよ。お袋のサシクニワカヒメが一生懸命祈ってくれて、なんとか生き返って、そいで、これはヤバイってんで木の国に逃げたんすけど、しつこい兄貴たちは、すぐに追いついて来て、木の国のオホヤビコの神が、この堅州国(かたすくに)に逃げろって、そういう指示に従って、やってきたら、このスセリヒメさんが……ね、これって……」

「そ、運命よねえ(n*´ω`*n)」

「あのなあ、そのダラダラした喋り方も気に入らねえが、その主体性のない人任せってところが、父親としては、めっちゃ心配なんだよ」

「お、お父さんの主体性って、ただのやんちゃ坊主の我がままだったじゃない! 高天原メチャクチャにして、アマテラスの伯母さんこぼしてたわよ!」

「そんな、昔の事を引き合いに出すな」

「お父さんだって、無茶やってきて、人の事言えないってゆーのよ!」

「そうだろうけど、オレは、ヤマタノオロチとかやっつけて、試練を潜り抜けて帳尻は合わせてきたぞ」

「オオナムチだって、ヤソガミたちの試練を潜り抜けて……」

「そんなもん、ほんの序の口……そうだ、このスサノオが試練を与えてやる。それを乗り越えられたら……考えてやらんこともないぞ」

「お父さん、目が怖いよ……」

「どうだ、アシハラノシコオ……」

「あ、いいっすよ」

「ちょ、オオナムチ!?」

 オオナムチの試練が始まった……。

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誤訳怪訳日本の神話・28『スセリヒメ』

2021-03-04 09:53:57 | 評論

訳日本の神話・28
『スセリヒメ』    

 

 

 オホヤビコが示した根の国堅州国(ねのくにかたすくに)というのがよく分かりません。

 黄泉の国のまだ向こうという設定なっているので出雲のどこかなのでしょうが、取りあえずはスサノオがクシナダヒメと所帯を持ったところなのでしょう。

 オオナムチがたどり着いたところは、スサノオの宮殿です。

「すみませ~ん、木の国のオホヤビコの紹介でやってきましたオオナムチと言います、だれか居ませんかあ?」

 門の外から声をかけますと、なんとも可愛くて魅力的な女の子が出てきます。

 スセリヒメであります。

 スセリビメと書くことが多いのですが、ヒメを濁って発音するのは趣味に合いませんのでヒメとします。

 

 脱線しますが、古代において『女』には二通りの発音がありました。

 オミナとオウナであります。

 オミナは若い女性を指します。オウナは年配の女性を指します。

 オミナとは、なんとも優しい発音ですね。花の名前に『女郎花』がありますが読み方は『おみなえし』であります。ちかごろ自生のものは減ってきたようですが、昔はスミレのように日本の山谷にはふつうに繁茂していた可憐な草花だそうです。仲間に『男郎花(おとこえし)』というのがあることを発見して一人で喜んでいました(*^▽^*)。下の歌詞をご覧ください。

 

 ましろき富士の けだかさを こころのつよい盾として 

 御国に尽くす女等は 輝く御代の山桜

 地に咲き 匂う 山桜

 

 昭和11年に作られた『愛国の花』の一番の歌詞です。

 二行目の『女等』はオミナラと読みます。

 意味的には女達と、女を複数形で言っただけなのですが、オンナラと発音したらぶち壊しですね。

 オミナラと発音すると、なにか憧れとか尊敬、親しみを感じてしまうのですが、変でしょうか?

 ちなみに『愛国の花』は戦後七十五年を超える今日でも東南アジア各国で愛唱されていると言います。インドネシアの建国50周年記念の国民行事で、現地の方々が合唱されているのをYouTubeの動画で観た時には、ちょっと恥ずかしいほど感動しました。

 つまり、そういう趣味というか感覚で『姫』はヒメと発音しておきます。

 

 スセリヒメはスサノオとクシナダヒメの娘です……オオナムチはスサノオから数えること五代目あるいは六代目と言われる子孫です。

 人間的な常識で判断すると、令和の若者が明治時代のご先祖に連なる女性と恋仲になったということで、ちょっとSFで、初めて読んだ時には混乱したものです。

 好きになったのはスセリヒメの方からです。

「ぜったい、あんたと結婚する(#゚Д゚#)!」

 スセリヒメは父のスサノオに懇願します。

 娘に『好きな人が出来たの(^#▽#^)』と言われて素直に喜ぶ父親はいないと思います。

「な、なんだと!? す、好きな男ができただとおおおおおおおおおヽ(#`Д´#)ノ」

 スサノオは、オズオズ現れたオオナムチに、こう言います。

「てめえみたいな奴は、名前を変えてやる! たった今から『アシハラノシコオ』と呼んでやる!」

 つまり、日本一の醜男(ぶおとこ)という意味ですね。

 オオナムチは、記紀神話では何度も名前が変わって、大国主に定まるまでは時間がかかります。

『ノラガミ アラゴト』に大国主が出てきますが、この何度も名前が変わることが大国主のキャラ設定に大きく影響しています。『ノラガミ』の夜ト(やと)とヒロインのひよりは沢山観たアニメの中でも好きなキャラです。

 次回はスサノオとオオナムチのそれからを見ていきたいと思います。

 

 

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誤訳怪訳日本の神話・27『生き返ったオオナムチ』

2021-02-27 09:24:29 | 評論

訳日本の神話・27
『生き返ったオオナムチ』    

 

 

 オオナムチと八十神の父親は共にアメノフユキヌですが、母親が違います。

 オオナムチの母はサシクニワカヒメですが、八十神たちの母は、父のアメノフユキヌがあちこちの女神と交わって生まれた神々です。上代や古代においては母親が違えばほとんど他人と変わりません。異母兄妹なら、平気で結婚もできました。

 兄の八十神たちはオオナムチの惨たらしい遺体をサシクニワカヒメに送りますが、そういう惨いことができたのも自分たちの母親ではなかったからでしょう。

 八十神たちに、どこか遠慮の有ったサシクニワカヒメは、息子の遺骸に涙して、ただただ祈る事しかありませんでした。

 どうか、どうか、息子の命を、オオナムチの命を戻してください、返してください……。

 祈った神は、彼女の父のサシクニオオカミかオオナムチの七代前のスサノオか、あるいは大元のイザナギであったのか……。

 やがて、その祈りの甲斐があって、キサガヒヒメ(赤貝の精)ウムギヒメ(蛤の精)がやってきてオオナムチの命を呼び戻してくれます。

 おそらくは、死んで黄泉の国へ行ったんでしょうが、イザナミのように黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)をしていなかったのでしょう。黄泉戸喫、憶えておられるでしょうか、イザナギが亡くなったイザナミを連れ戻しに行った時、黄泉戸喫してしまったイザナミは「自分の意思では戻れないので、黄泉の神々と相談するので、けっして覗いてはいけません」と言われ、待ちきれないイザナギは覗いてしまって、えらい目に遭いました。

