大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

劇団未来『はいせんやあれへん しゅうせんや……?』

2011-06-20 00:02:04 | 評論

第三十五回大阪春の演劇まつり、第三弾は劇団未来の『はいせんやあれへん しゅうせんや』と、和田澄子さんの作品『西瓜と風鈴~61年目の夏~』の二本立てで、演出は共に波田久夫さんでした。

『はいせんやあれへん しゅうせんや……?』は「上町台地」「おおさか商い地図」の群読から、八人の俳優による八つの詩の朗読に移り、それを西尾さんのナレーションと、ホリゾントに写した動画とスライドが暖かく……そう暖かいのです。戦争を語りながら暖かい。不思議な体験でした。

群読で、大阪全体の描写を少しコミカルなタッチで描写。そのあと、大阪各地で空襲に遭った人たち個々の詩になっていきます。こういう戦争体験の話や詩はときとして、感情過多になるものなのですが、抑制された表現が効果的に観客の心に、そのころの大阪、そのころの大阪の人々の心を感じさせてくれました。八つの詩の中に「わたしの八月十四日」というのがあります。みなさんご存じでしょうか、終戦(敗戦)の前日、大阪の砲兵工廠を爆撃したB29の大型爆弾が国鉄の京橋駅の省線(今の環状線)と片町線(今の学園都市線)の交差するあたりに落ち多くの人たちが亡くなりました。この詩が、二本目の芝居『西瓜と風鈴』の伏線にもなっています。

「戦争を知らない子供たち」である私も、もう還暦が近くなってきました。親はバリバリの戦争世代。学校の先生たちもそうでした。ときにアルコールが入ったり、説教の折などに「戦時中の話」を聞かされました。正直「またかいな」と、思ったものです。しかし、戦時中に大人だった人はしだいに減ってきました。生存されている方も九十前後。なかなかお話はうかがえません。還暦近くになり「自分とはなんだろう」と、ガラにもなく思うことがあります。その時に「あの戦争」は避けて通れません。なぜなら、私たちを育て、教え諭してくれた大人達は戦前の教育を受け、戦争の体験をして、その教育と体験をもとにそれをしていたからです。団塊の世代や、それに続く我々断層の世代のDNAの中には確実にそれが入っています。食事のときのしつけに始まり、ケンカなぞしたときの対処法。友だちとの付き合い方。「駆逐本艦」という遊び。日の丸への思いなど、左右の考え方の違いはあっても、我々は、その「戦争を生きてきた大人達」に育てられたのです。

わたし個人も折に触れて、戦争体験者の話を聞くようにしています。うちの母の実家は真宗の寺でした。戦時中に釣り鐘を金属供出に出した話や、玉音放送の前日に、ようやく防空壕を掘り出し、十五日に重大放送があると聞き、村中総出で、放送に間に合うように防空壕を掘りました……そして、降って湧いたような終戦。村の人たちは、蝉時雨の中、掘ったばかりの防空壕を見つめていたそうです。 終戦により日本の軍隊は無くなったと思われていますが、近衛師団の一部を一年だけ禁衛府衛士として残したことは、ほとんど知られていません。わたしの義兄のお父さんがやってらっしゃいました。また、世に有名な「国防婦人会」は大阪が発祥の地であることも知られてはいません。思想の違いはあったとしても、それらを記録ではなく記憶しておくためにも、未来の今回の静かな取り組みは有意義であったと思います。

『西瓜と風鈴』は、戦時中慰問袋に風鈴と写真を入れて送ってくれた女学生に恋心を抱き、復員後に西瓜をぶらさげて、その女学生の家を訪れる元兵士の物語です。復員して訪れると、女学生は終戦の前日の空襲で亡くなったことを知り、愕然としますが、その後も六十一年にわたり毎年西瓜をぶら下げて、お盆になると福山からやってきます。八十路の半ばに達した彼は、置き手紙を置いて「今年が最後」という暗示を残して帰っていきます。彼が残した手紙を家族たちが読んで、ある真実が分かります。女性らしく……と言っては叱られるかもしれませんが表現が、やわらかな絹の手触りのように細やかなのです。備前焼の風鈴の話、仏間に下げられた数個の風鈴が優しく女学生の人となりを表すように、優しく鳴ります。上手いですね、作者も演出も。

ただ、二点。絹の手触りにかすかにひっかかるものがあります。ただ一人浴衣の若い女性が出てきます。「これはだれやろ?」と思ってよく見ると、遺影の女学生の写真と同一人物のよう……帰宅後パンフを見ると、死んだ女学生として書かれていました。幽霊だったのでしょうか? どうも一度見ただけでは判然としません。しかし淡い水彩画のような芝居は見事でした。こういうドラマを今の高校生にも見せてやりたいなあと思いました。ただ、今の若い人たちに見せるのにはもう一工夫というか、もう一風吹かせる必要があると思いました。しかし、もしこれを読んでいるあなたが若い、演劇を目指す人ならぜひ観て欲しい芝居ではあります。 もう一点、元兵士のおじいさんに生の加害責任、現在意識を持たせたことが、そこにだけ生の絵の具を落としてしまった水彩画のような違和感になってしまいました。

未来のスタジオは、爆撃に遭った京橋の近くの野江のあたりにあります。かすかに聞こえる電車の音が、ふとこの芝居の中にいるような錯覚を覚えさせました。そこまで演出効果を考えておやりになったとしたら、未来という劇団、さすがに大阪の老舗劇団であると思いました。

最後に一言、一度スタジオを出て、今少し広い劇場でおやりになってはいかがでしょう? それだけの力のある劇団ではあると思います。ただ、あの洞窟のような劇場というのは、四十年も芝居をやってきた人間としては魅力的な空間ではあります。

                                                                      劇作家  大橋むつお

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