『きかんしえん』って、知ってますか?
もう十年以上前になるだろうか、新聞のコラム欄に載っていた。
「きかんしえんの、留意点はなんですか?」若いのが聞いた。
「きかんしえんはだね、主に……」年輩が答えた。
ある日の山手線の中で、ふと耳に入ってきた会話である。最初は、医者同士の会話だと思った。
ところが、話しが進むと、どうやら、学校の先生たちの会話であることが知れた。会話の中の単語に「生徒」「答案」などの単語が混ざってきたからである。それにしても「きかんしえん」とは……。
会話の中頃で気づいた、「きかんしえん」とは「気管支炎」ではなく「机間支援」のことであると。
社に戻って、教育関係に詳しい同僚に聞くと、こうだった。
「従来の『期間巡視』では、何か見張っている感じがして、拙いので、最近は支援という言葉を使うようだよ」
このような内容であったと記憶している。記者は、教師のつまらない「言葉遊び」にあきれたように書いていたように記憶する。
当時、現職であったわたしは、「東京は、アホなことやってんねんなあ」と思った。
版元からのメール待ちの退屈しのぎに、ネットを検索していて、ふと、そのことを思いだし「きかんしえん」の言葉を思い出し……もう少し、詳しく書くと、息子が「ももクロのファンが多いで」と、昨夜言っていたのを思い出したのである。
昔、某高校の演劇部の面倒を見ているうちに、あまりに芝居がはじけないので、「AKB48」の曲でも入れようかと提案し、イイダシベエのわたしは『ヘビーローテーション』を、振り付けごと覚え、生徒に教えるはめになった。それ以来、パソコンにAKB48の曲を取り込んで、退屈なときや、頭がカラッポでアイデアが浮かばない時に聞いている。ファンというほどではない。未だに高橋みなみを高山みなみと間違える。峰岸みなみは、タカミナといっしょに覚えたが、苗字が時として出てこず、その印象から、自分でもおっしゃっているガチャピンで覚えている程度。
で、ヘッドフォンで聴いていても、時に口ずさんで、年甲斐もないオッサンファンと、家人にはキモがられている。
『大声ダイヤモンド』を不覚にも口ずさんでいるときに、半分揶揄(やゆ=おちょくった)したように、セガレに言われたのが「最近は『ももクロ』のファンが多いで」になったわけである。
わたしは、昔懐かしい「のらくろ」のことかと思ったが、セガレは方頬で笑ってこう言った。
「『ももいろクローバーZ』のことや」
世事にウトイ父は「?????」であった。で、さっそく「ももクロ」を検索。
――週末ヒロイン! これが売りの、なんとなく若き日にバイトでやっていた、仮面ライダーや戦隊もののアクション系着ぐるみショーを思わせる、アイドルユニットであることが知れた。何本か「ももクロ」の映像を見ているうちに、やはり馴染みのAKB48の曲にもどり、youtubeで観ていたのが『大声ダイヤモンド』のPVである。この公式PVは、文化祭の設定になっている。
で、そこから、現職時代を思い出し、「きかんしえん」にたどり着いたわけである。
ためしに「机間支援」で検索してみた。わずかに二つだけ残っていた。今では死語になっているようだ。
大阪では、今も昔も「机間巡視」である。よくドラマで、授業風景で、これをやっているが、わたしは授業中は、ほとんど、やらなかった。理由は明確で、教壇を護るためである。うかつに教壇を離れると、出席簿や閻魔帳を盗まれた。ときに脱走する生徒がいたが、机間にいては、とっさの追跡に間に合わない。ここぞと足をかけられ転倒させられることもある。
「机間巡視」は、主にテスト中に行う。カンニング防止のためである。より正確には抑止のためである。
「これだけ、ガン飛ばしてんねんぞ。カンニングさらすなよ」で、ある。
教壇に立っているだけでは抑止にはならない。机の間を巡り、主に斜め後ろからの視線が有効である。一通り巡り終えると、最後尾中央で立っている。生徒は、これが一番威圧感を感じるようである。実際は、この位地が息を抜ける場所である。こちらが若いと見くびってカンニングしそうな生徒には真横に貼り付いたりもした。
教師も歳をとると、それなりに押し出しが効くようになり、そんなことをしなくてもカンニングをされることは無くなった。カンニングする生徒は「カンニングする」オーラを放っている。いわゆる気配でそれと知れる。カンニングの手法は様々であるが、真似をされると困るので、手口は書かない。
巡視のテクニックだけ、記しておく。観るのは、真横の列ではない。その一列となりである。その方が、生徒の手許がよく見える。くり返すが、抑止のためである。その斜め後ろからの視線が、生徒達には一番痛い。
また、廊下側 の窓ガラスに映る様子から、ガラスに反射させてガンを飛ばすこともある。たとえ、ガラスに反射させても、気配は感じる。
ここまで、読まれた方は、「大橋というやつは、なんちゅう陰湿な奴や」と思われるかもしれない。
しかし、大半の生徒の受け取りようは違う。先生が真剣に試験監督をやってくれていると、安心する。
カンニングは、周囲の生徒も気配で分かるもので、ぼんやり教卓で頬杖ついている教師よりも信頼される。
学校に、なにかクレームの電話をされたことがあるだろうか。近頃は教師の応対もかなり改善されてきている。しかし、この慇懃な言葉は要注意である。
「どうも貴重なご意見ありがとうございました」
これは――もう、話しは、これで打ち切り、これ以上は聞きません。という意味である。
セガレの学校に電話して、何度か、これをカマされた。
「そんな、打ち切りのサインださんといてください」と、粘った。
粘った理由には、それなりのオモシロイ(今になって言える言葉)エピソードがあるのだが……ここで、版元のメールがやってきた。