 オオナムチは、ご先祖のイザナミの失敗を知っていたのか、母親のサシクニワカヒメがなんとかしてくれると思っていたのか、とにかく蘇りました。

「おまえが生き返ったということは、すぐに八十神たちの知るところになるわ」

「どうしよう、せっかく生き返ったのに(;゚Д゚)」

「よく聞きなさい、木国(きのくに)のオホヤビコの神を頼っていきなさい、きっと助けてくれます!」

 オオナムチは木国を目指します。

 木国は、おそらく紀国のことでしょう、名前の通り日本有数の森林地帯で、江戸時代には幕府や紀州藩の御用林がありました。奈良と三重の間に和歌山県の飛び地がありますが、江戸時代の御用林の分布の名残だと言われています。

 しかし、敵は八十神、名前の通りでも八十人、実際はもっと多かったかもしれません。やがて居場所が知られてしまいます。

「どうも、ここでは匿いきれない。根の国堅州国(ねのくにかたすくに)に行って、スサノオ命に頼りなさい」

 なんとも運の無い男ですが、見ようによっては、どんな逆境に陥っても、必ず助けてくれる人が現れるという強運の持ち主であるとも言えます。

 この歳になって人生を振り返ると、ああ、こういうことってあるよなあと思います。

 まさに『捨てる神あれば拾う神あり』ですなあ……

 高校を四年通うハメになったわたしは、不器用な生徒で、アルバイトもろくに見つけることができませんでした。

「こんなバイトがあるでえ」

 友だちが落第した説教をする前にバイトを紹介してくれました。

 大学も五年通うハメになったのですが、その五年間も、いろんな人がバイトや人の繋がりを仲介してくれました。

 部活指導という名目でグズグズ母校の演劇部に顔を出していると、賃金職員や非常勤講師の口をかけていただきました。

 三十路を目前にして校長からはやんわりと「学校から出ていけ」と言われましたが、ほかの先生たちは、こんな道あんな道を示して、力も貸して下さり、いつの間にか採用試験に通って本職になってしまいました。

 あいつは、いつまで独り身でおるねん!?

 周囲の人たちは、心配をして下さり、しばしばお見合いの機会を設けて下さり、四十路を前に、やっと所帯を持つことができました。

 四十路の結婚と言うのは、初婚でもきまりの悪いもので、カミさんとも相談して結婚式などはあげませんでした。

 それは、もったいない!

 ということで、先輩の先生たちがおぜん立てをして下さり、出席者100人を超える結婚披露パーティーを開いてくださいました。

 なんか、我田引水になってきましたが、こういう世話焼きが、日本の良き伝統であるような気がします。

 若いころから、日本神話には親しんできましたが、オオナムチの下りで、そういうことに思い至ったのは、いい意味で歳なのかもしれません。

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誤訳怪訳日本の神話・26『八十神と手間山の赤猪』

2021-02-21 09:10:53 | 評論

訳日本の神話・26
『八十神と手間山の赤猪』    

 

 

 末の弟のオオナムチに兄弟全部の荷物を背負わせた八十神たちは意気揚々とヤガミヒメの家に着きました。

 

 八十神たちの面白いところは、末の弟オオナムチを団結してイジメますが、自分たちは仲たがいはしません。

 というか、没個性的な神々で、一人一人の描写がありません。もし、マンガかアニメにすると顔がノッペラボーのモブキャラになるでしょう。

 八十神を目の前にしてヤガミヒメはにこやかに宣言します。

「……ということですので、わたくしヤガミヒメは、あなたたち八十神の荷物を背負ってやってくるオオナムチの妻になります。悪しからず(^▽^)/」

「「「「「「「「「「「「「そ、そんなあ(;゚Д゚)!」」」」」」」」」」」」」

 オオナムチをイジメたことに弁護の余地は無いのですが、八十人まとめてコケにされるのは、ちょっと気の毒。

 八十人も居るのですから、中には多少はオオナムチに同情的な者もいたのかもしれませんが、十把一絡げにされます。

 記紀神話にはモブキャラがいっぱい出てきますが、高天原の神たちは名前の付いている者が結構いて、天岩戸の下りは個性的な神々が一杯いて、描写が生き生きとしています。それに比べて、いくら悪役とは言え個性無さすぎな感じがします。

 いっそ八十という名前の一人の神であったほうがスッキリします。西條八十という古関裕而の相棒だった作詞家もいたではありませんか。

 とりあえず、八十神の十把一絡げにこだわります。

 世の中は、この十把一絡げに満ちております。

 たとえば『日本人』といいう十把一絡げ。昔は眼鏡をかけた反っ歯で、どこに行くにもカメラを首からぶら下げているオッサンというイメージでした。日本人を説得するには「みなさん、そうなさっています」と囁けばいいと言われておりました。

 オタクと言えば、自分の趣味やテリトリーのことは人の都合も考えずに口角泡飛ばすくせに、オタク以外の話には聞く耳を持たないキショク悪い奴らという括りで、たいていは運動オンチなブ男、たまに女子がいるとBL専門の腐女子なんぞと言われたり描写されたりします。

 学校の先生というと、みんな日教組で偏向教育ばかりやっていて、独身率が高くて、C国やK国の味方ばかりしていて朝日新聞の読者という括り方をされます。

 大阪人なら、みんな声が大きくて、吉本みたいなギャグをとばしてばかりで、阪神ファンでたこ焼きばかり食っているやつら。

 ……考えたら、このサンプルに挙げた属性に、わたしは全て含まれます(^_^;)。

 

 とにかく、ヤガミヒメは、そう言い放って、八十神全員を袖にしてオオナムチを婿に迎えることにします。

 

 プリプリ怒ってかシオシオとうな垂れてかは分かりませんが、八十神たちは帰り道に、やっと追いついたオオナムチに出会って、こんな意地悪を言います。

「よう、俺たち、これから帰るとこなんだけどよ、途中の伯耆の国の手間山(てまやま)ってとこによ、赤い猪が出てくるっていうんだわ。家の土産にしたいから、おまえ先に行って掴まえとけ」

 どこまでも兄たちに従順なオオナムチは、疑問にも思わず(こういう馬鹿正直なところに白兎はイラっとくるんでしょうねえ)手間山に向かいます。

 さて、赤猪はどこにいるんだろうと様子を窺っていますと、山の上から何かが駆け下りてくる音がします。

 ドドドドドドドドド!

