第三十五回大阪春の演劇まつりの第二弾であります。別役実の、共に男一人、女一人。道具も、照明もそう凝ったことをしなくてもできる芝居。しかしその分、演出と役者には高い表現力が求められます。
『トイレはこちら』は、首つり自殺をしようとする女と、トイレの場所を道行く人に教えることで百円もらう仕事を始めようとする男との、かみ合わない会話と、なぜか部分で見ると、変に理屈が通っている不条理劇です。同じ別役の芝居で男女二人の『受付』という芝居があります。人によっては『受付』を高く評価し、この二本の芝居を低く評価するものもありますが、この劇団きづがわさんの芝居を観て、そうでもないな……いや、『受付』のように変な批評性が無く、人間への温かい視線に的を絞って、上演されたことによって、わたしの中での別役作品のランク付けが変わってしまいました。人生に生きる目的を失った女が、トイレの場所を教えることで稼ぎにしようとする男に「そんなことで、稼げるわけがない」と、論争することに生き甲斐を見いだし、そのうち男は自分自身がトイレに行きたくなり、実は、その近辺にトイレがないことが発覚。笑わせてくれる。しかし、その掛け合いの中で人間への愛おしさを感じてしまうのは、新発見でした。別役=不条理=よう分からん。という図式だったのが後述の『この道……』とあわせて、分かりやすい芝居に見せてもらえたのは、演出と、達者な役者さんの演技であったと思います。
別役さんの芝居は不条理でありますが、演技そのものには、とてもリアルな演技をする力が求められます。わたしは、演出するときのクセで、役者が台詞を喋ると、喋っていない役者に目がいきます。きちんと聞いて、反応できていないと、どんなに自分の台詞を上手に喋っても、芝居そのものは痩せたリキミだけの芝居になりますが、役者、特に「女」を演った、橋野さんはきちんと舞台で生活できていて、生きた演技になっており観客のみなさんの反応もよかったように思いました。
『この道はいつか来た道』は、ホスピタルを抜け出した男女が、電柱とポリバケツのある、ある場所で出会い(度々会っていることは、芝居の後半で分かります)会話が始まり、男が「結婚しませんか」というあたりから、いっそう話が面白くなり、飛躍と思わせる展開も、ホスピタルの話が出てくるあたりから、なるほどと納得させられます。 役者さんはお二人とも、お達者で、安心して見ていられました。ポリバケツをあたかも人格のあるもののように扱ったり、互いに半端な道具を出し合い、お茶にするところなど、笑いながらもほのぼのとさせられます。ただ中盤以降、なぜか芝居が、緩みというか、ややリアリティーを失います。失うといってもけして破綻はしません。役者さん二人は自然な呼吸の中で芝居を続けられました。下手な役者だと力みかえったり、どうかするとアドリブに走ってしまうのですが、そういうことはいっさいありません。ラストの雪が舞い散る中、二人の死を暗示させる、ほのぼのした幕の下ろし方は大したものであります。
ただ、前回の息吹さんと同様に、観客の人たちの年齢の高さには、少し驚きました。これは劇団自身長続きしてきたことの証明でもあると思うのですが、若い人たちにも観てもらいたいな、と思いました。前回の息吹さんも含め、今の高校演劇が失ってしまったもの、ドラマの原点がありました。大阪府高等学校演劇連盟の先生や生徒諸君にも観てもらいたい作品でありました。
最後に、小屋の狭さはいかんともしがたいものがあります。膝つきあわせての観劇もいいし、赤テント、黒テントになじんだ世代でもあるので「ま、いいか」とも思うのですが、もう一回り大きな額縁で観られたらなと感じました。ま、これは、そういう施設を無くしてきた行政の問題であり、各劇団は、その中で懸命にやっていらっしゃることは、よくわかっております。
どうです。若い人たちもこういうお芝居を観にいきませんか。きっと得るものがあると思います。
劇作家 大橋むつお