もう十年以上前になるだろうか、新聞のコラム欄に載っていた。
「きかんしえんの、留意点はなんですか?」若いのが聞いた。
「きかんしえんはだね、主に……」年輩が答えた。
ある日の山手線の中で、ふと耳に入ってきた会話である。最初は、医者同士の会話だと思った。
ところが、話しが進むと、どうやら、学校の先生たちの会話であることが知れた。会話の中の単語に「生徒」「答案」などの単語が混ざってきたからである。それにしても「きかんしえん」とは……。
会話の中頃で気づいた、「きかんしえん」とは「気管支炎」ではなく「机間支援」のことであると。
社に戻って、教育関係に詳しい同僚に聞くと、こうだった。
「従来の『期間巡視』では、何か見張っている感じがして、拙いので、最近は支援という言葉を使うようだよ」
このような内容であったと記憶している。記者は、教師のつまらない「言葉遊び」にあきれたように書いていたように記憶する。
当時、現職であったわたしは、「東京は、アホなことやってんねんなあ」と思った。
版元からのメール待ちの退屈しのぎに、ネットを検索していて、ふと、そのことを思いだし「きかんしえん」の言葉を思い出し……もう少し、詳しく書くと、息子が「ももクロのファンが多いで」と、昨夜言っていたのを思い出したのである。
昔、某高校の演劇部の面倒を見ているうちに、あまりに芝居がはじけないので、「AKB48」の曲でも入れようかと提案し、イイダシベエのわたしは『ヘビーローテーション』を、振り付けごと覚え、生徒に教えるはめになった。それ以来、パソコンにAKB48の曲を取り込んで、退屈なときや、頭がカラッポでアイデアが浮かばない時に聞いている。ファンというほどではない。未だに高橋みなみを高山みなみと間違える。峰岸みなみは、タカミナといっしょに覚えたが、苗字が時として出てこず、その印象から、自分でもおっしゃっているガチャピンで覚えている程度。
で、ヘッドフォンで聴いていても、時に口ずさんで、年甲斐もないオッサンファンと、家人にはキモがられている。
『大声ダイヤモンド』を不覚にも口ずさんでいるときに、半分揶揄(やゆ=おちょくった)したように、セガレに言われたのが「最近は『ももクロ』のファンが多いで」になったわけである。
わたしは、昔懐かしい「のらくろ」のことかと思ったが、セガレは方頬で笑ってこう言った。
「『ももいろクローバーZ』のことや」
世事にウトイ父は「?????」であった。で、さっそく「ももクロ」を検索。
――週末ヒロイン! これが売りの、なんとなく若き日にバイトでやっていた、仮面ライダーや戦隊もののアクション系着ぐるみショーを思わせる、アイドルユニットであることが知れた。何本か「ももクロ」の映像を見ているうちに、やはり馴染みのAKB48の曲にもどり、youtubeで観ていたのが『大声ダイヤモンド』のPVである。この公式PVは、文化祭の設定になっている。
で、そこから、現職時代を思い出し、「きかんしえん」にたどり着いたわけである。
ためしに「机間支援」で検索してみた。わずかに二つだけ残っていた。今では死語になっているようだ。
大阪では、今も昔も「机間巡視」である。よくドラマで、授業風景で、これをやっているが、わたしは授業中は、ほとんど、やらなかった。理由は明確で、教壇を護るためである。うかつに教壇を離れると、出席簿や閻魔帳を盗まれた。ときに脱走する生徒がいたが、机間にいては、とっさの追跡に間に合わない。ここぞと足をかけられ転倒させられることもある。
「机間巡視」は、主にテスト中に行う。カンニング防止のためである。より正確には抑止のためである。
「これだけ、ガン飛ばしてんねんぞ。カンニングさらすなよ」で、ある。
教壇に立っているだけでは抑止にはならない。机の間を巡り、主に斜め後ろからの視線が有効である。一通り巡り終えると、最後尾中央で立っている。生徒は、これが一番威圧感を感じるようである。実際は、この位地が息を抜ける場所である。こちらが若いと見くびってカンニングしそうな生徒には真横に貼り付いたりもした。
教師も歳をとると、それなりに押し出しが効くようになり、そんなことをしなくてもカンニングをされることは無くなった。カンニングする生徒は「カンニングする」オーラを放っている。いわゆる気配でそれと知れる。カンニングの手法は様々であるが、真似をされると困るので、手口は書かない。
巡視のテクニックだけ、記しておく。観るのは、真横の列ではない。その一列となりである。その方が、生徒の手許がよく見える。くり返すが、抑止のためである。その斜め後ろからの視線が、生徒達には一番痛い。
また、廊下側 の窓ガラスに映る様子から、ガラスに反射させてガンを飛ばすこともある。たとえ、ガラスに反射させても、気配は感じる。
ここまで、読まれた方は、「大橋というやつは、なんちゅう陰湿な奴や」と思われるかもしれない。
しかし、大半の生徒の受け取りようは違う。先生が真剣に試験監督をやってくれていると、安心する。
カンニングは、周囲の生徒も気配で分かるもので、ぼんやり教卓で頬杖ついている教師よりも信頼される。
学校に、なにかクレームの電話をされたことがあるだろうか。近頃は教師の応対もかなり改善されてきている。しかし、この慇懃な言葉は要注意である。
「どうも貴重なご意見ありがとうございました」
これは――もう、話しは、これで打ち切り、これ以上は聞きません。という意味である。
セガレの学校に電話して、何度か、これをカマされた。
「そんな、打ち切りのサインださんといてください」と、粘った。
粘った理由には、それなりのオモシロイ(今になって言える言葉)エピソードがあるのだが……ここで、版元のメールがやってきた。