「来た! 赤猪来たああああああああ!」

 オオナムチは健気にも両手を広げ、関取ががっぷりと四つに取り組む姿勢で赤猪を受け止めます。

 

 ジュウウウウウウウウウウウ!

 

 なんと、赤猪は真っ赤に焼けた大岩だったのです。

 というか、先回りした八十神たちが大岩を真っ赤に焼いて待ち受けていたのです。

 オオナムチは大岩を離すこともできずに、全身大やけどで焼け死んでしまいました(-_-;)。

 

 つづく

 

 

 

 

 

 

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誤訳怪訳日本の神話・25『因幡の白兎・3』

2021-02-14 09:47:49 | 評論

訳日本の神話・25
『因幡の白兎・3』    

 

 カチカチ山の兎にも因幡の白兎にも底意地の悪さを感じるのはわたしの経験によるものなのかもしれません。

 心貧しい青春時代でも、青息吐息の教師時代にもハイティーンの女子には振り回されてきました。

 この年頃の女子というのは理屈ではありません、好きか嫌いかで生きているようなところがあります。

 いったん嫌ってしまうと、全てを『嫌い』というフィルターを通してしか見てくれません。

 そして嫌いな相手には何をしてもいいという感覚になります。

 白兎がサメを騙したことや、カチカチ山の兎が、執拗にタヌキをイジメたことに現れているように思うのです。

 白兎はサメを騙しただけじゃないかと言われるかもしれませんが、白兎は、その後のオオナムチ(後の大国主)の人生を過酷なものにして行きます。

 

 オオナムチの親切なアドバイスで傷が癒えた白兎は、こう言います。

「お兄さんたち八十神は気多の岬に住むヤガミヒメのところに行ったよ、ヤガミヒメを嫁にするんだって。でもね、ヤガミヒメと結ばれるのはオオナムチ、あなたなのよ。あなたこそが相応しいの、さあ、今なら間に合う、行って、ヤガミヒメと結ばれなさい!」

「え、ぼ、ぼくが?」

 ずっと兄たちの荷物持ちだったオオナムチは驚くよりも兄たちを乗り越えてしまうことに尻込みしますが、白兎の熱いまなざしに、なけなしの男性力を振るいたてられヤガミヒメの住む気多の岬に向かいます。

 ここで考えるのです。

 白兎はオオナムチを優しく親切な男と慕わしく思っています。

 それならば、自分がオオナムチの嫁になればいいと思うのですが、そうはしません。

 それはね!

 白兎は指を突き付け、ズイっと顔を近づけて、わたしに抗議します。

「恩人のオオナムチには幸せになってもらいたいの! ヤガミヒメと結ばれたら、わたしなんかを嫁にするよりも、もっともっと幸せになるんだから! あえて身を引く白兎の心意気なのよ! 乙女の真情なのよ! 下衆な勘ぐりなんかすんじゃないわよ!」

「でもさ、白兎」

「なによ!?」

「オオナムチに幸せになって欲しいっていうよりも、八十神のアニキたちがフラれるために言ってない?」

「そ、そんなことないわよ(^_^;)!」

「だったら、白兎が嫁さんになってあげる方が、話としては素直だと思うんだけどなあ……」

「グ、そ、そんなこと思ってっから、捻りのないプアな小説しか書けないんじゃん!」

「キミってさ、サメを騙くらかして、こっちに渡ってきたところでしょ。こっちに来たってことは、なにか面白いことないかなあとかって気持ちでしょ。オオナムチはいい男だけど、なんか地味だし、こいつで手を打つにはちょっととか……」

「うっさい! だいいちね、古事記とか日本書紀のどこ読んでも因幡の白兎が女の子だってとか書いてないし!」

「え、白兎ってBLだったっけ?」

「んなわけないし! もう! うっさいうっさい! あっち行けヽ(`#Д#´)ノ!」

 

 ちょっと絡み過ぎました。

 しかし、そう絡んでみたくなるほど、それからのオオナムチの運命は過酷であったりするのです……

 

 

 

 

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誤訳怪訳日本の神話・24『因幡の白兎・2』

2021-02-06 06:31:40 | 評論

訳日本の神話・24
『因幡の白兎・2』    

 

 

 

 腹いせで言うんじゃないけど、八十神たちは全員ヤガミヒメにふられっちまうよ。

 

 傷の癒えたウサギは真顔で言いました。

「そうなのか?」

「そうだよ、通りすがりウサギをこんな目にあわせるなんて根性が歪んでる証拠だよ。そんな根性悪にヤガミヒメが『うん』と言うわけないじゃないか」

「じゃ、ヤガミヒメは誰とだったら『うん』と言うんだい?」

「それは、オオナムチ、あんただよ」

「え、ぼくが(^_^;)!?」

「さあ、あたしはもう大丈夫だから、ヤガミヒメのところに行きなよ!」

 ウサギに背中を押され、先を急ぎ、総スカンをくった兄たちを尻目に告白して、目出度くオオナムチはヤガミヒメと結ばれました。

 めでたしめでたし……。

 これが記紀神話の『因幡の白兎』に関わる凡その記述です。

 

 ここから筆者の妄想であります。

 

 白兎は、ちょっと小悪魔的なツンデレ美少女に違いありません。

 そもそもウサギがサメたちに赤裸にされたのには理由があります。

 元は隠岐の島にいたウサギなのですが、対岸の島根鳥取の方に行きたくて仕方がなかったのです。

 そこで、サメたちに提案します。

「あたし、身内ってか親類がすっごく多いのよ。親類の多い動物って優秀だって言うわよね。あんたたちサメはどうなのよ?」

「俺たちだって、親類は多いぜ! 優秀なんだぜ! ウサギの何倍も優秀なんだぜ!」

「へー、そうなんだ。だったら、いつか比べっこしようじゃないか」

「そうだ、いつでも立ちあってやるぞ」

 サメたちは口々にサメ族の優位を主張します。

「いつなんて言ってちゃダメよ。本当に多いんなら、いま集めてみなさいよ」

「い、今からか?」

「おう。じゃ集合かけてやらあ。みんな集まれえ!」

 呼びかけに応じて、隠岐の海辺にたくさんのサメが集まります。

「おお、たくさん集まったわね!」

「どうだ、おどろいたか?」

「う~ん、でもさ、国会前に集まるデモも『主催者発表』で何万人とか言うけど、実際は三千人ほどだったりするのよね……」

「だったら数えてみろよ!」

「そっか、だよね。だったら、向こう岸の因幡の方に向かって並んでみてよ、数えてあげるから」

「よし分かった!」

 サメたちは横一列に並んで、ウサギが、その上をピョンピョン跳んで数えます。

 あと何匹かで因幡の岸に着くところで、ウサギは呟いてしまいます。

「サメってバカだよね。あたしは、向こう岸の因幡に行きたかっただけなんだよね。それをまんまと騙されてやんの」 

「テメー、俺たちのこと騙しやがったなあ!」

 うっかり呟いたのが聞こえてしまい。ウサギは怒りまくったサメたちによって皮を剥がれて赤裸になってしまったのです。

 

 この部分を前説に書いておくと、八十神たちの意地悪は因果応報ということになって、納得のおとぎ話になります。

 たぶん、それぞれ独立した教訓的な話だったのでしょう。

 そんな小悪魔的なウサギでも治療法を教えてオオナムチは助けてやり、その優しさがあるのでヤガミヒメを獲得することに読者はめでたしめでたしと頷くのでしょう。

 

 高校生になって太宰治の『カチカチ山』を読みました。

 ウサギは、月の女神アルテミスにも比肩される美少女で。中年のオッサンタヌキが無謀にも惚れてしまいます。

 ウサギは、タヌキごときが自分に惚れるのが許せなくて、さんざん意地悪をします。

 タヌキに薪を背負わせてカチカチ山に差しかかったところで、タヌキの薪に火をつけて大やけどを負わせます。

 洞穴の巣でウンウン唸っているタヌキに薬売りに化けて「火傷によく効くから」ということでカラシを渡します。

 カラシを火傷に刷り込まれたタヌキは、再び死ぬような苦痛を味わいます。

 そして、最後はタヌキを騙して泥の船に乗せて川に沈めて殺してしまいます。

 泥が溶けて水中に投げ出されたタヌキは泳げません。「た、助けてくれえ!」 溺れるタヌキをウサギは櫂を何度も振り下ろしてブチ殺してしまうのです。

 断末魔のタヌキは叫びます。

「惚れたが悪いかあ!」

 最後の一撃でタヌキが沈んでしまうと、ウサギは額の汗を拭って一言呟きます。

「ほ、ひどい汗……」

 このウサギと共通する小悪魔性というか底意地の悪さを感じるのは、過去に何度もタヌキと同類の経験があるからかもしれませんなあ(^_^;)。

 太宰の『カチカチ山』を読んだ後、久しぶりに『因幡の白兎』を読んで溜飲が下がった昔を懐かしく思い出すのでありました。

 

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誤訳怪訳日本の神話・23『因幡の白兎・1』

2021-02-05 06:33:00 | 評論

訳日本の神話・23
『因幡の白兎・1』    

 

 八十神(やそがみ)と言っても八十人の神さまというわけではありません。たくさんの神さまという意味です。

 で、八十神はオオナムチ(オオクニヌシ)の兄たちです。

 悪い神さまたちで、末っ子のオオナムチに大きな袋(自分たちの荷物)を持たせて因幡の海岸を急いでおりました。

 なんで急いでいたかと言うと、因幡のヤガミヒメという女の子を口説きにいくためです。

 

「アニキ、因幡にヤガミって可愛い子がいるってさ、いっちょ突撃してみねーか?」

「お、まぶい女の話か! よし、そーいうのは機会均等の精神だぜ、兄弟くり出して行こうじゃねーか!」

「じゃ、手荷物はオオナムチに持たせてやろーぜ!」

 こんな感じですなあ、

 

 八十神たちが因幡の海岸にさしかかると、皮を剥かれて赤裸になった兎がウンウン唸って転がっておりました。

 

「なんで、こいつ赤裸?」

「いっちょ、からかってやろーぜ」

「おい、ウサギ、その赤裸は辛いだろ。俺たちゃ心優しい八十神さまたちだ。治療法を教えてやるぜ」

「あ、ありがとう、このままじゃ身動きもできず、この海岸で衰弱死するところでした。その、治療法とは?」

「それは簡単なことだ」

「「「「「「「「「「「「「「「「そーそー」」」」」」」」」」」」」」」」」」

「海水に浸かってな、寝っ転がってお日様で乾かせば元にもどるぜ」

「「「「「「「「「「「「「「「「そーだそーだ」」」」」」」」」」」」」」」」」」

 

 ウサギは言われた通りに海に浸かって、八十神たちは笑いをこらえながらヤガミヒメの家を目指します。

「こ。これは……図られたか!?」

 海水に浸かってお日様で乾かしたウサギは地獄の苦しみです。

 日光で乾いた皮はツッパラかって、あちこちで裂けてしまいます。そこに海水の塩分が浸みこみます。

「く、くそー! い、痛い~痛いよー! いっそ殺せえええ!」

 そこにオオクニヌシが大きな袋を背負って現れます。

「いったい、どうしたんだ!?」

「は、はい……じつはかくかくしかじか……なんですよ~(´;ω;`)」

「……それは可哀そうに、わたしが、本当の治し方を教えてあげよう」

「そういう、あなたは?」

「オオナムチっていうんだ」

「オオナムチ…………」

「あ、おまえ、いま漢字に変換しただろ!?」

「え、あ、いえいえ、とんでもない!」

 ウサギの顔には「大な無知」の四文字が点滅している。

「まあ、いい。いいかい、急いできれいな水で洗って蒲の穂を敷き散らした上でゴロゴロ転がって花粉を身にまぶすんだ」

「えと……なんか、そのまま油で揚げたらウサギのフライになりそうな(^_^;)」

「大丈夫だって。おまえ……やっぱり漢字に変換しただろ?」

「いえいえ」

「仕方のない奴だ、治るまで付き合ってやるから、それでいいか?」

「あ、ま、それなら(〃´∪`〃)」

  かくして、オオナムチ付き添いのもとで言われた通りにやってみると、完全に元の白兎に回復したのでした!

「ありがとうございます、やっぱ、オオナムチさんの言うことは正しかったです! 感謝感激ですううう!!」

「それは、よかった。じゃ、そろそろ行くよ」

「あ、いましばらくお待ちください!」

 

 オオナムチを引き留めたウサギは、ある予言をするのでした……。

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誤訳怪訳日本の神話・22『大国主について、最初から脱線(^_^;)』

2021-02-04 05:39:00 | 評論

訳日本の神話・22
『大国主について、最初から脱線(^_^;)』   

 

 

 古事記によると六代目の子孫。日本書紀正伝によると二代目の息子。

 

 とにかくオオクニヌシはスサノオの血筋であります。

 そのオオクニヌシが、同じスサノオの娘であるスセリヒメ(須勢理毘売命)と結婚します。

 この結婚にはエピソードがありすぎるので、わたしの趣味で絞ります。

 

 まず、二人の関係……血縁です! 日本書紀正伝では腹違いの兄妹でさえあります!

 高天原の国津罪でも書きましたが近親相姦はご法度です。いまの民法でも当然認められません。

 ところが、古代では緩かったんですなあ。腹違いの兄妹は結婚できます。伯父・叔父と姪の結婚もOKでした。

 現代の感覚では「えええええ! そんなああああ!?」になります。

 友だちが「わたし結婚したの!」と言ってきたら、「え! 相手は誰なの!?」と聞きます。

「腹違いのお兄ちゃん!」とか「叔父さんと!」とか嬉しそうに答えたら「……なにそれ……」とドン引きになります。

 こういう近親結婚が古代では結構ありました。たしかクレオパトラも弟と結婚しています。中世ヨーロッパでも、領地や権力維持のため兄妹や近親での結婚が多くありました。

 狭い日本にいると、いとこ同士とか又いとこ同士の結婚というのはヘッチャラですが、外国、とくに中国や朝鮮半島では「……なにそれ……」になります。

 朝鮮半島では、いとこどころか、本貫(出身地)が同じ同姓の結婚も長らく認められませんでした。

 男女が仲良くなり結婚を意識し始めると、同姓の場合、互いの本貫を確認しました。

 オレ慶州の金だけど君は? よかった! わたし金海の金よ! で、結婚できました。わたしの知識は古いので、いまは、そこまでうるさくは言わないのかもしれませんが、とにかくいとこ同士などはあり得ません。

 わたしのクラスメートの友だちにアラブの王族から求婚された女の子がいました。

 とてもいい男だったので国際結婚を決意しますが第二夫人としてだったので周囲から反対されました。めでたく結婚したらしいのですが、当時は第二夫人ということばかりが話題になって、結末と経緯についてはよく覚えていません。

 インドで、こんなことがありました。

 結婚して間がない夫が亡くなりました。親族一同が集まって葬式になります。ここまでは日本と同じです。

 インドは、いまでも火葬の所が多くあります。日本のように火葬場で焼くのではなく、多くは河原で木材を積んで、その上に布でくるんだ遺体を載せて火を付けます。いわゆる荼毘にふすという奴で、戦後すぐくらいまでは日本でもやっていました。

 ここからが違います。

 燃え盛る炎の中に未亡人の若妻を、みんなで寄ってたかって担ぎ上げて火の中に放り込みます。熱さのあまり飛び出してくる若妻をさらに火の中に押し戻します。這い出てきたところを、さらに押し戻し、ついには夫の遺骸と共に焼き殺します。

 これは、妻が夫を亡くした悲しみのあまり自分も火の中に飛び込んだという美談にするためです。昔から、よくできた嫁はいっしょに死ぬもんだという文化があったことからの悲劇です。むろん、今は法律で禁止されていますが、禁止しているということは……今でも……と思ってしまいます。

 女の子が男と関係を持ってしまった場合の話です。

 女の子が十八歳未満ですと男は逮捕されます。ときどきやらかして新聞やテレビをにぎわしていますね。男はマスコミに書き立てられ、仕事も首になります。最近、教師がいたしてしまって首になり、新聞やらネットニュースやらをにぎわしております。

 女の子が十八歳以上ですと、合意の上であれば罪にはなりません。

 現場に居たころ、三年生の担任をやっていて「娘が男といっしょに……」という相談を何度か受けました。時に警察にも相談に行きましたが、十八歳を過ぎていると「本人が自分の意思でやってる限りねえ……」と手が出せませんでした。

 インドやアラブでは親が娘を掴まえて殺してしまうことが正義でした。むしろ殺さない親が社会的に非難されました。

「不貞の娘を成敗したぞ!」

 父親が、殺した娘の生首を掲げて町中に触れ回ってもお咎めなし。街の年寄りたちは「よくやった!」と誉めそやします。

 アラブの王女様が男と駆け落ちして捕まりました。連れ戻され、男は首を切り落とされ、王女様はピストルで頭を撃ち抜かれました。

 脱線してしまいましたが、ことほど左様に文化が違うと受け入れがたいほどに対応ややり方が違うのです。

 歴史的に昔を見る場合、そういう違いを踏まえて観てやらないと誤ってしまうことがあります。

 現代的に言うと、それほど異文化の理解が難しいということになりましょうか。

 次回は、大国主と因幡の白兎について触れてみたいと思います。

 

 

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誤訳怪訳日本の神話・21『八雲たつ出雲八重垣』

2021-02-03 06:56:26 | 評論

訳日本の神話・21

『八雲たつ出雲八重垣』   

 

 八岐大蛇を退治したあと、スサノオは――オレ、生まれて初めていいことしたんだ……なんちゅう清々しさであることよ……目の前の景色も嫁のクシナダヒメも、なんとも愛おしく仕方ねえよなあ――

 なんだか、涙が出て仕方がありません。

 スサノオは、これまでもよく泣きました。ガキの頃は、カアチャンが居ないよおと言ってはジタバタ泣いて、父のイザナギを困らせ、高天原では「少しは、オレに構ってくれよおお!」と泣いて、お姉ちゃんのアマテラスにこっぴどく怒られては泣いて、高天原を追放されてきました。

 それが、ここへきて、テナヅチ・アシナヅチの老夫婦に同情し、一世一代の計略を練って、体を張ってクシナダヒメを助けました。初めて人のために働き、今までに感じたことのない充足感、人と喜びを分かち合う嬉しさから涙が止まりません。

 ヘタレがレベル100ぐらいの勇者にキャラ変してしまったのです。

 なんでもありのラノベでも、こんな設定をしたら企画書の段階でアウトです。

 日本神話には、こういう強引さがあちこちにあるのです。この強引さは、どこかで触れたいと思うのですが、今は『みごとなキャラ変』と楽しんでいてもいいかと思います。

「オレは、これからも、この土地とクシナダヒメを護っていくぞ!」

 そう、スサノオはエピソードoneをコンプリートしたのです!

 そこでスサノオは日本で初めての和歌を歌いあげます。

 

 夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁……これは古事記の記述

 夜句茂多菟 伊弩毛夜覇餓岐 菟磨語昧爾 夜覇餓枳都倶盧 贈廼夜覇餓岐廻……こっちは日本書紀の記述

 両方とも万葉仮名という、漢字の読みだけを利用して日本語を表現したもので、ちょっと意味不です。

 今風にすると、以下のようになります。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を幾重にも雲が湧き出でる出雲の国をメッチャ気に入った! この出雲の国とオレの嫁を護るために垣根……つまり我が家をつくってだな、その護りをしっかりやるってことだ! オレは、この出雲に住み着くからなああああ! 文句あっか!

 

 スサノオの土着宣言であります。

 記憶に間違いがなければ、スサノオは神の身でありながら初めて人間(クシナダヒメ)と結婚した神さまであります。

 こののち、アマテラスの子孫も九州は高千穂の峰に降臨して、しだいに人との関りや婚姻が進んでいきます。その先駆けを表現しているのかもしれません。

 

 落ち着いたスサノオは、ここいらは木が少なくていけないなあと思います。

 前回でも述べた通り、山陰地方は古くからのたたら製鉄のため山が禿になるほど木を切られてきました。復元能力の高い日本の山々でも、やっぱり目立つんでしょうねえ、スサノオは体中の毛を抜いて、娘や息子たちに植えさせます。つまり、山陰地方だけでなく、日本中の山々の木はスサノオの体毛が変化したもので……そう思って山を見ると、ちょっと複雑な気持ちになりますなあ……あそこの木は、いったいどの部分の体毛なんじゃ?

 

 その後、スサノオの六代目の子孫が二代目の娘と結婚します。

 なんで六代目と二代目が? 時間的にメチャクチャ……次回に考えます。

 

 

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誤訳怪訳日本の神話・20『八岐大蛇(やまたのおろち)』

2021-02-02 06:24:02 | 評論

訳日本の神話・20

『八岐大蛇(やまたのおろち)』   

 

 目(め)は丹波酸漿(たんばほおずき)のように眞赤(まつか)で、一つの体にに頭と尾がが八つずつあります。その体には蘿(こけ)や檜(ひのき)杉などが生え、その長さは谷(たに)八(や)つ峰(みね)八(や)つをわたつて、その腹を見ればいつも血(ち)が垂れて爛(ただ)れています。

 アシナズチ・テナズチの二人は狭い家の中で体全体を使って八岐大蛇の説明をします。

「いやあ、たいへんな化け物だなあ、モンハンでも、そんなのはめったに居ねえよ」

「やっぱり、八岐大蛇を退治するとなるとハイレベルなプレイヤーでタッグを組んで、課金しまくって装備を整えなきゃなりませんでしょうねえ」

「お爺さん、でも、わたしたちには、そんなお金ありませんよう」

「いや、大丈夫だ。この家にあるもんでやっつけられるから、ちょっと用意してくれっかなあ」

「この家にあるもので?」

「いったい、なにを使うんでございますか!?」

 膝元ににじり寄って来る老夫婦に、スサノオは深々と頷いて、こう言います。

「大きな甕八つに並々と酒を満たしてくれ。そいつを並べたら垣根で囲ってさ、八つの入り口をこさえるんだ。でもって、オレはクシナダの着物引っかぶって座ってるんだ。オロチが酔っぱらったら……あとは観てのお楽しみ!」

 八つの大甕を満たすほどの酒が置いてある家などあるわけないのですが、そこは神さまの世界なので目をつぶって頂いて。

 スサノオの計画通り、八岐大蛇は「娘を頂く前に、酒をゴチになっちまおうぜ!」

 八つの雁首並べてグビグビと酒を飲み干します。

 やがて、グデングデンに酔っぱらって八つの頭が絡まりながら寝てしまいます。東映のアニメで作られた『わんぱく王子の大蛇退治』では、スサノオは十歳くらいの少年で埴輪みたいなアメノフチコマに跨り、まるでキングギドラみたいなオロチを激戦の末に倒します。

 しかし、記紀神話では、酔っぱらったオロチは瀕死のウナギのように簡単にやっつけられます。やっつけたオロチの腹を裂きますと一振りの刀。これが滅法スグレモノの刀で草薙の剣と名付けられ、今でも皇居の奥つ城に安置されている三種の神器の一つになります。

 さて、八岐大蛇です。

 こいつは、朝鮮半島から伝わった製鉄を生業とする人たちではないかと言われています。

 当時の製鉄は鉄穴流し(かんなながし)と言いまして、粉砕した岩石や土に含まれている砂鉄を川に流すことによって笊などで掬い取ります。それを集めて溶かして鉄にするわけです。『もののけ姫』でエボシが女たちを使って生業にしていた製鉄法です。

 この製鉄法には弊害があります。

 砂鉄が川を流れるので、下流の方では赤さびた砂鉄の為に川が赤く染まります。こんな水が稲作に良いわけはなく、下流の農民たちは困ってしまいます。また、一回製鉄するのに山一つを丸裸にするほどの薪が必要なのです。丸裸にされた山は保水能力が落ちて、ちょっとした大雨でも鉄砲水や山崩れを起こしてしまい、これも農民たちには大迷惑です。

 そのために、中国地方では製鉄民と農民の間ではいさかいが絶えませんでした。そういう事情が神話の背景にあるのではないかと思われます。オロチの体内から草薙の剣が出てきたのも示唆的です。『もののけ姫』では山を荒らされた山犬と山犬に育てられたもののけ姫が人間たちに立ち向かっていきます。モチーフが同じなんですね。

 さて、製鉄の民は朝鮮半島から渡ってきたと申しました。

 四五世紀は、製鉄に関しては半島の方が優れていたと思われます。ただ朝鮮半島は日本ほどの降水量が無いため、製鉄の為に山を丸裸にしてしまうと容易に回復しません。ところが、日本では山を丸裸にしても二十年もするともとに復元します。製鉄民は二十年を目途に山を渡り歩けば、いつまでも(農民との確執は別として)平穏に製鉄が出来ます。

 ちなみに、こういう製鉄を『たたら製鉄』と言います。

 六人ほどで大きなふいごを踏んで空気を溶解炉に送ります。この仕掛けをたたらと言います。ここから、よろめいたり勢い余って一歩を踏み出すことを「タタラを踏む」と表現するようになりました。

 

 次回は、オロチを退治したあと、この地が気に入って住み着いたスサノオの子孫のお話をしたいと思います。

 

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誤訳怪訳日本の神話・19『国津罪』

2021-02-01 06:34:52 | 評論

訳日本の神話・19

『国津罪(くにつつみ)』    

 

  八岐大蛇(やまたのおろち)を語りたいのですが、高天原で忘れていたことがあるので、ちょっと遡ります。

 

 スサノオがアマテラスへの意地悪でやったことを天津罪(あまつつみ)であると紹介しました。

 天津とは天界(たかまがはら)で侵された罪という意味です。神さまをお祀りすることや農耕に関する罪だと申しました。

 この天津罪と並ぶのが国津罪です。言葉的には地上に国が出来て、その国での罪を記したものとなっています。

 しかし、内容的には天津罪よりも深い罪や穢れの意識が反映されているのではないかと思います。

 

 :国津罪とは

 生膚断(いきはだだち)

 生きた人間を傷つけることで、今でいう傷害罪です。いつの世も人は傷つけてはいけないぞということでしょう。

 :死膚断(しにはだだち)

 死体損壊 あるいは傷つけたことで死に至らしめること(殺人罪・傷害致死)とも言われています。

 :白人(しろひと)胡久美(こくみ)

 共に皮膚に顕著な症状が現れる病気で、白人はハンセン病、胡久美はコブやイボができる病気らしいのですが、詳しいことは分かりません。

 :己が母犯せる罪、己が子犯せる罪

 そのものズバリ近親相姦であります。当たり前だろうと思いますが、兄妹間は禁止されておりません。昔は伯父(叔父)姪や腹違いの兄妹は違法ではありませんでした。天智天皇が大化の改新のクーデターのあと帝位につくのに二十三年がかかっています。その理由の一つが同腹の妹を妃にしたからで、この妹妃が亡くなるまでは憚りがあったからだとも言われています。

 今の日本ではいとこ同士の結婚はノープロブレムですが、新婚旅行に韓国や中国や台湾にいくと「え!?」という顔をされます。中華圏と申しますか、儒教が浸透している国では一般にいとこは兄弟同然なのです。親同士が再婚の義理の兄妹は、たしか結婚できるはずです。『俺の妹がこんなに可愛いわけがない!』PSPのゲームで京介・桐乃の兄妹が結婚して子供まで生まれるというのがあります。この設定は、本当は血のつながりが無かったということにして成立しています。アハハと笑ってよかったよかったと納得しますが、外国では義理の関係でもNGになるところが多いと思います。

 中華ついでにもう一つ。アグネス・チャンが日本に来て公園でたくさんの鳩を見た時「ああ、おいしそうだ♡」と感じたそうです。同じ鳩を見て日本人の多くは「平和のしるし」と思います。フランス人は鳩は「空飛ぶ鼠だ!」と嫌います。

 日本では、脱いだ靴は爪先を外に向けて並べますが、韓国では逆に内に向けます。よその家に行って外向きに揃えると「おまえは、そんなに早く帰りたいのか?」と思われるそうです。

 マレーシアは多民族国家で、中国出身者が力を持っていますが、それでもこんなところに気を遣うそうです。

 中国では十二支の猪は豚のことです。亥年の旧正月になると盛んにブタ料理を作り、豚の張りぼてや飾り物を家や街のあちこちに飾ります。しかし、イスラム系の人たちに気を使って、公には豚の飾り物はしなくなっているそうです。笑ってはいけないのですが、西遊記から猪八戒を抜いたり扱いを小さくしたりもするそうです。三十年近い前には、屋台で売っているラーメンに味の素が使われているということで、屋台の店が襲撃にあうということが頻発しました。味の素の原料に豚が使われているという噂が流れ、現地の味の素関連の日本人が逮捕されるようなことがあったそうです。事の真偽はともかく、異文化が共存するということは、そういうことなのですね。

 ことほど左様に、国や民族や地方によって感性や受け止め方が違います。グローバリズムやリベラリズムは結構なのですが、人類のこういう融通が利かないところは無理に合わせられませんし合わせない方がいいと思います。人類というのは程よく国という垣根を持っていた方がいいと思うのですが、いかがでしょう?

 :畜(けもの)犯せる罪

 えと、獣姦というやつですなあ。気持ち悪いことはすんな! ということのほかに病気のことなどがあったのではと思います。

 :昆虫(はうむし)の災

 農業における虫害のことです。虫が湧くことも、何かよからぬことの報いであると思われていたんですなあ。

 :高津神の災

 落雷だといわれています。平安時代に菅原道真が雷さんになって落雷で宿敵たちを殺したことを恐れて天神さんにされました。

 :高津鳥の災

 鳥による農業災害 不勉強なので具体的にはよく分かりません。

 :畜仆(たお)し

 呪いや呪いで人の家畜を殺すこと。昔は呪っただけで罪になりました。

 :蠱物(まじもの)する罪

 動物の死体を使って呪いをかけること。

 

 なんだか、テスト前のまとめっぽくなりました(^_^;) 次は、もっと工夫いたします。

 

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誤訳怪訳日本の神話・18『姫を櫛に変えて(#´ω`*#)』

2021-01-31 06:45:55 | 評論

訳日本の神話・18
『姫を櫛に変えて(#´ω`*#)    

 

 大宜都比売(オオゲツヒメ)をブチ殺した後のスサノオは様子が変わります。

 それまでの乱暴者は影を潜めて、普通のヒーローになっていきます。

 普通と書いたのは個人的な趣味です。読んでいる限りでは高天原までのスサノオの方が断然面白いと思います。

 スサノオは、出雲の国のトリカミという所にやってきます。何気に川に目をやると上流から箸が流れてきます。

「……箸が流れてくるということは、この上流に人が住んでいるんだなあ(^▽^)/」

 人恋しいスサノオは、エッチラオッチラ川に沿って歩いて行きます。

 

 一軒の家から爺さん婆さんの泣き声が聞こえてきました。

 

 年寄りが泣いているのを見過ごせるスサノオではありません。キャラ変してしまったようですが先に進みます。

「通りがかりのもんだけど、年寄り二人が泣いているのはただ事じゃないぜ、いったいどうした……」

 そこまで言って、言葉が止まってしまうスサノオ。

「か、かわいい……(#´ω`*#)」

 えと、婆さんを見て「かわいい」のではないのです。

 爺さん婆さんに挟まれて美少女が悄然と俯いているのです。

「なにから申し上げましょう……わたしは手摩霊(テナヅチ)、婆さんの方を足摩霊(アシナヅチ)と申します。で、これは、わたしどもの娘で櫛稲田(クシナダ)姫と申します」

 テナヅチというのは手で撫でる。アシナヅチは足で撫でるという意味で、要は撫でまくりたいほどに娘を可愛がっているという意味になります。

「それが、どうして泣いてるんだい?」

「はい、ここいらには八岐大蛇(やまたのおろち)という頭が八つもある蛇の化け物がおります。その八岐大蛇が毎年かわいい女の子を一人生贄に寄越せと申します。生贄を渡さなければオロチは大暴れをして、住民みんなを困らせます」

「チョ-我儘なヘビ野郎だな!」

 高天原でのことは棚に上げて老夫婦を慰めます。スサノオというのはなかなかの神経をしております。

 でも、キャラ変したのだから仕方ありません。

「八人の娘がおりましたが、毎年生贄に取られてしまって、とうとう、このクシナダ一人になってしまいました」

「そうだったのか……いや、お二人が涙にくれるのももっともだぜ……よし、では、このオレ様がオロチから護ってやろうではないか」

「ほんとうでございますか!?」

「そ、そうおっしゃるあなた様は?」

「あ、スサノオって言うんだ。よろしくな」

 高天原の事には触れてほしくないので、名前だけをサラッと言います。

「ス、スサノオノミコトと言えばイザナギ・イザナミのご子息で、高天原をしろしめす天照大神さまの弟君ではありませんか!?」

「ドッヒャー! チョーセレブなお坊ちゃんではないですか! サインもらわなきゃ!」

「握手じゃ! 写メじゃ!」

 三人並んで写メをとります。

「えーーあのーーちょっと違うんじゃ……」

 クシナダが遠慮気味に言います。

「そーだそ-だ、いっそクシナダを嫁に差し上げます!」

「え、オレの嫁? いいの、嫁さんにもらっちゃって!?」

「はい、助けていただけるんなら、いえ、助ける力のあることに疑いは有りません。どーぞ、もらってやってくださいまし~!」

「そ、そーか、そーか、そーであるか、ならば、無くしちゃいけないから、こうしよう!」

 スサノオが指を一振りするとクシナダは小振りな櫛になってしまいます。そして、その櫛を髪に差しますととっておきの作戦を披露するのでありました。

 

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誤訳怪訳日本の神話・17『スサノオ追放!』

2021-01-30 06:50:48 | 評論

訳日本の神話・17
『スサノオ追放!』    

 

 天岩戸をお出ましになったアマテラスはスサノオを高天原から追放します。

 

 スサノオの持っていた珍しいお宝を全部召し上げた上、スサノオのシンボルであった髭を剃らせ手足の爪を全部抜かれてしまいます。

 ちょっとエゲツナイですなあ。

 1945年に連合軍によってパリが解放されると、パリ市民はドイツ軍に協力的であった女性をとっ捕まえては丸坊主にして大通りを歩かせ、みんなで罵倒しました。ちょっと似てます。

 スサノオとアマテラスの関係なのですが、どうも血肉を分けた姉弟には見えません。スサノオが高天原に現れた時も、アマテラスは姫騎士のように完全武装し、高天原の軍勢を従えて迎え撃とうとしています。

 アマテラスはご存知の伊勢神宮の主神であり皇祖神であり天津神(あまつかみ)の代表であります。方やスサノオの子孫である大国主は出雲地方の国津神(くにつかみ)の代表で、のちに高天原の勢力に国譲りして出雲大社に祀られます。

 どうも四五世紀、大和朝廷が勢力を広げて行って出雲地方の勢力を従えたことが反映された神話のようであります。

 余談ですが、アイヌ民族を先住民族とする考え方が国会で決議され、中にはアイヌに自治権を与え分離独立まで言い出す人たちがおられます。その是非はともかくとして、盛大に日本の一部を分離独立させるなら出雲地方の方がドラマチックでしょう。あきらかに大和政権とは別物でした。二十一世紀の今日でも出雲大社の神主は『国造(くにのみやつこ)』の肩書があって元日の地元紙の一面に県知事と並んで賀詞を述べられておられます。むろん、伝統ということで、スサノオとアマテラスの争いに火をつけて出雲地方の人たちに独立しようという気運はありません。

 こういうことで分離独立していたら、世界は今の数十倍に分裂してしまうでしょう。

 地上に放逐されたスサノオは腹ペコで仕方ありません。

 これだけの目に遭って腹が減るのですから、やっぱ、神経のぶっ飛んだ神さまなのです。ですが、「どうして、おいらにゃオカンがおれへんのや~!!」と泣き叫んでは駄々をこねていた(体よく親父のイザナギから追っ払われた)ころのことを重ね合わせますと、かなり子どもじみたヤンチャクレのように思えます。

 腹を減らしていると、大宜都比売(オオゲツヒメ)に出会います。名前からケツのデカい女神様という感じで、どうも作物の豊かさを現わした女神様のようです。

 スサノオに同情したオオゲツヒメは、たくさんの食べ物を出してやります。

 ただ、出し方がぶっ飛んでおります。

「さあ、腹減ってんでしょ、どんどん食ってね!」

 彼女は、鼻や口やお尻の穴から出すのであります!

 これに擬音を付けると、このようでしょうか。

 

 ウ ウゲーーーゲロゲロ プープリプリ ブーブリブリー💦

 

 音だけでも ナンダカ……ですねえ(;^_^A

 それもスサノオの目の前でやって見せるのです!

 ウ、ウ、こいつ、きったねええええええええええええええ!

 スサノオはオオゲツヒメをブチ殺してしまいます。やっぱ、スサノオは切れやすいんでしょうなあ……。

 ブチ殺されたオオゲツヒメの体からに色々の物ができます。

 頭に蠶(かいこ)が、二つの目に稻種(いねもみ)が、耳にアワが、鼻にアズキが、股(また)の間にムギができ、尻にはマメができました。カムムスビの命が現れて、これらを種としたので、その後の日本の農業の基本になりました。

 

 

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